貴方の匣、開けてみませんか?

桜桃

プロローグ

第1話 「俺には記憶がない」

「俺には記憶がない。思い出すため、おめぇの匣を頂くぞ」


 青年が言うと同時に、目の前で頭を鷲掴みされている女性は、大きく目を見開き逃げようとする。だが、青年の手によりそれは叶わない。


 藍色の長い前髪に隠されていた左目を露わにし、青年は隠されていた、闇が広がる瞳を女性の瞳と合わせた。


 闇が広がる瞳に一つの五芒星。目が合った瞬間、吸い込まれるように女性は恐怖の顔を浮かべ、そのまま意識を失った。

 同時に、目を合わせた青年も左目を開いたまま、意識を飛ばし動かなくなる。


 温かな木製でまとめられている部屋で唯一意識があるのは、肩につきそうな長さの銀髪を揺らし立っている少年、ただ一人。


「明人よ、あまり無理するでないぞ。呪いが進行しやすくなってしまう」


 心配そうに呟かれた言葉は誰にも聞かれることなく、虚空へと消えてしまった。



 目を覚ました青年、筺鍵明人は片手に黒い液体が入った小瓶を弄びながら、床に転がった女性を見下ろした。


「カクリ、こいつを外に出しておけ」

「わかった」


 カクリと呼ばれた少年は、意識を失っている女性の腕を肩に担ぎ、ドアへと向かう。

 明人は、小瓶を部屋の中心に置かれているテーブルへと置き、ソファーに横へとなった。


 藍色の髪がソファーのひじ掛けに垂れ、微かに揺れている。白いポロシャツに、ジーンズ。

 

 彼の名前は、筺鍵明人。今いる小屋の主だ。

 先程、意識を失った女性を外へ運んだ少年は、明人と共に暮らしている子供。名前はカクリ。


 小屋の壁側にある本棚には、メンタルケアの本や精神療法の本など。”想い”に関わる本が隙間なくはまっていた。

 奥には、小屋の外に繋がるドアとはまた別の木製のドアがある。


 カクリが外に出てから数分後、ドアが開かれ戻ってきた。


 汗がカクリの銀髪を白い肌に張り付かせており、右手で拭っている。


 白い大きなワイシャツの上に黒いベストを着ており、下は黒いズボン。革靴をコツコツと鳴らしながら歩き、ソファーの上で横になっている明人へと近付いた。


 黒い瞳はぱっちり二重、目を閉じている彼を見下ろしている。


「明人よ、今回の依頼人の匣は、もう手遅れだったのかい?」


 鈴の音のような、耳にすんなり入るような綺麗な声でカクリは問いかけた。


「手遅れというわけじゃねぇ。ただ、匣を開ける価値がねぇと、勝手に判断したまでだ。取り除いた方が、俺的には楽しいしな」

「それにより、依頼人は感情を失い、人形のようになったのだがな」

「それだけの事をあいつはしてきたということだ。ここに来たことを後悔すればいいさ」


 ケラケラと笑いながら口にする。その時、ポケットの中に入っていたスマホが震え、彼は手を伸ばしスマホを取り出した。


 右手の親指で操作し、ニュース画面を開く。再生ボタンを押し動画を流すと、女性アナウンサーの声が聞こえカクリも耳を傾けた。


『〇月×月。午後四時頃。○○町にある林から、一人の女子高生が見つかった。名前は加藤美鈴。昨日の夜から自宅に帰っておらず、捜索願が出されていた。怪我はなく、命に別状はない。だが、加藤美鈴さんは、誰が声をかけても反応はなく、目は虚ろで何も見ていないように感じ。まるで、人形とまで言われている。動かない彼女を、警察は――……』


 アナウンサーの声を聞いた明人は、唇を尖らせ、眉に深い皺を寄せた。

 画面に触れ、同じ場面を繰り返し何度も何度も見る彼の行動を疑問に感じ、カクリは首を傾げ問いかけた。


「どうしたのだ、明人よ」

「……………………なんでもねぇ」

「そうか」


 答えなかった明人に深く聞くことはせず、少年は話題を変えた。


「今回も記憶の手がかりはない。もう数年も同じことを繰り返して、成果はなしみたいだけれど、大丈夫なのかい?」

「他にやりようがないだろ。地道に進めるしかねぇ」

「明人の身体には、悪魔の呪いが刻まれている。時間をこれ以上かけるのは得策ではないと思うのだがね」

「急がば回れ、急いだところで意味はない。もしかすると、次の依頼人は持っているかもしれないだろ。俺の記憶の手がかりをな。それと、俺の身体に呪いをかけた悪魔の手がかりも。運が良ければ、今集めている記憶の欠片で呪いすら解くことが出来るかもしれねぇじゃねぇか」

「記憶の欠片を何か、便利な道具などと勘違いしてはおらぬか?」

「してねぇわ」


 心配そうに見上げて来るカクリを見下ろし、明人は言い切る。彼の言葉に納得できないカクリは見上げ続け、訴えているような瞳を向けた。


 少年の視線が煩わしく思い、明人は顔を逸らし押し返す。


「何をする」

「視線がうぜぇ。今心配したところでどうにかなるもんじゃねぇし、考えても無駄だ。今俺達が出来る事は、”黒い匣”、又は”記憶の欠片”を依頼人から頂く事。俺の記憶の手がかりにならないにしろ、今後何かに使えるだろ。集めるに越したことはねぇよ」


 言いながら彼は立ち上がり、奥のドアに向かおうとする。

 押し返された頭を押さえ、カクリは彼の名前を呼び止めようとするが意味はなかった。


 ドアを開け、明人はそのまま姿を消してしまう。


「…………はぁ、危機感がなさすぎると思うのだがな。命が削られているという自覚はあるのか、明人よ」


 何も聞こえなくなった部屋に、少年のため息だけが響いた。

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