井戸に落ちる小石は二度と拾えない

藤前 阿須

東路大治郎のゴールデンウィーク

 私の名前は東路大治郎、三十代後半の男性だ。結婚は一応しているが、仕事に集中するため、現在別居中だ。

 この東路大治郎という名はそこそこ有名なミステリー作家だ。私の本は書店に行けば、何処かにあるほどの人気作家だ。そして、私はいつもミステリーのアイデアを日常的に探している習慣がついている。いや、探してしまう習慣という言葉がこの場合、正しい。何せ四六時中、小説のことばかり考えてしまうような人間がこの東路大治郎という男なのだから。

 さて、そんな私だが、とある出来事で精神的病んでしまっている。そのことの起こりはGWのど真ん中の日である。






 5月3日時刻20:43

巷ではGWで連休を楽しむ世間を横目に私は新宿のある居酒屋に入店した。

 コロナで疎遠となっていた、高校時代の旧友と久々に会おうと連絡が来たからだ。私自身、何か閃くものがあるように感じたため、喜んでその誘いを受けたのだ。

「おお、東路か。久しぶり!」

「お前、東路かよ。ダンディーになりやがってこのやろう!」

「男前になったじゃないか、東路。」

「皆、久しぶりだな。」

 案内された席には既に私を除いた旧友メンバーが勢揃いしていた。既に片手にはビールジョッキを掴んでいた状態でだ。赤井大智、大辻晃、犬塚玄弥。かつて青春の苦楽を共にした懐かしいメンツに胸が熱くなった。私は席につき、この店人気の焼き鳥料理とビールを注文した。程なくしてビールが先にドンと置かれた。そのタイミングで大智が話し始める。

「今日は集まってくれてありがとう。それでは、この再会を祝って乾杯‼︎」

「「「乾杯ッ‼︎‼︎」」」

 そして、私達は近況報告や仕事について、高校時代の思い出なんかを喋り出した。




5月4日時刻23:29

「でさぁ…。」

「あれは一生忘れられねぇよ。」

「アレは笑った。」

「いい加減、忘れてくれよ。」

 私達は夜が深くなる中、酒の席を楽しんでいた。青春のやらかしエピソードで花を咲かせては笑ったり、恥ずかしがったりする、心地よい話で盛り上がっていた。

「じゃあ、俺そろそろ帰るわ。」

「犬塚、お前明日仕事だっけ?」

「まぁそれもあるけど、終電超えたくないからな。お先に。」

「じゃあね。」

「良い夢を!」

 犬塚が居酒屋の暖簾を出て行く。





 数十分後、今度は大智が軽い口調でこんなことを言い始めた。

「ああ、そうだ!今からさ、俺んち行かない?」

「なんだよ、急に。」

「そうだぞ。お前んちに行ったってなんも面白いことねぇだろ。」

「実は俺の家、なんか呪われているみたいだからさ。心霊現象が見れるんだよ。」

「なんだそれは。」

「おい大智。もう少しましな嘘がつけないのか?」

「いやいやまじなんだよ、まじ。3日前、まじで見たんだよ。俺と同じくらいの中年男性の霊が。」

「またまた〜。」

「嘘じゃなくてまじな話。2日前は勝手に電子レンジとエアコンが起動しちゃって、昨日なんか誰もいないはずのベランダの窓を叩く音が聞こえるんだよ。それも夜中2時ごろに決まって起こるんだよ。気味悪いだろ。」

「確かにな。」

「冗談、では無さそうだな。」

「だから、今週中に除霊をしてもらう予定なんだよ。」

「そうか。なら良かった。」

「確かにな。」

「いや、待て待て待てぃ!何がよかっただよ。興味ないのか、心霊現象。」

「興味はあるぞ。」

「右に同じく。だが、そんなものがあるのか?」

「お前ら、俺の言葉を疑ってるな!」

「疑うも何も。」

「そんな非現実を信じろっていわれても、ねぇ。」

「よおし、そこまで疑うんだったら、今からうちに来いよ。俺以外住んでいないから大歓迎だぜ。」

「そこまで言うんだったらねぇ。」

「行くしかないか。心霊現象とか滅多に見れないしね。」





 5月4日時刻01:49

 俺たちは飲んでいた居酒屋を出てから足立区の大智の住むマンションに到着した。ただし、犬塚は明日仕事らしく、一緒に来ることもせず、居酒屋で別れた。マンションのエレベーターに乗る頃には私の酔いがかなり薄れて視界がクリアになっていたのだった。大智の住む408号室の扉を開けて中に入る。

 大智は3LDKの自宅の中に案内してくれた。奥さんと二人の娘さんとは仕事の関係上別居しているらしい。月に一回会いに行くのが彼の通例だそうだ。

「少し汚いが我慢してくれ。」   

 確かに彼の自宅の洗濯機には目に見えて衣服が入ったままだし、キッチンには数十ものカップラーメンの残骸があったため、汚いと言えるだろうが、許容範囲だっため、スルーした。

彼からは照明をつけて、ソファーに腰掛けた。俺たちは椅子もないので、床で胡座をかいた。シーンと静まりかえった深夜のリビング、真っ暗な外、人生半ばのおっさん三人、明かりに照らされたこの場所で缶ビールを飲むわけでもなく、心霊現象が起こるのを見るために集まるなんて今後、早々ないだろう。

「それで。その心霊現象ってのはどこで起こるんだ。」

「ここだよ。このリビングで毎回心霊現象が起こるんだよ。」

「深夜2時キッカリだっけ?本当なのか。」

「わからない。だが、連日、心霊現象が起こっているんだ。今日も何か起こる可能性は充分高いと思う。」

「ふぅーん。そういうもんかねぇ。」

「心霊現象に確実を求めるのは馬鹿げてるよ晃。」

「…………まぁ確かにな。」

 大智が立ち上がり、伸びをする。晃も立ちあがろうとしたが、酔いがまだ回っているのか、うまく立てないようだ。まあ、意思疎通ができるくらいに酔いが冷めているようだから問題無さそうだが。

「なんにせよ、俺の部屋に旧友二人を招待できて嬉しいよ。これも俺が呪われているからだな‼︎」

「なんだよそれ。お前が呪われていることと俺たちがこの部屋にいることは関係ないだろ。」

「そうだぞ、大智。なんだったら、今日の再会のパーティはここでも良かったんだぜ。」

「いや流石にここは狭いから不向きだろそれは。」

「あ、そうだな。あはははは。」

「ちなみに今は何時だ、大智。」ははは

「ん。ああ、深夜1:59頃だよ。」あはははは

「そうか、そろそろだなぁ。」

アハハハハハハハハハ‼︎‼︎

「晃、いい加減に笑うのをやめろ。怒るぞ!」

 私が腹を押さえて笑い転けて晃の肩を掴んで揺さぶった。しかし、晃の様子がおかしいことにすぐに気づいた。

 呼吸が上手くできていないのだ。口をあんぐり開けて連続した笑い声を出す中で呼吸をしていないのだ。顔はだんだんと蒼白へとなって行き、早くなんとかしなければ、晃が窒息死してしまいそうだ。

ガハ、アハハハ、ハハハはっ、アハハハハハハはっ、、アハハハハハハハハハハハハハハハハハァァァァァ‼︎

 全身の汗が抜けてしまうような未知の恐怖。私は人生で一番の叫びで大智に命令した。

「大智ッ‼︎早く玄関のドアを開けろ‼︎‼︎」

「お、おう。」

アハハハハハハハハハハハハハハハ!

 大智は腰を抜かし、転けながらも玄関の方向へ駆け出した。パチパチ

 私は笑い続ける晃の身体を引きずるように玄関へと急いで運んで行った。パチパチパチパチ

 それを見計らってなのか、部屋全体で劇場の終わりに聞く拍手喝采のような不規則な手拍子が鳴り響き出した。プシャーパチパチパチパパチチパチパチパチパチパチパチパチパチパパチパチパチチパパチパチチパチパチ…。

 止まらない拍手に鼓動が四方八方に動き回る。手はいつのまにか震えていてだんだんと全身が痺れて行くような危険信号が止まらない。

「ぅ、うわぁぁぁぁガァぁダァアあぁぁぁあああああっッッッッッ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」

アハハハハハハアハハハハハハアハハハハハハハアハハハアラハハハハ!

 全身が鳥肌で埋め尽くされる。引っ張っているのに上手く進まないっ!たった数メートル間を引っ張るだけなのに永遠の時を与えられたような時間感覚、短いはずなのにキロメートル以上あるような距離感覚、今の私はバグってる。今までに感じたことのない量のストレスで私の行動はオットセイといい勝負をするくらいの運動だった。

ガチャッ

「東路!開いたぞ。急げ!」

ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ………

 今度は木の床が振動し始めた。地震が起こったかのように一斉に床が鳴き出したのだ。そして、私はここに正常な判断ができないほどの幼児退行を醜態が露わになってしまった。ハイハイすらもままならない生まれたての赤子、地面に立つことすら難しい生まれたての子鹿、そして私はこの恐怖を初めて経験した生まれたての臆病者だ。

アハハハハハハハハハハハハハハハ!

「あ、あああ、ああああああぁぁぁ‼︎」

「東路!しっかりしろ。一緒に引っ張るぞ。せーので渾身の力を後方へと込めろ!」アハハハハハハ!

 筋肉痛も厭わないありったけの脚力を発揮する。

せーの!….ドン。

ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ……




……

…………

………………。

 怪奇現象だと思っていた、呼吸音が自分から出ていると再認識したときには、既にあの身の毛もよだつほどの恐怖の音はきこえなくなり、代わりに背中を打ちつけた痛みが主張を始めたのだった。開きっぱなしの玄関口から見えるのは、入ってきたときと同じ風景で自分達が酔っ払ってみた幻聴だったのではないかと思ってしまう。

 ガタンと音がして大智を見る。彼は全身から汗が吹き出していて、顔は蒼白、力が抜けたのか、膝をつき、正座座りになっている。どっかにぶつけたのか、顔に擦り傷が付いていた。

「……なんだったんだ?今のは?」

「わからない。……ただ一つ言えることはここにいる全員が無事だということだ。」

 へぇーはぁーへぇーはぁーへぇーはぁーへぇーはぁー…

晃が苦しそうに呼吸を再開した。

「東路、とにかく、晃を病院に連れて行こう。幸い近くに病院がある。すぐに連れて行くぞ。」

「ああそうだな。まずそれが最優先だな。全く酷い目あったよ。」

「そうだな。……俺も家に帰れなくなっちゃったよ。今日は病院に泊まるかなぁ。」

「ああそれがいい。行くぞ。」

「…………俺が連れてきたばかりにすまないな。」

「気にすんな。誰にも予測できないことだったんだからさ。誰のせいでもない。」

 大智がボソリと言った言葉を私はなんてことのない調子で返す。俺たちは呼吸困難な晃を担ぎ、病院に急いだ。







 5月4日時刻06:32

 目が覚めた場所は病院だった。しかもベットの上。訳がわからないが、考えようにも酒のせいか頭がぼんやりしてズキズキしてしまう。そこで数時間前、無事晃を病院に連れて行った俺たちはスタッフに晃を預けたことを思い出す。辺りを見回してみると、大智の姿が見えないことに気づいた。一体どこへ行ったのだろう?

そう思っていた時、丁度タイミングよく、犬塚玄弥がやってきた。

「おはよう東路。調子はどうだい?」

「ああ、元気だよ。」

「そうかそうか、君はそういう状態なんだな。」

「エーミールかよ。」

 懐かしい国語の教科書のオマージュをどうもありがとうと心の中でつっこむ。全く、太陽が出ているからってこんなにもテンションが変える玄弥を久々に見てスポーツカー並みに驚いてしまう。

「さて、そんな元気そうな君にグットニュースとバットニュース、どちらから聞きたい?」

「なんのニュースだか知らんが、グットニュースから頼む。」

「OK.君が救急搬送された後に色々検査した結果、君は無事今日を持って退院することが決定したよ。よかったな。」

「?それはどういうことだ。」

「どういうことも何も昨日、集まった居酒屋にトラックが突っ込んできて偶々会計に足を運んでいた僕以外の君たち三人も巻き込まれたんだよ。君は後方の方にいたみたいだから、ぶつかってきた衝撃で跳ね飛ばされ、壁に頭を強く打っては意識を失う程度ですんだらしいよ。全く、幸運だな。」

「それじゃあ、私達は大智の家に行っていないのか?」

「???なんだそれ?僕そんなの聞いてないぞ!」

「あぁそう言えば、お前が出ていた後だったな、この話は。」

「ふぅーん。まぁいいさ。とにかく君は無事に退院、おめでとう‼︎」

 つまり、私が経験した恐怖の心霊現象は夢だったってことか。

「それで?バットニュースってのはなんだ?」

「そ、それは……。」

 玄弥が俯き、ゴニョゴニョ言い始めた。全然言葉が聞き取れない。

「玄弥、バットニュースはなんだ。」

「それがその……晃も大智も手足の骨折だけじゃなくて二人が精神健康的に病んじゃったことがバットニュース。……なんか二人して変なことを言っているんだ、呪われたって。」 






 井戸に捨てた小石はもう戻ってこない。捨てたつもりがなくとも落ちてしまえば、それは捨てたも同然だ。

 私たちは偶然の事故に巻き込まれ、必然のような悪夢を見た。それが何を意味していたかは誰にもわからない。とてもよくわからない夢だったし、トラックが激突する前にどんなふうな会話をしていたのかすらも思い出せない。よくわからないから私はそれを二度と戻ってこない小石だと勝手に結論付けた。もう二度と経験することのない夢の記憶だと。

 確かに言えるのは、東路大治郎、赤井大智、大辻晃の3名は精神的なケアが必要そうだということだ。病室から見える白い朝日はゴールデンウィークの楽しさを不幸な私に見せつけているようで忌々しくも輝いていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

井戸に落ちる小石は二度と拾えない 藤前 阿須 @336959642882

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ