第2話
仕事が終わり、「ただいまー」と玄関を開けるといい匂いが漂ってきた。
この匂いはカレーだ。一気に空腹感が襲ってくる。
ルンルンとリビングへ入ると、キッチンに居た暁が振り返った。
すらっとしたスタイルに紺色のエプロン姿が様になっている。どこかのバーとかで働けば人気が出そうだ。
「お帰り。着替えてきたら」
「うん」
急いで部屋着の短パンとTシャツに着替えを済ませ、食卓に着く。
カレーの香りが食欲を誘う。
今日は忙しくてお昼も少ししか食べられなかったからお腹がペコペコだ。
「簡単なものでごめんね。今日は部屋に籠っていたからあるもので作ったんだ」
と申し訳なさそうにいうが、そんなこと気にしない。むしろあるもので作れるなんてすごいと思う。
「美味しい~。暁は料理が上手だね」
「いや、カレーで褒められても嬉しくないけど」
と苦笑されてしまった。それに大きく首を振る。
「料理は料理だよ」
「……紗希ってひとりで暮らしていた時、何食べていたの?」
暁がボソッと呟いた問いに首を傾げた。
ひとりで暮らしていた時ぃ?
うーんと、と思い返し、言葉に詰まる。
忙しさにかまけて、いつも大抵スーパーのお惣菜かコンビニ弁当だった。
あれは料理を作ったとは言えない。温めたとは言えるけど。
「あー……、適当に作っていたよ?」
「はいはい」
誤魔化したつもりが簡単に流され、暁には見透かされていたのだと今更ながらに気が付く。
だからこそ朝と夜にご飯を作るなんて言ったのだろうか。
料理は昔から苦手だ。
そういえば、高校生の頃。
当時の彼氏のために作ったバレンタインケーキの試食を暁に食べさせたことがあった。
暁は全部食べた後に、「ケーキよりチョコレートの方が喜ぶと思う。ほら、湯せんで溶かして形を作るやつ。あれ可愛いし」とアドバイスをくれ、なるほどとその通りにしたことがあった。
彼氏は喜んでくれたが、暁はその後二日ほど腹痛で学校を休んだと聞いたことを思い出した。
急に思い出した苦い思い出に顔をゆがめ、言い訳のように口をとがらせる。
「作れないことはない」
「わかったって」
そう言いながら目線はテレビに向かっている。
可愛くない!
むぅと睨むがどこ吹く風であしらわれてしまった。
食後に、私の定位置でもある、庭先に面した縁側でくつろぐ。
一日の終わりを縁側でゆっくり過ごすのが大好きなのだ。
大きく伸びをしてリラックスしていると、後ろから冷たいものが首に当てられ「ひゃぁぁ」と間抜けな声がでた。
「なんつー声だしているの」
「びっくりするでしょう!」
抗議して振り返ると缶ビールを持った暁が枝豆とともに立っていた。
「あー! それは!」
「俺の分」
「え、嘘でしょう!?」
驚愕すると「嘘」と苦笑してビールを私に手渡す。ひんやりと良く冷えていた。
「ありがとう。やっぱり仕事終わりにはこれだよねー」
うきうきとプルタブをプシュツと開けてグビッと喉を潤す。
ぷはーと満足していると、隣から呆れるような目線を感じた。
「ねぇ、前から思っていたけど紗希って女子力って言葉知っている?」
「なんだっけ、それ」
とぼけながら今度は枝豆に手を伸ばす。あぁ、至福。
「そんなんだから彼氏が出来ないんだよ」
「余計なお世話です」
「いつからいないの?」
暁もビールを口にしながら聞いてくる。
いつから?
いつだっけ。うーん、と記憶をたどり、ろくでもない元カレにたどり着いてゲッと顔をしかめた。
あれはいまから二年前だ。
付き合って二か月で浮気された。
理由を問いただすと「女の子らしいこがいい」と言われたのだ。
一度、この家に招いて頑張って手料理を振る舞ったが、苦笑され、彼の田舎のおばあちゃんを思い出したと言われた。
そのおばあちゃんは料理が苦手で、味が濃すぎたり薄すぎたりと不安定。
つまりは美味しくなかったという。
そして、別れを切り出された理由が思っていた女性ではなかった、それが決定的だったと言われたのだ。
料理ごときで振られるなんてと当時は憤慨していたが、その彼は家庭的な女の子を求めていた。
自分の母親の様にお淑やかで、料理や掃除や裁縫が得意な女の子がいいと……。
料理の味も彼氏の母親に教えてもらい、同じ味にしてほしいと言われた。
要はただのマザコンだったのだが、私はその彼の彼女基準に満たしていなかったのだ。
「ぶっ、おばあちゃんって」
話を聞いた暁が腹を抱えて体を震わせている。「こいつ」と思わず、隣から足を蹴る。
「笑うなんて失礼な」
「だって」
暁はクククッと目じりの涙をぬぐっている。そんなに笑うことか。口をとがらせ、グビッとビールを飲む。
「まぁ、良かったじゃん。マザコンなんかと付き合っても苦労するだけだよ」
「あ、暁こそ」
「俺?」
「彼女とかに私と住んでいることバレたら大変じゃない?」
彼女が乗り込んできて、修羅場になるのだけはごめんだ。
「いや、いないし」
「え?」
目を見開くと「なんだよ」と不機嫌に返された。
いやぁ、その顔でいないとか説得力にかけるんですけど……。
暁はルックスがとても良い。顔立ちも整って綺麗だし、背も高いしモデル体型だし……。
昔はよく、暁君に渡してとラブレターを預かったものだ。
そんなこともあってか、つい胡散臭そうに見てしまう。すると暁にため息をつかれた。
「去年別れました」
「へー、どうして?」
「……お金目当てだったから」
呟くような声に、あぁと同情的になる。
「あんた、お金なさそうだもんね……」
「……」
うんうんと肩を叩くと、呆れた様な目で見られたがすぐに「まぁいいか」と呟かれた。
何がいいのかさっぱりだが、暁はそれ以上深く話すつもりもないようだ。
「そういえば話変わるけど」
そう前置きしてこちらを見た。
「紗希は、子どもの頃のキャンプの事覚えている?」
「キャンプ?」
急に昔の話を振られ、眉を潜める。なんだって急に昔の話なんか?
やや戸惑いながらも記憶を掘り起こす。
「あぁ、町内会の?」
暁とのキャンプの思い出と言えば、小学生の頃に町内会で行ったキャンプしかない。
あれがどうしたのだろうか。
「あの時の事覚えている?」
「あの時の事って?」
なにかあっただろうか。そもそもそんな昔のことあまり覚えていない。
私が首をひねっていると暁は「覚えてないか」とやや寂しげに呟いた。
「ご、ごめん。あれがどうしたの?」
なにかまずかったのかと思い、慌てて謝ると暁は「いいんだ」と首を振る。
「たいした事じゃないから」
――――――
「倉本、今日飲みにいかねぇ?」
そう笹本に声をかけられたのは金曜日の午後。
営業先から戻ったのか暑そうに顔をハンカチで拭いながら、廊下で声をかけられた。
「今日? うん、いいよ。香苗も誘う?」
「あぁ、そうだな」
二つ返事で了承し、香苗にも連絡するとすぐに『了解』と返事が返ってくる。
いつもの駅前の居酒屋で待ち合わせの約束をした。
飲みに行くから夕飯はいらないと暁にメールをすると、こちらもすぐに『わかった』とだけ返事があった。
そういえば、暁は滅多に外に遊びにいかない。いや、昼間のことはわからないから、もしかしたら昼間に出かけているのかもしれないけど、大体いつも朝も夜も家にいてご飯を作ってくれている。
ずっと家に中にいるのかしら……。
売れるかもわからない小説を書いて? そんなの本当にニート街道まっしぐらではないか。
そう考えて頭を抱えたくなった。
ああ見えて、暁は頭がいい。
有名大学を出ているし、就職だっていいところに行けただろうし、顔だっていいのだから彼女だってすぐに出来るはずなんだろうけど。
どうして小説家になりたいなんて思ったんだろうな。
本はよく読んでいたが、小説家になりたいなんて子どもの頃には聞いたことがなかった。
「それよりも……」
もとから少し草食系タイプだったが、どちらかと言えば堅実的な性格だし公務員とかになりそうだと思っていたのに。
夢など見るのは子どものうちで、大人になったら堅実に行きますって言うかと。
少し冷めたところがあったからそう思っていたけど、意外とそうではなかったらしい。
でも。
親にも連絡せずに、一日部屋に引きこもっている姿はどうだ。
外に出るのがスーパーと家との往復だけは良くないと思う。
26歳のいい大人が、それはまずいだろう。
考えれば考えるほど、暁の将来が心配になってきた。
ニートどころか本当に引きこもりになったりはしないだろうか。
数年後には、○年引きこもった青年を家から出すなんてことにはならないだろうか。
……いやいや、大げさだな。
それはないだろうけど……いや、でも万が一ということもある。
どうしようかと思案し、ああ、そうだとポンッと手を打つ。
明日の休みは一緒にどこかへ行こう。
そうして、少し外の空気に触れさせよう。
そうすればとりあえずは引きこもりへの道は絶たれるぞ。
そう決めるといくらかホッとし、残りの仕事に取りかかった。
集中して仕事をすませ、定時が過ぎた頃に足早に会社を出た。
会社の最寄り駅近くにある居酒屋は、よく飲みに行く行きつけだ。
顔見知りのバイトのお兄さんに案内されて席へ行くと、笹本がこちらに気が付く。前に座っていた香苗が振り向いて軽く手を上げた。
「お疲れ」
「お疲れー」
香苗の隣に座るとタイミングよくビールが運ばれてきた。
グラスに滴が垂れ、思わず喉が鳴る。
「ちょうど来る頃かと思って頼んでおいた」
「さっすが笹本。気が利くね」
軽く乾杯をしてビールを飲む。良く冷えた生ビールはやっぱりおいしい。
缶ビールには缶ビールの良さがあるけれど、こうして外で飲む生ビールはまた一段とおいしかった。
「あー、生き返る」
「おっさんみたいなこと言うなよ。女子だろ女子」
「無理よ、この子にそんなこと言っても」
香苗が苦笑するが、それにあっとグラスを置く。
「それ、暁にも言われた」
思い出してそう言うと、笹本がおつまみに手を伸ばしながら聞いてきた。
「暁って、同居しているっていう幼馴染のか?」
「うん、そう。三つ年下で、弟みたいな可愛いやつ」
家同士の仲が良く、お互い一人っ子だったから自然と姉弟のように育っていた。
「弟みたいって……。でも他人だろ? 平気なのかよ」
「何が?」
「何がって、危機感ない女だな」
笹本が呆れたようにため息をつく。意味が分からずに首を傾げた。
暁相手に何をどう危機感を持つというのか。
香苗をチラッと見るが、香苗はニヤリと笑って空揚げを口に運んでいる。
「その幼馴染は、もしかしたらあわよくばって思っているかもしれねーだろ」
「何よ、あわよくばって」
「だから! もしかしたら襲われるかもしれないだろ」
襲われる……? 私が暁に?
暁のことを思い浮かべて、思わず吹き出してしまった。
「ないない! 暁が私を? まずないって」
「どうしてそう言い切れるんだよ?」
「だって弟のように育ったやつだよ? あっちだって私の事姉のようにしか感じていないって」
「そんなこと、わからないだろう」
いやいや、だからって、暁が私を襲うとか絶対になさそう。
子どものころからぼんやりした、あの暁が私を襲っているところとか想像つかない。
しかし、笹本は納得いかなそうな顔をしている。
「まぁ、せいぜい気を付けて」
「はいはい」
適当に返事を返し、二杯目を頼むと黙ってやり取りを見ていた香苗が口を開いた。
「笹本は心配性だね」
「心配位するだろう。意外とこいつって鈍いから」
「まぁね」
「ふたりともひどい」
ムッと膨れると笹本はため息をつき、香苗は苦笑した。
「まぁでも、ご飯も作ってくれるし掃除もしてくれるし、だいぶ生活的には良くなったんじゃないの?」
「そうなの。暁って意外と器用で、料理も美味しいのよね。帰りにお弁当買う機会がなくなったもの」
暁の作るご飯は美味しい。栄養バランスもよくて、最近は体調が良いくらいだ。
いつでもあの子はお嫁に行けるわ、と頷く。
「生活費はどうしているの? 家賃は暁君が出しているとしても食費は折半?」
「食費?」
ん? と首を傾げてハッとする。
……そういえば、渡していない。
青ざめる私に、笹本が呆れる。
「お前、金渡していないのか? 相手は小説家の卵なんだろう? 金ないんじゃねーの?」
「だよね……」
すっかりそんなこと頭から抜けていた。私はお金を渡していないのだから、当然食費は暁が出している。
家賃に食費……。結構な金額だ。もしかしたら貯金を切り崩しているんじゃないだろうか。
「食費くらい渡していた方がいいんじゃね?」
「そうだね、そうする」
笹本の言葉に大きく頷いた。
――――
「暁、これ……」
「なにこれ?」
家に帰り、暁に封筒を手渡すと驚かれた。
「足りないかもしれないけど、食費」
「食費?」
何を今さらという表情だ。でも今更だろうが何だろうが、渡さなくてはならない。
「いままでごめんね。食費大変だったでしょう?」
「いや別に……、何急に」
「うん、笹本たちと飲んでいて気がついたの。食費渡していなかったなって」
二人分は足りるだろうという額を手渡すが、暁はチラッと中身を確認しただけで、ため息をついてテーブルに置いた。
「別にいらないけど」
「はぁ? 何言っているの。生活費なんだから受け取りなさい」
そう言ってずいっと差し出すと、黙ってずいっと戻される。
ムッとしてもう一度差し出して暁を睨むと、ため息とともに黙って中身を少しだけ抜かれた。
「じゃぁ折半で」
折半でという割には、抜いた金額が少なかった。
「暁はそれで大丈夫なの? お金あるの?」
「なにそれ」
「だって、一緒に生活しているのに暁にお金の負担させるわけにはいかないでしょう。私は働いているんだし。笹本に言われるまで気が付かなかった私も私だけど……。ごめんね」
そう謝ると、暁は低い声で言った。
「……つーか、笹本って誰?」
「え? 同期だけど」
あれ? なんか怒っている?
面白くなさそうに手元のお金を見つめる暁。
「女? 男?」
「男。女の私よりよく気が付くのよね」
苦笑して机に手をつきカックリと肩を落としてみせるが反応はない。
あれ? と顔を上げると暁は不機嫌そうに私を睨んだ。
え? なんで怒っているの?
「え、暁?」
「……心配いらない。俺は別に金には困ってねーよ」
「何それ、バイトでもしているの?」
そう尋ねるが、暁はため息をついて答えずに、黙って二階へ上がって行ってしまった。
「なによあれ」
なんで怒っているのか理解できない。
昼間にバイトでもしているのだろうか。だからお金はあるとか?
お金のことを色々と言われて男としてプライドが傷ついたとか?
それならそうと言ってくれなくちゃ。
でも今の時代、男が稼ぐとか関係ないでしょう。
暁の起こる理由が何だか全くわからなかったが、一つだけ、これだけはわかる。
明日の休みに一緒に出かける誘いがしにくくなったということだ。
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