25.大いなる責任

「ありがとうございました、宮先輩」


自然と本心からの感謝が零れる。

マウスピースを取り外し、笑顔で丁重にトランペットを部長へと返すが、余程驚いたのか反応も鈍く、すっかり固まってしまっていた。


「えっとさぁ……安城くーん。楽器経験あったの?」


井上さんが改めて俺に問う。なぜ先に言わなかったのかと顔に書いていた。

少しにやけながら頷いて見せると、じとりとした顔で見てきた。

その反応が欲しくてわざと黙ってました。ごめんね。


「安城さん、吹奏楽の経験もあったんですね。お上手なので驚きました」


「ン、ありがと。昔ちょっとね」


佐々木さんがそんな事を言うので、内心ドヤ顔で応じる。

皆とてもいい反応をしてくれたので俺は心底満足した。わざわざイキって良かった。


――さて。

部長をはじめ、先輩方はすっかり俺の事を男子生徒だと信じ込んでいるし、そろそろネタバレとしても良い頃合いだろう。

会話が途切れた事で、空気が一瞬緩んだ。

それを機に相談の意を込めて井上さんと佐々木さんに視線を送ると、二人ともすぐに察してくれたのか小さく頷いていた。


「……えと、宮先輩。実は――」


「安城くん」


部長に真実を告げる為に向き直りつつ口を開くが、それを遮られる。

しかもこちらが「オレ、女なんですよねぇ!ゲラゲラギャハハ!」みたいな事を言おうとしていた事など露知らず、彼女からはとんでもない質問が飛んできた。


「安城くん、って。そっ。その……二人とは、お付き合い、とか。してるの?」


「……つっ、はいっ?」


思わず素でリアクションしてしまう。

改めて部長の顔を見ると、耳まで赤く染まっていた。

椅子に腰かけながら伏し目がちに、ちらちらとこちらの様子を伺いつつ、膝の上のトランペットを両手でぎゅっと握っている。なんというか。


まるで恋する少女である。


……これヤバくね?と、思わず共犯者たる二人の顔を見ると、井上さんは無言で額を抑えていた。佐々木さんも目を点にしていたし、冷や汗を浮かべている。

一方で、その質問を聞いた他の先輩方がにわかに色めき立つ。

先程まで遠巻きに眺めていたというのに、急にこちらを取り囲むように集まり出した。


流石に、色々と察する。

しかもこの空気はガチなやつ。


部長は真っ赤な顔で俺の返答を待っているし、先輩方も興味深げに俺を見ている。


そして、その瞳は同級生達がレンや生徒会長を眺める時のそれとよく似ており……その事に気が付いた途端、俺はとんでもない事をやらかしたのだと今更ながら自覚した。

明らかにやりすぎている。これは非常によろしくない。


確かに、名目上は吹奏楽部に復讐の為のドッキリを仕掛ける事が目的だ。

されど当初はただの冷やかしという名の暇つぶしが主題のつもりであったし、普通に楽しければ入部を検討する事もあるかも、とすら思っていた。


故に、流石に罪なき幼気いたいけな女子高生の恋心を弄ぶ事なんぞ一切望んでいなかった。そもそも弄べるとは微塵も思っていなかったのだから当然ではあるが。

あくまで、珍しく男子部員がやってきたかと思えばその正体は女子による悪戯であった……というその落胆を笑いとして昇華する事が目的であったのだ。


俺が求めていたのはエンタメである。

まさか絶望を提供するつもりなど毛頭あろう筈も無い。これは流石に邪知暴虐が過ぎる。メロスが激怒する。


こうなってしまうと、とにかく一刻も早い相手への説明が必要だった。

俺は覚悟を決める。

その場に立ち上がり、腰を直角に折り曲げつつ、残酷な真実を告げた。


「……宮先輩。すいません、実はワタシ、女子です」


「――え?」


部長は俺が何を言っているのか分からない様子で素っ頓狂な声を上げた。

頭を上げ、ブレザーを脱ぐと、ワイシャツ越しに俺の体のラインが露わになる。

それに加え、男っぽい所作をやめて女性的な仕草へと切り替えた事が完全にトドメになったらしい。


「ええええええっ!?」


部長を含めた先輩一同の絶叫が響いた。

嘘だ、信じられない、と言った言葉が飛び交う。胸が痛い。


「……すいません。あの、本当に女です。ただの悪戯のつもりだったんです……あ、ちなみに二年の安城アマネの妹です。本人に確認して頂けたら分かると思います」


「……お、女の子……?安城くん……じゃなくて、安城ちゃん……?」


部長は放心しつつ呟いている。

いたたまれなくなり、井上さん達に助けを求めて視線を送るが、二人とも気まずそうに目を逸らすだけだった。



その後、音楽室はすっかりちょっとした騒ぎになっていた。

一人の先輩が本当に俺が女子なのか確認したいと言い出した為、体に触れる事を許可すると、他の先輩方も便乗し始めた。


「……ほ、本当に、女の子だ……胸がある……」


部長も同様に俺の手や胸を触って確認した後、頬を手で押さえながらそう呟いていた。

俺は揉みくちゃにされたせいで着衣が乱れており、皺だらけの制服を眺めながら加藤君に申し訳ないな、と半ば現実逃避に近い感想を抱いていた。


ちなみに事の最中、井上さんと佐々木さんは何か可哀想なものを見る目で俺を見ていた。

同情してくれるだけありがたいけど、君ら一応共犯者なんだからね。いやまぁ、強引に巻き込んだ佐々木さんはともかく。


そのようにして紆余曲折ありつつも、最終的に先輩方は概ね面白いものとして俺達の悪戯を受け入れてくれた。

まぁ、当然ながら怒られてしまったし、何故か罰と称して改めてブレザーを着た俺と一緒に写真の撮影を強制されたり、説教しながら妙に体を触ってくる先輩がいたりと、若干気になる部分も沢山あったが何も気にしない事にした。

藪を突っついたらオオアナコンダが出てきそうな気配が漂いまくっていたので。


井上さんと佐々木さんはやはり哀しい目でこちらを見ていた。

なんなら時折小声で謝られてしまった。いや、こちらこそごめん……色々と。


そんなこんなですったもんだありつつも、どうにか我々三人は無罪放免という形になり、去り際、俺は部長に頭を下げた。


「宮先輩、改めてすみませんでした。あと、楽器触らせて下さってありがとうございました。こんな事しといて何をって感じですけど、本当に感謝してます」


「えっ、あっ。いや!そんな……」


部長は俺の言葉にあたふたと手を振った後、少し何かを考えてから言った。


「あの……もし安城さんさえ良ければ、吹奏楽部、入らない?」


部長が、頬を赤らめつつそんな事を言う。

すると、俺が何かを言う前に、部長の背後からこちらを見ていた先輩方が一斉に俺の顔を見た。

猛禽類を彷彿とさせる、捕食者の瞳だった。


「……すいません、遠慮しときます」


何らかの危険を感じた俺は、その魅力的な提案を断った。

身から出た錆である。


部長は残念そうに笑っていたが、よかったらまた遊びに来てね、と言ってくれた。うーん、めっちゃ良い人。



「……安城さん。吹奏楽部の先輩達……壊しちゃったね。特に、部長さん……」


音楽室から出た後、階段を降りながら、井上さんがぼそりと、そんな恐ろしい事を言う。


佐々木さんは無言で頷いていたが、とても責任は負えたものではないな、と思った。


今後は、身の丈に合った振る舞いというものを心掛けていく事を胸に誓った。

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