第17話 「本格的に動き始めますか」
声の聞こえた方を向くと、優し気な笑みを浮かべ立っている明人の姿があった。
「間に合って良かったです、依頼人である柳希子さん」
「あ、貴方は確か……。あの、噂の小屋に居た人」
「
明人の優しい雰囲気と声色で、希子は取り乱していた気持ちが徐々に落ち着いて行く。
彼の言葉に伸ばした手を引き、魔蛭に警戒心の込められた瞳を向けた。
魔蛭は”もう、だめだな”と諦め、明人を見る。
「あともう少しだったというのに、良いところで……」
「それは残念でしたね、魔蛭さん」
「きもっ、なんだよその話し方」
「酷いですね、普段から私はこんな話し方ですよ?」
「気持ち悪いわ。まぁいい、お前を呼び出す事には成功した。今ここでお前を殺してやろうか」
希子がいるにも関わらず、そのような事を口にしたため、明人は眉間に皺を寄せた。
彼女は彼の言葉に体をこわばらせ、目を見開く。
その時、遅れてカクリが到着。殺伐とした空気感を肌で感じ、明人を見上げた。
「さすがにそれは怖いですねぇ」
「お前が自殺する形でもいいんだぞ」
「お断りしまぁす」
殺されそうになっているとは思えない程、明人は余裕で返答。カクリは呆れ頭を抱えた。
「なら、無理やりにでも殺してやるよ」
「焦る気持ちはわかりますが、現状を見てください? ここでは誰がいるかわかりませんよ?」
「俺には関係ねぇよ」
「困りましたねぇ」
希子がいる事で素を出せない明人は、焦りを見せずに考える。その隙を逃さず、魔蛭はポケットからカッターナイフを取り出し駆けだした。
「―――死ね」
希子の小さな悲鳴と共に、明人へと振りかぶった。
だが、明人は簡単にひらりと躱す。
立て続けにカッターナイフを振り回されるが、明人は全てを簡単に躱し続けた。
希子から少し離れたところで、明人は振り回されている魔蛭の腕を掴み、動きを封じた。
顔を近づかせ、彼にしか聞こえないような声量で話しかける。
「なんで俺はお前に命を狙われんといかねぇんだよ。理由をはっきりと言いやがれ」
「そうだな。なら、教えてやるよ。お前は自分可愛くて、俺の大事な奴を傷つけた、泣かせた。自分の保身のために、お前はお前を愛してくれている奴を泣かせたんだ。俺の、大事な奴をな」
憎しみの込められている声色に、明人は目を開く。その隙をつき、魔蛭は掴まれている腕を振り払い、カッターナイフを横に振り払った。
――――ザシュッ
明人の腕をカッターナイフが切りつけ、鮮血が舞う。
「って…………」
明人が咄嗟に距離を取り、血が流れ出る腕を抑えた。
彼を見つめ、血の付いたカッターナイフを舐めた魔蛭は、血走らせた瞳を明人に向け、駆けだした。
だが、その足は後ろから放たれる殺気により止まる。
振り向くと、そこには希子の前に立っているカクリの姿。目は見開かれ、体が小刻みに震えている。
息が荒く、何かを抑えているようなカクリの姿に、魔蛭は心臓が大きく飛び跳ねた。
冷や汗が自然と流れ、魔蛭の身体も恐怖で震える。
「今、主は明人に何をっ――」
カクリが苦し気に一歩、前に足を出した時、明人が冷静に名前を呼んだ。
「カクリ」
「っ、明人……」
明人に名前を呼ばれ、カクリは足を止め、彼の冷静な表情を見て、カクリの震える体が落ち着き始めた。
「今日はここまでにしよう。お前も、俺だけが相手なら何とかなるかもしれないが、カクリが動き出したらまずいんじゃないか?」
「…………ちっ」
カクリの豹変に、魔蛭もさすがにまずいと思いカッターナイフをポケットにしまい、その場から去って行く。
カクリが明人に駆け寄り心配の声をかけようとした時、先に明人が話し出した。
「カクリ、あいつを追え。俺もすぐに追いつく」
最初は戸惑ったが、明人の漆黒の瞳に頷くしかなく、不安に触れる瞳を伏せ走り出した。
その場で立ち尽くしている希子に、腕を抑えながら明人は近付いて行く。
「あ、あの、大丈夫ですか?!」
「私は大丈夫ですよ。それより、貴方の方は大丈夫でしょうか? 見たところ、貴方の心が不安定に揺れているように見えます」
明人は笑みを浮かべながら安心させ、次に希子を心配する声をかける。
希子は一瞬戸惑い目を伏せた。明人の質問に答えられず、胸元を強く掴む。
彼女を見下ろしていると、地面にスマホが落ちていることに気づき、拾い上げる。そこには、敦の名前が書かれている連絡帳が映し出されていた。
目を細め、明人は一つのボタンをタップ。数回、呼び出し音が鳴ったかと思えば、すぐに彼女を心配する言葉が機械を通し聞こえた。
『希子!! 希子、無事か!? 頼む、返事をくれ!! 希子!!』
敦の声に、希子はやっと思考が正常に戻る。
「敦……」
『希子!! 良かった、無事だったんだな。大丈夫か、怪我はしていないか? 今からそっちに向かう、場所を教えてくれ!!』
彼の言葉に、希子はすぐに答える事が出来ない。口をパクパクとさせ、明人に助けを求めた。
視線を受け取った明人は、普段の口調で言葉を伝える。
「俺から言える事は一つ、通話先の奴は、お前を本気で愛し、全力で守ろうとしている事だけだ」
明人の話し方が違うことに疑問を持つ余裕がない彼女は、明人を唖然と見つめ返した。
「そんなの、わからないじゃないですか。もしかしたら、敦はまた私の事を……」
今の言葉に、通話先の敦は口を閉ざす。
一度でも、裏切ってしまった事実は変わらない。過去の自分を恨み、敦は下唇を噛んだ。
「確かに、人の感情は変化するもの。今後どうなるかは、俺にもわからない」
「なら、何故そんなことを言えるんですか」
「現状の話しか俺はしていない。今後の話までしてしまえば、誰も口を開くことなど出来なくなるぞ」
明人の言葉に、希子は何も言えなくなる。納得してしまった部分もあるため、返す言葉出てこない。
何も言えなくなってしまった希子は、明人の吸い込まれてしまいそうな黒い瞳から目を逸らしすため、顔を俯かせた。
「現状だけの話をすると、お前の彼氏は自身の大事な記憶を引き換えに、俺の元で想いの匣を開けている」
明人から放たれた言葉に、希子は驚きのあまり目を大きく開き、顔を上げ彼と目を合わした。
「お前にはチラッとしか話していないが、俺の仕事は”依頼人の匣を開ける事”。その匣は様々で、まさにパンドラの匣なんだ。開けた先、何が起きるのか俺でもわからない。匣を開けた事により更生する奴もいれば、ストッパーがなくなりやりたい放題の奴も現れる。それでも、俺は変わらず誰だろうと記憶の一部はもらう。まぁ、それだけでは済まん奴もいるけどな」
目を逸らし、明人は言い捨てる。
過去に様々な人と関わってきたんだと、直感的にわかるような瞳で遠くを見ている。
「こいつは、どのような記憶が消されるのかわからず、自身の身に危険が起きるかもしれない状況に負けず、お前を守りたいという気持ちだけで匣を開けると決断した。お前を地獄から救いあげるため動き、俺の元に来た。自分のことなど二の次で、お前のためにここまでしたあいつを、お前は信じないのか? また、裏切るなどと、考えるのか?」
明人の言葉に、希子は涙の膜が張っている瞳を開いた。
くちをふるわせ、頬に透明な涙が零れ落ちる。嗚咽を零し、その場に蹲り大きな声で泣き出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!!」
嗚咽と共に吐き出される謝罪の言葉、聞いていた敦は何も言えずだんまり。そんな彼に、明人は持っていたスマホに彼女の居場所をそっと伝えた。
数分後、少し落ち着いた希子に軽く別れを告げ、明人はその場から歩き去る。
その場で涙を拭いている彼女に、敦の声が聞こえ振り返った。
「あ、あつっ――……」
名前を呼び、右手を伸ばした彼女の行動を無視し、敦は手に持っていたスマホをポケットへ入れ思いっきり彼女を抱きしめた。
「良かった、本当に良かった。無事で、本当に…………」
彼の声は震えており、鼻をすする音まで聞こえる。
希子は思わず下を向くと、彼のスニーカーがぼろぼろになっている事に気づく。
今まで一緒に行動していた希子は、彼のスニーカーがどのようなものだったか知っていた。
まだ新しく、あまり汚れなどもついていなかったはずと、希子は考え、どれだけ彼が自分を探すため走り回っていたかを知った。
ぼろぼろのスニーカー、濡れているところにも入ってしまったのか、ズボンの裾も泥などで汚れていた。
こんなになるまで探し回ってくれた彼に、希子はまたしても大粒の涙が瞳から零れる。
彼の肩に顔を埋め、ぐぐもった声で何度も何度も謝罪する。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!!」
彼女の謝罪に、彼は目を細め顔を上げた。二人の目線がかち合い、敦は優しく微笑んだ。
「俺は、希子が大好きだ。今回、希子が無事で良かったと本気で思っている」
優しく繋がれる言葉、希子は口を開くことはせず彼の言葉に耳を傾けた。
「今後、確かに何が起きるかわからない。確定されている未来なんてない。でも、これだけは言わせてほしい」
一呼吸置き、彼を真剣な表情で言い放つ。
「俺は、絶対に君を裏切らない。今後どうなるかわからないけど、この気持ちだけは、どんなに長くいても変わらない。俺の気持ちは、絶対に変わらない」
眉を吊り上げ、力強く言い切った敦。希子は、口元に手を当て、またしても号泣。そんな彼女に、彼は再度抱き着き微笑みながら背中を優しく撫でた。
「これからも、俺と共にいてくれるか?」
「う、うん。うん!! こんな、私でもいいなら。これからも一緒に、いさせてください!!」
彼女からの返答に、彼は満足げに笑い、小さく頷いた。
「これからも、よろしくな。希子」
「私の方こそ、よろしくお願いします!! 敦!!」
抱きしめ合い、誓い合う二人。そんな二人を、明人は影から見ていた。
細められた目は優しく、温かみを感じる。口元には、二人を祝福するように笑みが浮かぶ。
傷ついた腕にハンカチを巻き止血。青空を見上げ、こつんと足音を鳴らし歩き出した。
向かった先は、魔蛭が姿を消した方角。明人の口元には先ほど浮かんでいた笑みは無くなっており、瞳は真っすぐ前だけに向けられている。
「さぁて、俺は俺の記憶のために、本格的に動き始めますか。これ以上、面倒ごとが広まらんように――…………」
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