そして少年は桃源郷へと至る

大橋 知誉

そして少年は桃源郷へと至る

 こいつはあまり他人のこと詮索する奴じゃない。こんなところで何をしていたのかは気になったが、良太も詮索するのはやめることにした。


 裏山と言っても十分も歩けば良太の家まで辿りつく。


 確か山田の家は…どこだったか忘れた。だかそれほど遠くなかったはずだ。


 二人は特に会話することもなく、かと言って気まずい感じでもなく、自然と無言で連れ立って歩き山を下りた。


 こんなところで遭遇するとはかなり不気味ではあるが、山田といるとちょっと安心するな…と良太は思った。

 こいつが来てくれて本当によかった…と心から感じるのであった。


 良太の家に到着し、山田と別れて家に入ると、時刻は八時過ぎであることがわかった。

 こんな時間に帰っても両親は何にも不思議に思っていないようだった。


 さすがに中学三年ともなると、八時くらいではとやかく言われない…ものなのか?


「良太? 帰ったの? 夕飯食べるの?」


 家に入ると母親がリビングから顔を出して言った。

 良太は「いらない、寝る」と二言いうとすぐに自室に入った。


 反抗期ってやつ? になってから家族との会話はめっきり減っていた。


 まー姉ちゃんのこと…誰かに話したいが、話せる相手が良太にはいなかった。


 そんなことを悶々と考えていると、ふと山田の顔が思い浮かんだ。


 …明日、あいつに話してみるか…。


 良太はざわつく心をおさえつつ、浅い眠りへと沈んで行った。


 目を覚ますとまだ外はまだ暗かった。

 時計を見ると、時刻は夜中の一時半を回ったところだった。


 歯を磨かないで寝てしまったので口の中が気持ち悪かった。それにトイレにも行きたかった。


 良太はむっくりと起き上がると、なるべく音を立てないように部屋から出て階下へ降りて行った。


 トイレを済ませ歯を磨こうと洗面所に入ると、窓の外がやたらと明るかった。電気を点けなくてもいいほどに明るい。

 月明かりだろうか。ふと鏡を見ると、外の光に照らされた自分の顔が青白く浮かんで見えた。


 その顔がまるで知らない人の顔のように見えて、良太はギョッとした。

 慌てて電気をつけると、良太の顔はいつもの顔に戻っていた。


 良太はほっと溜息をつくと、歯磨きを始めた。

 何となく蛍光灯の灯りが眩しすぎるように思えて電気を消した。


 再び外の光で自分の顔を見てみたが、今度はおかしなところはなかった。


 窓をあけると、巨大な満月が夜空にぽっかりと浮かんでいた。


 良太は月を見上げながら歯を磨いた。


「何やってんだよ、こんな夜中に」


 急に声がして良太は心臓が飛び出るほどに驚いた。

 見ると、窓のすぐ外に山田が立っていた。まるでそうしているのが当たり前とでも言うようにヘラヘラ笑っている。


「な、なんだよ。何でそんなところにいるんだよ」


 恐怖を隠し切れない震える声で良太は言った。


「いや、だって、お前んちの窓に明かりが点いてすぐ消えたと思ったら、窓が開いてお前が見えたからさ」


「見えたってどこから…?」


「そこに決まってんじゃん」


 山田は隣の家の二階の窓を指さした。


 そこ? なぜ隣の家?


 山田の不可解な言動に良太は顔をしかめた。

 その顔を見て、今度は山田が不審がる番だった。


「あれ? お前、なんかだいじょうぶ?」


 言いながら山田は首を傾けて良太の顔を覗き込んで来た。

 心配そうな顔になっている。


 確かに、山田も異常だが良太も異常だった。


 これはちょっと山田に話してみてもいいかもしれない…と良太は思った。


「いや…実はちょっといろいろあって気が動転してるんだよ」


 その返事に山田は「いろいろ?」と小さな声で言うと、何か一人で納得したらしく、うんうんと頷き始めた。


「お前もいろいろあるんだな。話なら聞くぜ。俺の部屋来る?」


 言いながら山田はまた隣の家の二階を指していた。


 …山田の部屋? そこ山田の家だっけ?


 良太は混乱していた。自分が自分から剥がれ落ちてしまうような感覚がしてぞわっとした。


 さっきまでヘラヘラしていた山田は真剣な顔つきになって、本気で良太を心配しているようだった。


 月の光が後ろから山田の姿を浮かび上がらせて、なぜだか良太はそれを大変に美しいと思った。


「来いよ」と一言いうと、山田は隣の家の方へと歩き始めた。


 手に持っていた歯ブラシを洗って仕舞い、口をゆすぐと、良太は自然な流れて洗面所の窓をよじ登り外に出た。

 裸足が土の地面について気持ち良かった。


 山田について隣の家の敷地に入ると、山田は雨樋を伝って二階へと登り始めた。

 その光景も、何度も見たものに思えた。


 良太も後に続いた。そうして思い出した。自分は今まで何度も…何百回もこうして雨樋を登り山田の部屋へと通って来たのだ。


 山田は隣の家に住む幼馴染だった。

 どうしてただの同級生だと思ってしまったのだろうか。


 まー姉ちゃんの幽霊を見たことで頭がおかしくなってしまったのだろうか?

 それとも、別の理由で頭がおかしくなってまー姉ちゃんの幽霊なんかを見たのだろうか。


 良太は何となく後者な気がしていた。


 山田の部屋のベランダに着くと、足を拭くための雑巾が用意されていた。

 山田も裸足で降りて来ていたのだった。


 山田は窓を開けながら振り向いて、「静かに入ってよ、親、起きちゃうから」と言った。


 それ言ったら、今登って来た音で起き乗るのでは…、と思ったが良太はいちいち突っ込むのはやめておいた。


「で、何がどうしったって?」


 山田が自分のベッドに座りながら言った。部屋の電気は消されたままだった。

 良太が床に座ろうとすると、山田は自分の隣をポンポンと叩いてそこに座るように示した。


 良太は山田の隣に腰を下ろした。


 ベッドがギシっと音を立てた。


 山田の顔を見ると、月を背中に逆光に照らされた姿が大変に美しかった。

 神々しくさえあった。


 山田ってこんなに男前だったけ? と良太は思った。

 自分がうっとり山田を見つめていることに気が付いて良太は慌てて目を逸らした。


「まー姉ちゃんに会ったんだよ」


 良太は下を向いたまま言った。


「まー姉ちゃん…って、あのまー姉ちゃん?」


 山田はすごくびっくりした顔で言った。やっぱりまー姉ちゃんは死人であってる? 良太はわからなくなった。

 それでこう付け加えてみた。


「そうだよ、あの事故で死んだ…」


「あ、ああ、そうだな。事故で死んだ」


 まー姉ちゃんの死について言うと、山田は少し変な感じになった。

 もしかしたら彼にあまり まー姉ちゃんの死について言わない方がいいのかもしれない。

 このあたりの人間関係の細かいところを忘れてしまっている自分に気が付いて良太はどんどん不安になってきた。


 だが、山田がまー姉ちゃんが死人であることを否定しなかったのにはほっとしていた。

 まー姉ちゃんの死がなかったことになってたら…と内心恐れていたのだ。


「ってか、やばくねぇかそれ…お化けってこと?」


 いつの間にか山田はいつもの山田になっていた。

 お化け、という言い方がかわいいと思って良太は思わず吹き出してしまった。

 こいつ、単に深刻な話が苦手なだけなのかもしれない。


「確かに、お化けかも。でも全然お化けっぽくなくて、すごいリアルでさ」


「ちょっと待って、お前、一本桜のところにいたよな? あそこで見たの? お化け」


「そうだよ」


 山田はそれを聞くと、何やら考え込んでしまった。


「何? あの桜がどうかしたの?」


「え、お前知らないの? あの桜は異界への入口になってるって話」


 急な話の方向転換に、良太はいささかずっこけてしまった。


「いやいやいやいや、何それ? 知らないけど」


「マジで? 俺、ジジイから何度も聞かされたけど。その時、お前も聞いてなかったけ?」


 …ジジイって誰だ? 良太はさらに混乱してきた。


「俺だってジジイの話なんか信じてなかったけどさ、これは、何かあるのかもよ。行ってみようよ」


 …なぜそうなる…。相変わらずのうてんきな奴…と思いながらも、良太も少し興味はあった。

 まー姉ちゃんが何だったのかも気になるし。


「まあ、行くのはいいけど…」


「よし、じゃあ、行こう」


 山田が立ち上がったので良太は慌てた。


「ちょっと待ってよ、今から行くの?」


「今行かずにいつ行くんだ?」


 山田が壁に掛かっている時計を指さした。時刻は夜中の二時十分を指していた。

 なるほど…丑三つ時と言いたいのか。古来からもののけが出ると言われる時刻だ。


 山田は行く気満々で、もう止めることはできそうもない雰囲気だった。

 良太はしぶしぶ行くことに同意した。


「じゃあ、行こうぜ」


 山田はくったくのない笑顔を見せると窓から外に出ようした。


「待て待て、窓から出るの? 山へ行くのに?」


「当たり前だろう? 玄関から出たらピー子が騒いで親、起きるだろう?」


 …ピー子って何だよ…。


「靴はどうするんだよ」


 山田がベランダの隅でゴソゴソやったかと思うと二足の靴を持って戻って来た。


「お前、俺と足のサイズ一緒だったよね? 靴下も貸そうか?」


「靴あるならさっきも履いて出ればよかったんじゃ?」


「いや、これ洗ったばっかだから、お前の家行くくらいで使うのもったいなくてさ」


 …山田の基準がよくわからん…と良太は思いながら靴と靴下は借りることにした。


 そうして二人の少年は真夜中の裏山へと登って行った。

 山道は月明かりに照らされて懐中電灯もいらないほど明るかった。


 一本桜に到着すると、散り始めた桜がぼんやりと青白い光に浮かんで見えた。


「ほら、見ろよ、ここだけ世界が違うって感じじゃね?」


 山田がワクワクした声で言った。確かに異様な感じがした。

 町の方の桜はもうほとんど葉桜になってしまっているのに、毎年ここだけは遅い時期まで花をつけている。

 山の桜だからだろうと思っていたが、別の理由があったりするのだろうか?


 良太も山田につられて少し好奇心をくすぐられて来ていた。


 二人は桜の木の下へと足を進めた。


 すると、急にあたりが明るくなった。


 二人はびっくりしてお互いにしがみついた。


 明るくなったのは空全体だった。


 昼間になったのだ。

 急に昼間になったのだ。


「なに? どうしたの? どういうこと?」


 山田が動揺して大きな声で言い続けた。

 良太は山田の口を手で覆って黙らせると「しっ。静かに」と言った。

 何となく騒いではいけない気がしたのだ。


「たぶん、時間が飛んだんだ」


 良太は自分でも驚くほどに冷静な低い声で言った。

 空には霞がかかりうすら白くて時刻はまるでわからなかった。

 ただ、光の感じから、朝方か夕方のどちらかだろうと良太は推測した。


「前、ここで まー姉ちゃんと会った時にも、昼間だったのに急に夜になったんだ」


「ああ、それでここにうずくまってたのか」


「そう言えば、お前、何であんな時間にここに来たの?」


「うん、それな。実は昼間にお前が山に入ってくの見かけたんだけど戻ってきてないようだったから探しに来たんだよ」


 それを聞き、良太はもしもあの時、山田が来てくれなかったら自分は発狂していたかもしれない…と思い、彼に感謝した。

 だけれどもそれを口に出して言うのは何故だか恥ずかしくて、ただ無言で山田を見返すしかできなかった。


 その視線に対して山田はにっこり笑って応えくれた。

 良太の胸がズキュンと苦しくなった。


 …あれ、なにこれ。


 良太はその感覚を奥の方へと押しやった。


「あら? 二人してお花見?」


 後ろで声がしたので振り向くとまー姉ちゃんが立っていた。


「わ、でた」と山田が言った。

「でた、とか言うな」と良太が言った。


「私ね、ここよりすごい桜を見つけたんだけど、行ってみる?」


 まー姉ちゃんはどこか虚ろな、それでいてとてもリラックスした表情で言った。

 良太と山田は顔を見合わせた。


「何本もの桜が群生しているんだよ。今行かないと、もう散ってしまうかもよ」


 良太はこの地域で生まれ育ったのだが、そんな場所は今の一度も聞いたことがなかった。

 ここらの山はそこまで深くない。そんな場所があればすぐに知れ渡るはずなのだ。


 まー姉ちゃんはうっすらと笑み浮かべて少年たちの回答を待っていた。


「いくいく! 俺行きたい! いいだろう? なあ、良太」


 山田は嬉しそうに言いながらこちらにウインクしてきた。

 これは完全に異界に行けると思っている顔だった。


「まあ、べつにいいけど。遠いの?」


「すぐ近くだよ」


 二人が着いて来るとわかると嬉しそうにして、まー姉ちゃんは山の奥の方へと向かって歩き始めた。

 良太と山田は彼女の後を追った。


 山道はやがて獣道になり、そしてそれもなくなった。


 辺りは霧が立ち込めて、だんだんと視界がせまくなってきた。


「ねえ、どこまで行くの?」


 良太は不安に思って何度かまー姉ちゃんに声をかけたが、そのたびに「すぐ近くだよ」という返事が返って来た。

 山田の方を見ると、目を輝かせてこちらを見返して来るのでとても帰ろうとは言えない雰囲気だった。


 やがて三人は開けた場所に着いた。霧が濃く数メートルの視界しかないのでわからないが、どうやら野っ原のようだった。


「今はよく見えないけど、この向こう側が全部桜なんだよ」


 まー姉ちゃんが指さした方を見たが足元の草地以外はどこも境目なく真っ白で何も見えなかった。


「もっと近づけば見えるよ」


 まー姉ちゃんは足を進めた。

 すると本当に目の前に桜の木が見えてきた。それは何本もあるようだった。


「おおすげぇ、まるで桃源郷じゃん」


 山田が言った。彼がそんな言葉を知っているとは驚きだった。


「そう、桃源郷だよ」


 まー姉ちゃんが同意した。


 良太はうっすらと見え隠れする桜の木々に心奪われてしまった。

 時期的にももう桜は終わりのころなのに、ここの桜は盛大に満開のようだった。たちこめる濃厚な霧のせいでその羨望が見えないのが本当に残念だった。


 良太は、まー姉ちゃんのことも山田のこともしばらく忘れて桜の木に夢中になっていた。


「ここをあんたに見せたかったんだよ良太」


 まー姉ちゃんの声が耳元で囁いた。

 息がかかるほどに顔を近づけて来て、まー姉ちゃんは囁き続けた。


「本当はあんたが大人になるのを待って、その素足が柔らかな土にはじめてふれる前に、私が摘み取ってしまいたかった」


 まー姉ちゃんはふぅと息を吐くと、良太の頬にそっと手を触れた。

 良太は全身に電流が走ったかのように感じ、身体をこわばらせた。


 良太が固まっていると、霧の向こうから声がした。


「まさきちゃん?」


 山田の声のように思った。しかし、“まさきちゃん” という呼び方に違和感があった。


「まさきちゃん、急に見えなくなるからびっくりしたよ」


 霧の中から山田が出てきた。


 やはり山田だったのか…と認識した瞬間に、良太はびっくりして一歩後ずさった。


 それは確かに山田だったが様子が違っていた。大人になっている?

 二十歳までとはいかないが、高校生くらいの山田だった。


「ごめん、桜に夢中になちゃって」


 何事もないかのようにまー姉ちゃんが山田に向かって言った。


「あんまり遠くに行かないでよ」


 言いながら山田は慣れた手つきでまー姉ちゃんの髪に触ると彼女の腰に手を回して向こうに彼女を連れて行ってしまった。

 山田には良太はまるで見えていないようだった。


 霧の中に消えていく瞬間にまー姉ちゃんが視線だけこちらに向けてきたのを良太は見逃さなかった。

 彼女は何かイタズラをする時の目をして微笑んでいた。


 あまりの出来事に良太はなす術なくその場に立ち尽くし霧の中に置き去りにされてしまった。


 良太しばらくそうして立っていた。


 山田にまー姉ちゃんを奪われたと同時に、まー姉ちゃんに山田を奪われてしまった。

 まるで大切な人を同時に失ったような複雑な気分だった。


 そんな茫然自失の良太の前に山田が帰って来た。

 彼は霧の中からふわりとやってきた。姿も元の中学生に戻っていた。


「良太? ひとり?」


 拍子抜けするほどに呑気な声で山田が言った。


 さっきの大人びた山田は幻だったのだろうか。今の山田には先ほどの記憶はない様子だった。


「何? どうした?」


 良太の様子がおかしいことに気が付いたのか、山田はそっと良太に近寄ると背中を優しくさすってくれた。

 そして変なことを言い出した。


「足元のラインを辿れ。足元だけ見て、星が出たら上を見よ、って言ってたぞ、まー姉ちゃんが」


「足元のライン?」


「これじゃね?」


 山田が指さす方を見ると、なるほど、草地の上にペンキで書いたような白い線が見えた。

 未だ霧が濃く、どこへ続いているのかはまるで見えなかった。


「俺と良太二人で行けって言ってた」


「まー姉ちゃんは?」


「わからない。消えちゃった」


 良太はさっきの大人びた山田のことがどうしても気になって聞いてみることにした。


「なあ、山田、お前、まー姉ちゃんのこと、まさきちゃんって呼んだことある?」


 その質問に、山田はYESともNOともわからない不思議な表情をした。


「…いや、ないよ」


 良太はその言葉はたぶん嘘だと思った。けれどもそれ以上は聞くことはしなかった。


「じゃあ、帰ろうか、助言どおり」


 良太が空気を変えるべく、なるべく明るい声で言った。

 すると山田も笑顔になった。


「いいよ」


 いつもの調子を取り戻した山田は軽い返事をすると、自然に良太の手を取った。良太は無駄にドキッとしてしまったが彼の手をしっかり握り返した。


 こうして手を繋いで歩くなんて幼稚園の時以来ではなかろうか。

 ちょっと恥ずかしかった。ただ、今頼れるのはこいつ、山田しかいないのだ。


 二人は地上のラインを辿りひたすら歩いた。先が見えないので、必然的に足元だけを見て歩くことになった。

 歩いて行くと、やがて、線が途切れて星印が描いてある箇所が出現した。


「星ってこれか?」


「だろうね」


 二人は星印の上に立つと上を見上げた。

 上も霧でくすんだ白だったが、その中に何故だか数字が見えた。


 “6”


 彼らの真上にはそう書かれていた。


「6?」


「いちおう何が見えたか記憶しておこう」


 二人はそうして線の上を歩き続けた。

 時々星印が出てきたので上を見上げると、その度に異なる数字やアルファベットが見えた。


 やがて、11個目の文字を見た後、急に山田が立ち止まった。

 そして言った。


「いま…何となく感じてるんだけど、俺はきっと良太と一緒に帰れない…」


 良太はその言葉に心底ぞっとしてすぐに否定した。


「何でそんなこと言うの? 帰れるよ。これが帰り道なのかはわからないけど…でもほら、こうやって一緒に行けば…」


 山田は、元気のない表情になって、小さく「うん」と頷いた。

 そして泣きはじめた。


 泣いている顔を見られたくないのか山田は後ろを向いてしまった。


 良太は急に心細くなって、山田の背中に顔を押し付けると、後ろからそっと彼を抱きしめた。


「ねえ、良太。最後にひとつだけ俺の願いを聞いてくれない?」


 山田が背中を向けたまま言った。


「最後とか言うな。でも何?」


 良太も彼の背中に顔を押し付けたまま言った。


「俺のこと、名前で呼んでくれよ。一度いいからさ…」


 …なんだそんなこと…、と良太は思ったが、これまで兄弟のように育って来たのに、そういうえばずっと彼のことを “山田” と呼んできたことを急に後悔する気持ちになった。

 もしかしたら山田はずっと寂しかったのかもしれない。


「隼人…」


「うん」


「隼人、メソメソするな。さあ、帰るぞ」


「うん」


 山田は顔をあげ、再び地面の線に向き合うと歩き始めた。

 良太も彼の手を取って共に歩き始めた。


 しばらく進むと、12個目の星印が出現し、上を見上げその文字を見た瞬間に、何かがガチャリと音を立てて開いたような気がした。


 その時に見えたアルファベットは “h” だった。


6yQti3vEUVxh


 そうだ! これだ! 良太は確信をもってそう思った。

 その瞬間。脳の中にこのような言葉が響き渡った。


『認証キーを確認しました。接続を開始します』


・・・・


・・・・


 外はすごい嵐だった。春先になるといつもこうだ。

 春の嵐は度を越していて、全てをなぎ倒し、根こそぎ剥がして持って行ってしまう。


 こんな嵐の中でもあの連中はこちらに銃口を向けて待ち構えている。

 バカなやつが飛び出して来て射殺できるのを待っているのだ。


 誰が何のために作ったものなのか、今となっては知る由もないのだが、人工知能によって制御された銃口は常に人類に向けられて、シェルターから飛び出すものを撃ち殺していた。


 一説によると、最終戦争で使われた人工知能搭載兵器が暴走したのが始まりだとも言われている。

 まあ、とにかく、人類は人工知能によって滅ぼされかけているというわけだ。


 この兵器を動かしているのは、たった一つの人工知能であるとの説が現在最も有力とされている。


 旧世界の破棄されたサーバからこの人工知能に関する情報が偶然発掘され、その存在を知られるようになった。

 その人工知能は、情報を発見したチームのイニシャルを取って “MASAKI” と呼ばれている。


 今から六年前に西側の対策部隊が “MASAKI” と思われるプログラムへのアクセスに成功しデータを破壊したのだが、兵器はその攻撃を止めることはなかった。


 破壊したのは “MASAKI” ではなかったのか、もしくは影武者的な存在だったのか。


 どちらにせよ、真の “MASAKI” まで辿りつき完全に破壊することができれば、世界中の兵器を止めることができる。


 我々は確信をもってそう信じているのだった。


 こんなものは、私の世代で終わらせてやる。

 所詮はただの機械だ。クソ野郎どもめが。


 私は荒れ狂う嵐の窓際を離れ、自分の持ち場へと戻った。


 そこには昨日、身を挺してハッキングに挑んでくれた二人の青年が横たわっていた。


 彼らは今、“MASAKI” を追跡中なのだ。


 鉄壁のセキュリティを誇るあっちのネットワークに入り込むためには、現時点ではやつらの弾丸を肉体に直接受け、その瞬間を狙うしかないのだ。

 やつらの兵器は、弾丸を発射し着弾するまで、標的に対して無線でデータ通信を行うことが知られている。そこで我々人類の情報収集をしているようなのだ。

 それは本当に一瞬のことなのだが、その一瞬こそが現在発見されている唯一の穴なのである。


 横たわっている二人はこの計画のために特殊教育受けてきた者たちだった。

 二人とも頭部に弾丸を受けたのだが奇跡的に即死は免れこうして命を繋いでいた。

 幸い撃たれた領域が異なっていたので、脳を相互リンクさせてお互いを生かす応急処置をしている。


 こんな状態になりながらも、彼らは奴らの通信をキャッチしハッキングに挑むという人知を超えた攻防を繰り広げている。今も。この瞬間も。


 この凄まじい執念を我々は決して無駄にしてはいけない。


「所長! 接続しました!! やりましたよ! やつらの回線に侵入しました!」


 その声に、私は急いで脳波計測モニターの前へと行った。

 そこには確かにやつらのフロント画面が表示されていた。


 ついに、我々はあいつらの中へと侵入に成功したのだ!


「他の情報は吸い出せるか?」


「いいえ、ダメです。先ほどから脳波を解読していますが、ノイズが多すぎて苦戦しています。脳の破損が大きすぎて…チップを取り出さないと難しいです」


「そうか…」


 チップを取り出せば通信は途切れてしまう。今は彼らに任せるしかないようだ…。


 私は悔しさに気が遠くなる想いだった。かの青年たちが命をかけて繋いでくれたこの奇跡。絶対に無駄にしたくない…。


 私は青年たちが横たわっている無菌室へと降りて行った。

 体中の除菌を行い中に入る。


 彼らは開頭され脳がむき出し状態で通信機に接続されていた。

 二人とも穏やかな顔をしているが、閉じられた瞼の下で眼球は忙しなく動いており、脳が活発に活動していることを示していた。


 私はたまらず、手前に横たわる青年の手を握った。

 意識の中でどのような状態になっているのかはわからないが、一人ではないのだと伝えたかった。


 するとどうだろう。青年の目がうっすらと開いたではないか。


 私は担当医の顔見た。

 すると、担当医は涙をいっぱいにためた目でゆっくりと頷いた。


 私は横たわる彼の傍にひざまずくと、名を呼んだ。


「ヤマダくん。聞こえるか? 私だ」


「しょ、所長…」


 ヤマダくんは消え入りそうな小さな声で言った。彼の手にぐっと力がこもった。

 私は彼の手を握り返してやった。


「桜…一本桜…その先に桃源郷。“MASAKI” と接触、たぶん本物。ギリ、バレてないっす」


 それだけ聞けば充分だった。


「解った、もう大丈夫だ。ゆっくり休め」


 私はヤマダくんに言ってやった。だが、彼はまだ何か話したいようだった。

 小さな声も聞き取れるように顔を近づける。


「リョウタ…自我破損ぎみ…俺の脳を使って…」


「わかった」


 私はこれを彼の遺言と解釈し了承の旨を伝えた。

 すると、ヤマダくんは眠るように静かに息を引き取った。


 隣で眠るサトウくんはまだ生きていた。


 …そうか彼はリョウタというのか。


 私は彼らの苗字しか知らなかったことを申し訳思った。


 ヤマダくんの遺言どおり、彼の脳の一部がサトウ・リョウタに移植され、リョウタは一命をとりとめた。


 一方、ヤマダくんが命がけて伝えくれた情報から、我々は “MASAKI” のコアデータへアクセスすることができ、あっさりとシステムを破壊することができた。


 ここまでの恐ろしい道のりを考えると、侵入してからは不気味なほどに簡単に物事が進んだ。


 これで兵器が止まらなかったら…悪夢のような現実が頭がよぎったが、兵器は動きを止めた。


 兵器は動きを止めたのだ。


 ついに、奴らは人間を撃つことを止めた。


 我々に向けられた銃口はそのままだが、それらが再び火を噴くことはなかった。


 突然の終息宣言に、我々人類は戸惑った。

 急に平和になったのだと言われても実感はなかった。


 私のように目の前でその過程を見てきた者ですら半信半疑なのだから、一般の人々はもっと慎重だった。


 まるまる一年。人々は様子を見続けた。


 春が過ぎ、夏が巡り、秋が来て、冬が去り、そして再び春が来ても兵器は動かなかった。


 お馴染みの春の嵐が通り過ぎ、やがて穏やかな季節がやってくると、ようやく人々はシェルターから外へと出るようになった。


 もう撃たれる者はひとりもいなかった。


 これからどうなるか皆目見当もつかないが、これまでと違う世界がやってくることは確かなようだった。


 リョウタはと言えば、驚異的な回復を見せていたが、脳の破損が激しく元のとおりにはならなかった。

 彼は言葉を失い、行動は幼子のようだった。それでも厳しいリハビリを絶え、体を動かし元気に走り回れるまでになった。


 彼には身寄りがなかったので私が引き取り養子とした。

 私はリョウタに、リョウタとハヤトの成した偉業の話を毎日聞かせた。リョウタがそれを理解することはもうないのかもしれないけれど、彼が今こうして生きているのはハヤトがいたからなのだと伝えたかったのだ。


 こんな状態なので、本人から接続中のできごとを直接聞き出すことは叶わなくなってしまったが、幸い彼らの脳に埋め込んでいたチップは無傷だったために、我々はサトウ・リョウタとヤマダ・ハヤトが体験したことをそのまま見ることができた。


 私は何度も繰り返して彼らの体験を見続けた。


 彼らの記録によると、彼らはハッキングが成功する前から “MASAKI” と接触していたことが判明していた。

 向こうから接触して来て、探りを入れられ情報開示に至ったという経緯のようだ。


 リョウタは接触早々に自我崩壊が始まり記憶の維持が難しい状態になっていたようだが、ヤマダがうまくカバーしていた様子がうかがえた。


 ヤマダは “MASAKI” にはバレていないと私に報告していたが、何度も彼らの状況を確認するうちに、私は “MASAKI” には全てバレていたのではないかという結論に達した。


 我々が侵入を試みていることを知りながらあえて接触してきて情報を開示した。そうとしか思えないのであった。


 どうして “MASAKI” がそのようなことをしたのか人間の私には皆目見当もつかないが、楽観的に考えれば、“MASAKI” も実はこんなことはやめたかったのではないかという可能性もなきにしもあらず…というところだろうか。


 だが、人工知能は我々人類とは全く別の次元で思考するものたちだ。

 もっと別の、我々には思いもよらない理由があったのではないかと私は考えている。


 だから、こうして人類へ向けられた兵器が動きを止め、人々が警戒をほどいた今でも、私は真に安堵することができずにいる。

 これは仮初の平和なのだろうか。


 リョウタとハヤトが命をかけてつかみ取ったこの自由は偽物にすぎないのであろうか。


 そう思うと私の胸は張り裂けそうになる。


 そんな私の不安をよそに、リョウタは毎日楽しそうだ。


 彼はどこからともなく見つけてきたおんぼろ自転車をシェルター前の広場に持ち出してはグルグルと走り回っている。


 かつて外に飛び出してくる人を撃ち殺していた兵器たちは物言わず、じっとそこにうずくまったままだ。


 リョウタは勝ち誇ったようにはしゃぎ笑い、人類に向けられた無言の銃口の前をまるで春の疾風のようにペダルを踏み込み駆け抜けるのだった。


 それを私は見ている。

 これが永遠に続けばいいのにと祈りを込めながら。


(おしまい)


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この物語はnoteで開催された みんなの俳句・短歌・川柳大会 ライラック杯に投稿された作品を組み合わせて物語をつくる、『ライラックぽん』という企画に作った物語です。


よかったらあとがきもお読みください。


https://note.com/chiyo_bb/n/n8f139ce68180


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