君の言葉は魔法だった

大甕 孝良

春には手が届かない

第1話

 春。別れの季節。出会いの季節。


『――という事故がありました』


 多くの人が新しい生活を始める。


『この高速道路では――』


 耳障りな音を立てて椅子を引く。その手は確かに男のものだった。


「やぁね、みんな好き勝手噂して」


「アタシ達も似たようなもんでしょ」


 うるさいなぁと呟いてから腰を下ろす。派手な衣装に派手な化粧を纏った男。


『――二十歳の長女は意識不明の重体です』


「嫌な世の中だ」


 思わず呟いたその声は、男のものにしても低いものだった。目の前のテーブルを適当に布巾で往復させる。それから大きくため息をついた。


「掃除終わったんですか?」


「やぁね、まだよ」


 先終わらせてください、そう言ってテレビを消すと、カウンターの奥に消えた。



―春には手が届かない―



 アラームが鳴って飛び起きる。この音を聞けば焦って起きるようになった身体に嫌気がさす。行きたくないな、なんてどうせ行かないという選択をしないくせにそんなことを呟いた。


「夏は嫌いだ……」


 春もなんだか生ぬるい感じが好きじゃないが、それ以上にこの暑い夏が嫌いで仕方がない。クール・ビズだとか言われて薄着をして、クーラーの効いた寒い部屋と暑い外を出たり入ったりして身体は重く怠くなる。


 いつも通り、スマホを手に取りSNSを開く。たくさん送られてきているメッセージの三分の一は応援で、三分の一は批判で、残りは疑念の声。大体なんなんだ、彼女がどうとか。そんな存在しないもんに何故こんなに振り回されなきゃいけない。その彼女像も、三者三様。未成年とかビッチとか人妻とか。そんなのどこで出会うんだ。毎日会社に通い、帰ってきたら生放送やら録音やらしているっていうのに。


 俳優でもタレントでも歌手でもなく、知名度が期待以上に上がってしまった動画投稿者。ほぼ素人なのだ。やめてしまおうと何度思ったことか。築いてきたコミュニティと応援してくれるファンを手放せなくてここまでズルズル来たけれど、こうなってくるともう頑張る方が馬鹿らしくなってくる。


「少し離れるか……」


 その旨を過ぎるほどに簡潔に書き込んで仕事の支度に戻る。何をどうしたら、もう少しマシな生活が出来るんだろうか。



 離れることを緩く宣言して、一日仕事してみたが、良くも悪くも心は何も変わらなかった。せっかく生放送も録音も録画もしなくていいのだから、とフラフラしながら帰っていたらいつもなら通らない道を歩いていた。


「こんなとこ初めて来たな……」


 ふと目を向けたところに、なにか興味を惹かれる明かりがあった。その光に吸い込まれるようにドアを開けると、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。雰囲気は、敷居の低いバーのような感じ。


 お好きな席へどうぞ、と丁寧な口調の低い声は、どうやらこの派手な女装をしている人から出ているらしい。


「笑顔引きつってるから、もうちょっと頑張って」


 そのすぐ側のカウンター席には若い女の子が座っていて、大きな声で笑っていた。


「うるさいわね」


「おにーさん、一人ですか?」


「え、ああ、まあ」


 状況がイマイチ分からず返事に困っていると、席を勧められた。なんでこんな所に若い女の子が一人で、なんて思いつつもその席に座る。


「おにーさん、ここがなんなのかも知らず入ってきたクチでしょ?」


「あんたも変わんないでしょうが」


「私はハル。このオカマさんは悠未ゆうみさん」


 そのオカマさんをひたすら無視して、ハルという女の子は喋り続けた。


「オカマさんってなによ」


「おにーさんのことはなんて呼べばいいですか?」


 笑顔を向けられドキドキする。こんなふうに職場以外で異性と会話するのはいつぶりだろうか。


「こういうところでは、本名って名乗らない方がいいのかな?」


「好きにしたらいいと思いますけど。本名だって言わなきゃ、それが本名かもわからないですし」


 なるほど。若いのに、この空気に慣れている感じ。だからといって、遊んでいる感じではなく、しっかりした印象。


「じゃあ……ユキで」


「ユキさんね。ユキさん何してる人?」


「普通に会社員だけど」


 鞄の置き場所に迷うと、テーブルの下についている棚を指さして教えてくれる。ついでにおすすめのお酒をざっくりいくつかピックアップして紹介してくれた。


「どっちが店員なんだか分からなくなるわね」


 やっぱり、悠未さんの言葉は無視し続けた。ある程度、いや、相当な信頼関係が築かれているのだろう。会話のテンポがずっと良い。


「ハルちゃんは何してる人?」


「大学生。春に二十歳になったばっかりだからはしゃいでるの」


 悠未さんの相手をする気がないと知ってこちらから話を振れば、笑って答えながら追加注文を済ませる。彼女の好みはどうやら甘いものらしい。


「なんでここに?」


「んー、多分ユキさんと一緒だと思うよ」


「そっか」


 なんとなく、店をぐるっと見渡す。それぞれテーブルごとに盛り上がっている。恋愛相談やお金の話とか。まあ、テッパンってやつだろう。


 そこにふと、噂話が聞こえてくる。動画投稿者としての俺の噂話。思わずそのテーブルに背を向けた。


「ユキさんさ、トウでしょ?」


「へ?」


 動画投稿者としての名前を呼ばれて焦る。動揺したらバレてしまうのに。


「声とか喋り方もそうだけど、今の反応見て、ね」


 思わず立ち上がり、帰ろうとすると腕を掴まれた。腕は細く、強く握られている訳でもないので、簡単に振りほどけるだろうけど何故かそれができない。


「気にすることないですよ。ただのミーハーでファンじゃなければアンチでもない。簡単には気づかない」


 上目遣いで、優しくそう諭してくる。ああ、自分よりもこの子はずっと大人で、ずっと落ち着いている。


「でも、ハルちゃんは」


「私はいい声が好きなだけですよ」


 はい座って、と腕を引かれる。仕方なく座りなおした。


 いい声って、今褒められた?


「でも、もう少し隠せた方がいいですよ」


「……分かってる」


 多くの人に認識される選択をしたのだから、それ相応の覚悟を持て、見られることに慣れろ。最近はそういう意味合いのことをよく言われる。


 きっと俺にはそういうものが足りていないというのは、事実で。


 覚悟も出来ないまま、無自覚なまま、適当にフラフラとどこかへ進んでしまっているような、そんな感覚。


「あなたが無駄に傷つく必要はないんだから」


「え?」


 考えていたのは、ひどい言葉や厳しい言葉を投げつけられることばかりで、優しい言葉をかけてもらえるとは思っていなかった。


 本当に、どれだけ酷い言葉に慣らされてしまったんだろう。


「人気が出れば、その分アンチも湧く。叩かれたり炎上したりすることを覚悟していた方が楽なのかもしれない。でも、それは強制されることではないし、あなたの権利は何も奪われないんですよ」


「……権利?」


「傷つく権利です。他人に傷つけられて怒りを覚える権利かもしれません。なにを感じる権利もあなたにはあるんですよ」


 ああ、そうか。傷ついていいのか。


 有名になってしまったら、その権利すら誰かに奪われた気になっていた。逆に、傷ついてしまう自分にはここに立っている資格がないようにも感じていた。傷つく方が悪いんだって、そう思わされていた。


「好きなことを発言する権利は確かにみんなにあります。でも、傷つける権利なんて本当はない。有名だから、人気だからといって傷つけていい理由にはならない。それが例え悪い行いをした人や犯罪者でも」


「そうだろうけど、でも」


 実際には、人気になればなるほどプライバシーもなにもなくなっていって、迷惑かけていない、犯罪でもないことまでしつこく追ってこられて、叩かれる。そんな有名人や友人たちを何人も見てきた。


「だからいいんです。あなたがそういう人達にどういう感情を抱いたって。そんなヤツらの為に抱え込み、悩みすぎる必要なんてないですよ」


「うん」


 そうか。『でも』、『だって』、じゃなくて『だから』なのか。好き勝手言ってくる人間には、好き勝手感情を抱いていいのか。


「あなたはあなたのために生きればいい。その中で時々思い出せばいいんですよ。批判する人、傷つけてくる人じゃなくて、応援してくれてる人の言葉を」


 ああ、確かに応援してくれてる人の言葉ですら敢えて見逃していた。心から追い出していた。


「何も全部受け止めることはないです。自分のためになる言葉だけを心に残しておけばいいんです」


「そうだね、ありがとう」


 自然とそう返すと、目の前にグラスが置かれた。話の邪魔にならないように待ってくれていたのだろうか。


「相変わらず、二十歳らしくない事言ってるわね。生意気な」


「人生経験豊富で価値観が違うだろう、というところに価値感を見出してオカマに会いに来てる人が多いのに、悠未さんが話し下手だからさ。代わりに」


 言いたい放題言い合いながらも、目は笑っていて楽しそうだ。その関係性を羨ましく思いながら、酒をあおった。


 そのあとも、ハルちゃんの独特な思考回路に魅せられた。政治的な話から教育的な話、最終的には風呂場から角をなくせばカビが生えにくいのではないかというアイデア話まで幅広く。その話のどれもが自分の考えたことのない話ばかりで面白かった。


「そろそろ閉店よ」


 時々合いの手を入れるようにして会話に参加していた悠未さんが、時計を見ながらそう言った。もうそんな時間かと思いながら立ち上がると、ハルちゃんに送っていこうかと提案する。


「悠未さんに送ってもらうから大丈夫ですよ」


「ここんとこ毎日じゃないの」


「慣れたもんでしょ」


 やっぱり仲がいいようで、二人にまた来る旨を伝えて外に出る。ここにたどり着くまでの気持ちの重さがすっかり軽くなっていて驚く。本当にすごい子だったな、あの子は。いったいどういう経験すればああなるのか。首をかしげながら帰路につく。日付が変わって今日が休日でよかったとか、あの店が徒歩圏内でよかったとか。そう思いながらスマホを取り出してSNSを開く。相変わらずの割合で、思わず苦笑するも朝見た時よりずっと気が楽だった。


「傷ついてもいい、か」


 すごく当たり前のことだったはずなのに、すぐに見失っていたことだった。こんな簡単なことのせいで、ひたすら沈んでいたんだ。


 いつもより寝つきもよくて、ハルちゃんのおかげだな、なんて思って笑った。

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