ヤバい液体。

 戸塚オサムが住むアパートは、築ウン十年という代物で安さだけが取り得だった。


 手持ち資産からすると、もっと高い賃料でも良かったのだが、大家と直接契約できて保証人も不要ということで決めたのである。


 ただし、そんなアパートで、なおかつ繫華街が近いせいもあり、怪しげな連中ばかりが住んでいた。


「引越したばかりなんですけど――よく会いますね」


 深夜、とあるバイトを終えたオサムが帰宅すると、隣の部屋の扉が開いてロリ美少女が出て来た。


 シャワーを浴びた直後なのか、濡れ髪を巻いて顔も少しばかり上気させている。


 なお、ロンTの下からは白い素足が伸びている。

 なお、胸は無い。

 なお、ロリ美少女である。


「ん、そうですか?」


 オサムには、全く覚えが無かった。


 ――先週、引越し業者が騒がしかった記憶はある。

 ――こんな子供が独りで住んでいるのか。


 不憫な思いを抱きつつ、相手の様子を眺めた。

 オサムの視線に気付いたロリ美少女が、ロンTの裾を少しだけ押し下げる。


 筋の者が見れば、悶絶する光景だろう。


 ――おっぱいの大きな女教師を期待していたのだが……。


 オサムは表情も変えず、随分と失礼なことを考えていた。

 彼は、おっぱいしか興味が無いのである。


「今朝も会いましたよ」

「なるほど」


 もはや、どうでも良い話だったので、オサムは適当な返事をして自室の扉を開けた。


「では」


 早く帰って、晩飯を作る必要がある。


「え、ちょ、ちょっと――」


 ばたん。


 可憐なロリ美少女を残し、扉は閉じられた。


 ◇


「ど、ド畜生がああああああああッッ!!」


 おらおらおらおらぁと叫びながら、ロリ美少女はカエルの人形を殴りつけている。

 

 よく見ると、カエル人形の腕は千切れかかっていた。

 多数の切り傷まである惨状で、持ち主の凶暴性が伺い知れる。


 ともあれ、ボロアパートでは近所迷惑になるはずだが、彼女は勝手に内装を改造して、完全防音設備を実現していた。


 狭い部屋の中には、ベッドと机が置かれている。


 机の上には複数のモニタが並んでおり、様々な角度から隣室に住む戸塚オサムを映し出していた。

 風呂とトイレも盗撮している。


 夕食の片づけを終えたオサムが、畳の上で腕立て伏せを始めていた。


 すぐに暑くなってきたのか、勢いよく学生服を脱ぎ捨ててパンツ一枚の姿となる。


 一年生の時は諸般の事情からプール学習に参加できなかったため、学校では誰も知らない事実なのだが――、


「むひょおお」


 ――なかなかの筋肉を隠し持っていたのである。


 雄叫びを上げて怒り狂っていたロリ美少女が、血相を変えてモニタにしがみ付くように顔を寄せた。

 徐々にウットリとした表情になっていく。


 口をダラリと開けて、怪しげな動きまで加わり――。


 こうして彼女の、長い夜が始まった。


「エキスッ、エキスよおおお」


 戸塚オサムは全く知らない事実なのだが、隣人はかなりヤバめのロリ美少女だったのである。


 ――翌朝。


「よく会いますね――」


 学校へ行くため外へ出ると、制服姿のロリ美少女が爽やか笑みを浮かべて立っていた。


「ん、そうですか?」


 オサムには、全く覚えが無かった。


「昨夜も会いましたよ」

「なるほど――では」


 時間厳守を心掛ける男、戸塚オサムは急ぎ足で立ち去っていく。


「ちょ、ちょっと、待ったあああッ」


 ロリ美少女が、むんずとオサムの背中を掴む。

 意外なパワーでオサムの歩行を止めた。


「ん?」


 不審な思いを抱き、オサムは振り返った。

 奴らの仲間であれば、いたいけな幼女といえど殺すほかない。


「こ、これをッ!」


 万力で拳を握ったオサムの鼻先に、ピンク色の水筒が差し出された。


「なんだ――これは?」


 当然の質問をした。

 爆発物でない事だけは分かっている。


「麦茶ですッ!!」

「――持っている」


 お手製麦茶が水筒に入っていた。

 なお、オサムは、季節を問わず麦茶を飲む。


「実家のバ――い、いえ、お婆様が送ってくれた高級麦茶が余ってしまい、先輩にも飲んで頂こうかと作ったんです」

「実家――お婆さん――先輩――」


 幾つかのワードが、オサムの琴線きんせんに触れた。


 ――遠く離れた地に住む年老いた肉親からの貴重な品を、アカの他人であるボクに分け与えてくれるというのか……。


 じわじわと来る。


 ――天使か!?


 見ず知らずの相手から受け取る飲料水ほど恐ろしいものない――という座学で叩き込まれた基礎をオサムは脇に置いた。


 ――さすがは平和な土地だ。素晴らしい、平和!!


「ありがとう――見知らぬ幼女」

「い、いえ。そんな」


 頬を赤らめ、ロリ美少女がモジモジとする。


「たぁっぷり、飲んで下さいね。私の想いが全部――入ってます♥」


 ◇


 昼休み、オサムは独りで弁当を食べる。


 学校の裏庭に捨てられていたオサムの机は、無事に戻っていた。


 無数の彫り傷が天板にあるので、放課後に補修をしようと考えている。

 日曜大工はお手のものだし、好きでもあるので少しばかり愉しみにしていた。


 鼻歌混じりに弁当を平らげ、水筒に手を伸ばしたところで思い出す。


 ――そういえば、高級麦茶を頂いたのだったな。


 ボロアパートには天使が住んでいた。


 ――ここは、本当に素晴らしい国だ。


 オサムは嬉しい気持ちで水筒の蓋を開ける。


 嗅いだこともない生々しい臭気が漂うが、高いものは鼻につくのだろう――などと訳の分からない事を考えながら、天使の麦茶をゴクリゴクリと一気に飲み干していく。


「――不味い!」


 そう言い残し、オサムは意識を失った。

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