実家に帰らせて頂いても宜しいでしょうか

 それから数日。

 明々後日にはシノン様をお迎えするという日の朝のこと。

 

「実家に帰らせて頂いても宜しいでしょうか?」


 私が恐る恐る切り出したそのセリフを受けて、フィオ様とビスク様が顔色を変えた。

 

「え、いや、あの。なんだ、ちょっと待ってくれ。急にそんな、いや――」

「あ。あの。あのね、メオさん。なにか不満があるなら……、いえ、そうよね。ないはずがないわよね。でもね、ちょっとだけ。ちょっとだけ待ってもらえないかしら」

「はい?」


 お二人の尋常ならざる動揺っぷりを見て、ようやく私は数秒前に自分の放った言葉の意味に気づいた。


「あ。違います違います違います。あの。言葉通りの意味……あ、えっと、そうじゃなくて、ちょっと急な用事が出来てしまって。明日出て明日の内には帰ってきますから!」


 いやいやいや。

 どこの世界で伯爵家に嫁いだ男爵令嬢が自分から離縁など切り出すというのだ。

 というか、そんな理由で帰ったら実家の家族に殺される。いやマジで。


「「はぁああああ」」


 本当に珍しく、お行儀悪くどっかりと椅子に座り直したお二人に、ぺこぺこと謝りながら伝えた内容は、こんな話だ。


 カードの修繕を依頼したいのである。

 私の占いカードは、一般的に流通している植物由来の紙に絵柄を描き、それを特殊なコーティングで加工したものだ。

 顔料の色味を損なうことなく艶と防水性を持たせるこの加工は、実家の近くにアトリエを構える職人の手によるもので、彼以外にそれが出来るものがいないということはないだろうが、易々と見つかるものでもない。


 最後にその加工を施したのは私が母からカードを譲ってもらったときだから、もう随分コーティングも劣化していた。そこへきて、ここのところの連続の使用で、何枚かのカードの肌触りがいよいよおかしくなってきたのである。このまま使い続ければ、絵柄自体を損なってしまうかもしれない。


「なるほど。それならば、今日明日のレッスンを休みにして、一泊してきたらどうだ?」

「そうね。たまには息抜きも必要だわ。メオさん。そうしたらどうかしら?」

「あの。大丈夫です。ここの暮らしに不平不満とかありませんから。離縁の心配とかないですから。むしろ一泊なんかしたら向こうの仕事手伝わされて余計疲れちゃいますから」

「そ、そうか……?」


 なおも不審気な視線を寄こすフィオ様の眼から逃れ、その日のレッスンは予定通りにこなし、職人のアトリエに明日訪問する旨を認めた文を飛ばしてもらった。

 そして――。


「奥様。お疲れではないですか? 宜しければこちらのハーブティーをどうぞ」

「奥様。こちら、大奥様御用達の商会の焼き菓子でございます」

「奥様。私、実はマッサージの心得がございまして――」

「大丈夫ですってば!!」


 使用人たちからの突然のちやほやを掻い潜り、翌朝方、私は懐かしのミレオ男爵領へと発ったのだった。




「ふぅ」


 まあ、そうは言っても。

 やはり一人きりの時間というのはいい。

 ムウマ家の用意してくれる馬車はスプリングがしっかり利いていて、ちょっと乗ってるくらいでは全く疲れない。

 びゅうびゅうと強く吹く風の音を外に聞きながら、私は久々に訪れた空白の時間を堪能していた。


 街道はしっかりと整備されており、時折どこぞの商会かなにかの馬車ともすれ違う。

 天気もいい。

 この調子なら、昼過ぎにはアトリエに着けるだろう。実家に顔を見せに行くのも面倒だ。そのまま時間を潰させてもらおう。

 日が暮れるかどうかという時分には、ムウマ邸に帰ることができるはずだ。


 私の迂闊な発言に動揺していたフィオ様とビスク様の顔が思い浮かぶ。

 正直、意外だった。

 そんな勘違いをされることもそうだし、されたならされたで、もっと怒られるかと思った。

 

『私は占いなどというものは嫌いだ』


 不快気に細められたアイスブルーの瞳と、渋い声。

 やめろというならやめるつもりだった。

 所詮は趣味の一環。私にとって大事なものではあるけれど、自分の立場と天秤にかけるほどのものでもない。


『見事な詐術だった』


 そう、正面から言われたときは、いよいよ潮時かと思った。

 私の占いは、魔法でも呪法でもなんでもない。

 ただの人間観察とカウンセリングなのだ。

 ビスク様に気にいってもらえたことは素直に嬉しいが、肝心の旦那様にこうまで嫌われては将来に禍根を残しかねない。

 それなのに――。


『それが君にとって大事なものなら、これ以上は言うまい』


 いやいや、そこは正直に言ってください。

 ビスク様の手前、自分からはやめますって言えないんですよ。

 フィオ様が一言やめろと言ってくれれば話は早いのに。


 マナーの覚えだって悪いし、法律なんて自分に必要なことしか知らないからフィオ様の手伝いもできないし、それどころか、よく分からない趣味を屋敷に流行らせたアホな女なんて、向こうから「別の嫁を探す」と切り出されても文句は言えない。

 それなのに、どうして……。


 なんとなく、手荷物からカードデッキを取り出して、のったりのったりとシャッフルしてみる。

 一番上のカードをめくってみれば、『2本のスティック』。

 ひとまずの目標達成。社会的成功。進むべき道への躊躇。


 ……ううん。さっぱり意味が分からない。


 そりゃそうだ。私のリーディングは、占う中身と、目的がはっきりしていなければ使えない。

 こんな曖昧な心境で適当に引いたカードで、いったい何が分かるものか。

 まあ、考えすぎても仕方ないか。どの道私の人生に選択肢なんてないんだし。

 

 なんとなくアンニュイな気分のまま、私はしばし馬車に揺られ、微睡んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る