縁側で恋を始めましょう
佐倉ミズキ
第1話
「紗希はどうやって殺されたい?」
夏の爽やかな朝。
朝食の席で目の前の男は真剣にそう話しかけてきた。
唐突にそう聞かれ、私は飲みかけていた味噌汁を軽く吹き出す。
慌ててティッシュで口元をぬぐった。
あぁ、よかった。飛沫は大して飛んでいないようだ。
先日購入したばかりのスカートもブラウスも無事だ。
これから出勤なのに、汚さなくてよかったとホッとする。
しかし、と顔を上げる。
こいつは朝からなんてことを聞くんだ。
私はじっとりした目で、物騒な発言をした男を見つめた。
男は私の反応など気にも留めずに、端正な顔をこちらに向けて、質問の返事をただ待っている。
思わずため息が漏れた。
「死にたくないんだけど」
「それは無理だ。死ぬことは決まっている」
重要なのは殺され方なんだ、と顔をゆがめてサラサラの黒髪を片手でワシワシとかき乱した。
ぐしゃぐしゃになった前髪の一部がピュンと跳ね、なんとも可愛らしい。
しかし、どうやって殺されたいかなんて発言は月曜日の朝からする話ではないし、はたから聞けば物騒極まりない。
幸いにも家から見える道路に人通りはなかったが、とりあえずご近所さんに聞かれなくてよかった。
男はそんなこと気にも留めずに、早くしろと餌を目の前に待てをされた子犬のような目をしている。
仕方ないなぁと呟き、大きく開け放たれた窓から庭を見つめた。
う~ん……。
「そうだな、熱中症」
「は?」
庭に差し込む夏の日差しに、今日も暑くなるのかとうんざりした気持ちを持ちながら呟いた。
「今の季節なら熱中症かな」
「何それ。殺され方聞いているんだよ? 熱中症でなんて……」
非難めいたその眼がハッとしたように大きく開かれた。
そして、ほとんど手つかずの朝食をそのままに、男は急いで二階へと駆け上がっていった。
その姿を見送り、私は残りの朝食を平らげて流しへ置く。
洗面所で歯を磨き、口紅を付け、セミロングの髪を後ろでひとつに縛った。
そうして出勤の準備を済ませると、階段の下から二階へと声をかけた。
「暁(あきら)ー。私もう行くねー」
「んー」
生返事が聞こえたがいつものことと、靴を履いて家を出る。
一軒家の家の門を出て二階を見上げると、窓の側で一心不乱に机のパソコンに向かう暁の横顔が見えた。
あくびをかみ殺して通いなれた会社のエントランスを抜けると、後ろから聞きなれた声が呼び止めた。
「おはよ、紗希」
同期の水島香苗が笑顔で立っていた。
耳の下で揃えられた髪が爽やかに揺れている。今日も化粧バッチリで、抜かりはない。
「おはよー」
やや機械的に返事をすると、香苗は私の腕を掴み、内緒話をするように顔を近づけた。
「ねぇ、知っていた? 受付の矢部さん。堤フーズの営業と結婚して辞めたって」
「うそ!?」
チラリと受付に目をやるが、噂の矢部さんはいない。
話したことはなかったが、確か20代前半で髪の長い可愛らしい子だった。
社内でもそこそこ人気があったようだから、結婚に嘆く男性社員も少なからずいるだろう。
しかし、堤フーズはウチのライバル会社の一つだ。
そこの社員と結婚とはなかなかやるな。
「きっかけは合コンらしいけど、結婚後はさすがに居づらいって退職したみたい」
「そりゃそうでしょう。私でも無理だわ」
ウチの会社は、お菓子会社で世間的にも名前が通っている大手メーカーだ。
季節ごとのお菓子や、昔から変わらない定番商品も豊富。
そこに競うように常に名前を並べるのが堤フーズである。
そこの社員と結婚して、ウチで仕事を続けるのは何かと大変だろうな。残念だけど、辞めて正解かもしれない。
「でも結婚か。いいなー。私たち今年29歳だよ、どうする」
香苗が羨ましそうに呟いた。
どうするって……。
それには同意の前に反論させてもらう。
「彼氏持ちが何を言うか」
香苗は同棲中の彼氏がいる。
結婚したいのにプロポーズされないといつも嘆いているが、彼氏なしの私に言うセリフではない。
私のジト目に気が付くと慌てて手を振って謝った。
「ごめん。でも、紗希だって」
「私?」
「同棲中の幼馴染はどうなのよ」
ニヤリと笑う香苗に反論しようと口を開くと、後ろから驚くような声が聞こえた。
「倉本が同棲? ついに彼氏でも出来たのか?」
その声に振り向くと、これまた同期の笹本祥平が目を丸くしていた。
スーツの上着を片手に持ち、塩顔で短髪の爽やかな雰囲気の彼は私たちの横に立って、一緒にエントランスでエレベーターを待つ。
営業課の笹本は、忙しいながらも私や香苗とよく飲みに行く飲み友達だ。
因みに、私は企画課、香苗は広報課である。
入社した時から妙に馬が合い、同期内でも特にこの三人でいることが多かった。
香苗には先日、飲んだ時に暁のことを話していたが笹本にはまだ話していなかったため当然の反応だろう。
「だから、同棲じゃなくて同居! 暁は弟みたいなもんで、そんなんじゃないってば」
私がそう反論すると、香苗が「でもー」とニヤニヤしながら言う。
「小説家なんでしょう? 凄いじゃない」
「いやいや、あんなのどこまで本気なんだか知らないし。はたから見れば家に籠りきりのただのニートだって」
「ひどい言い草」
香苗は苦笑するが、あれをニートと言わずなんという。
朝のことを思い出し、ため息が出た。
今朝、物騒な発言をしていたのは、幼馴染で同居中の冴島暁。
三歳年下の26歳。
自称、小説家だ。
というのも、私は暁の書いた本を読んだことがないし、ペンネームすら知らない。
だから、暁の本が売れているのか、そもそも出版しているのかすら知らない。
暮らし始めてすぐにペンネームや本のタイトルを聞いたところ、眉を潜めてから「教えない」と一言。
暁がしている仕事関係を訊ねても一向に教えてくれないのだ。
ジャンルは、たぶんミステリーかサスペンス。
それも、ああして時々物騒なことを聞かれるから推測しただけだった。
初めこそああいう発言にギョッとしていたが、同居して二週間も経てばそれも少しずつ慣れてきた。
私の予想は、きっと小説家の卵といった感じだろう。
いや、一度は雑誌に載ったけど以降は売れない小説家だったりして……。
だちらにしても、夢を追いかけるのは本人の自由だし他人が口出すことではないが、小説家一本で生きて行こうだなんて不安定だ。
あぁやって一日部屋に閉じこもっているのも不健康だし。
ただ、姉弟のように育った私としては暁の行く末が心配ではあるが口出しもしにくいというのは本音ではある。
「お前、この前飲んだ時は一言もそんな話していなかっただろ。いつから一緒に住んでいるんだよ?」
仲間はずれが面白くないのか、笹本はムッとしたような表情をしている。
笹本と最後に飲んだのは半月以上も前なのだから知らなくて当然だ。
暁が来たのは……。
「二週間前。しかも突然」
「あの一軒家にか?」
一度、笹本は香苗とウチに飲みに来たことがある。その家を思い出しているのだろう。
黙って頷くと「マジかよ」と渋い顔をされた。
「まぁ、仕方ないんだけどね。そもそもあの家は暁のおばあちゃんちだから」
「あ、そうなの? それじゃぁ追い出しにくいね」
香苗に頷き到着したエレベーターに乗り込んだ。
あの家は暁の亡くなった祖母の持ち物である。
それを私が社会人になってから、特別に暁の両親に安値で借りて住んでいた。
私は昔からあの家が大好きだった。
二階建ての日本家屋。畳の部屋。庭を眺めながら縁側で寛ぐ時間。都会なのに田舎にいるような穏やかな空気感。
だから暁のおばあちゃんが亡くなって、あの家を人に貸し出そうかと思うと聞いた時、真っ先に手を上げたのだ。
暁の両親も、よく知る私が相手なら大事に使ってくれるだろうと二つ返事で承諾してくれた。
しかも家賃までも少し安くして。
そんな思い入れのあるあの家で、仕事が終わって縁側でビールを飲む時間が私の最高のリフレッシュ時間だったのだ。
それなのに……、それなのに!
ひとりでこの大好きな場所を独り占めしていたのに、それがぶち壊されたのは二週間前。
突然、何の前振れもなく暁が大きな荷物を抱えてやってきた。
あぁ、その時のことを思い出すと今でも頭が痛くなる。
――――
「久しぶり、紗希」
「暁?」
夜の10時過ぎ。
一日の仕事を終えてシャワーを浴び、缶ビール片手に部屋着でくつろいでいた私は、その訪問者に唖然と口を開いた。
玄関に立つ男はニコリともせずに淡々と片手を上げて挨拶をする。
最後に会ったのは、私がこの家に住む前だから六年前。
綺麗な二重の端正な顔立ちは昔のまま、背の高さも変わらず。前髪が長めだが、サラサラの黒髪も相変わらずだ。
大学生の頃とは違い、幾分大人びたようだが、彼の持つ雰囲気は変わらない。
幼馴染で弟のような暁。
変わらない彼に、六年ぶりという感覚はすぐになくなった。
しかし、今は再会を喜んでいる場合ではない。なにか良からぬ空気に顔が引きつる。
「久しぶりって、え? どうしたの急に」
そろりと視線を下げる。
暁の足元にあるボストンバックに嫌な予感がして冷や汗が流れた。
まさか……、まさか、まさか!
「俺も今日からここに住むから」
「はぁ~!?」
半分予想していたその答えに非難めいた驚きの声を上げる。
ここに住むってどういうことよ!
唖然とする私をしり目に、暁はどこ吹く風というように靴を脱いでずかずかと中へ入っていった。
それを慌てて追いかける。
「ちょっと待ちなさい! 私そんなこと聞いてないよ!」
「誰にも言ってないから。いいだろ、この家はウチの持ち物なんだし」
「いや、そうだけども。でも突然そんなこと言われても困るって」
つい強い口調で暁に向かって言うと、荷物を床に置いた暁が振り返る。
「何? 男とでも住んでいるの?」
淡々とそう聞かれて、グッと言葉に詰まった。
「それは……」
一緒に住むような男もいなければ、悲しいかな。連れ込む男すらいない。
そんなことを見透かしたようにフンと鼻で笑われた。
「じゃぁいいじゃん」
いやいや、よくない!!
それとこれとは別だ。
悠々自適にひとりで暮らしていたのに、他に人がいるとペースが乱れるし落ち着かない。
というか、何で急にここに住もうと思ったんだろう。
そもそも、事前になにかしら連絡はできたはずだ。
もちろんそんなことしてきたら、即断っていただろうけれど。
私は頭を抱えながら、暁を手招きした。
「ちょっとまって、暁。とりあえずそこに座りなさい」
「なんで」
「いいから!」
そう言って、不満そうな暁の腕を掴んでリビングのソファーに無理やり座らせた。
そして腕を組んで暁を見下ろす。
ここは年上として、ビシッと言ってやらねば。
「ちゃんと説明しなさい」
「説明って、だからここに住むんだって言ったろ」
「そうじゃなくて。ねぇ、おばさんたちはこのこと知っているの?」
そう聞くと暁は目を逸らす。
その反応にため息が出た。
そういうことか。ここの大家でもある暁の両親はなにも知らないってことね。
「ちょっと待って。とりあえずおばさんたちに連絡を……」
「やめろ」
取り出したスマホを暁が抑え込むように手で制止した。
その手の大きさと耳元で聞こえた低い声にドキッとする。一瞬だけ、知らない人のように感じた。
目線だけ暁に向けると、真剣にしかし縋るような目で私を見ていた。
なんて顔をしているの……。
「母さんたちには黙っていてほしい。俺がここに居るのは秘密にしてほしいんだ」
「なんでよ」
暁は俯き、それには答えない。もうため息しか出なかった。
暁は一人暮らしをしていたはず。
「住んでいた家は?」
「解約した……」
部屋にあった荷物は近々ここに届くのだという。
勝手な行動に唖然とするが、だからと言って急に住むと言われて頷けるわけがない。
ここの契約者は暁ではなく暁の両親なのだから、いくら息子とはいえ、大家に一応は報告すべきではないだろうか。
そもそも急に部屋を解約してここに転がり込んでくるなんて……。
どういうわけか問いただすが、「ここに住みたかったから」としか答えなかった。
住みたかったと言われても……と、どうしたものかと困っていると暁は閃いたように手をポンッと叩いた。
「紗希はこの家の家賃を払っているんだよな」
「そうよ。格安だけどね」
「俺を置いてくれるなら、その家賃はなしでいい」
本当!?
その提案にパッと顔を上げた。すると暁はニヤリと口角を上げる。
あっ、しまったと思ったが、もう遅い。
「格安だって言っても、毎月何万か払っているんだろ? それを俺が払って、紗希はなしにすることだってできる。ついでに、朝と夜の食事も俺が作ってもいい。なんなら掃除も俺がする」
「ほ、本当に?」
暁の提案にごくりと唾をのむ。家賃なしに食事つき。料理が苦手な私にはおいしい条件だ。
しかも掃除までしてくれるなんて。正直、ひとりで一軒家の掃除はなかなか大変でマメに出来ないのが現状だった。
暁の提案は美味しい話だ。
同居しても暁の両親に黙っていればいいだけか。暁の両親がここに訪ねてくることはそうそうない。つまりは難しいことではないのだ。
しかし……。
「でも、暁だって仕事があるでしょう?」
暁だって社会人だ。
何の仕事をしているかは知らないが、仕事があるのに食事も掃除もやる時間なんてあるのだろうか。
「自営業で家にいるからなんてことない」
「自営業?」
首を傾げると、暁は頷いて床に置いていたボストンバックを持った。
「俺、小説書いているんだ」
「……は?」
目が点になった。
「なぁ、二階の空いている部屋使っていいだろ」
「あ、うん」
頷くと暁は荷物とともに二階へ消えていった。
驚いてつい頷いてしまった。これでは了承したと同じではないか。
もう、仕方ないなぁ……。
その背中を大きくため息をつきながら見送る。
でも今、小説書いているって言った?
暁……、小説書いて生活しているの?
つまり外で働いていないってこと?
そもそも、小説書いて食べていけているの?
もしそうなら、暁の両親やウチの親から話を聞いているはずだ。
でも、時々実家へ帰るが、暁が小説家になっただなんて一度も聞いたことがない。
つまり……、小説家は夢もしくは小説家の卵ってこと?
あのこ、26歳にもなって何やっているの……。
自然とため息が出た。暁の両親にも言うなっていう意味がよくわかった気がした。
そんな幼馴染に頭を抱えたが、しかし、二週間もすれば暁のいる生活にあっという間に慣れた。
ペースが乱れるとか思っていたけど、そんなことはなく……。
朝と夜にちゃんとしたご飯が出て、掃除の心配もない。(自分の部屋だけは立ち入り禁止だから汚れているが)
ある意味、今までよりも快適だった。
そもそも暁という幼馴染相手だから変に気を遣うことなんてほとんどないし、何の支障もない。
洗濯物は自分で、という細かいルールさえ決めれば、暁のいる生活は苦でもなんでもなかったのだ。
むしろ、夕食後に暁とビールを飲みながら縁側で話すのが楽しみだったりする。
慣れって怖いなー、と思いつつ「今日の夕飯は何かな」と夕食に想いを馳せるのであった。
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