18.井上さんについて
昇降口で靴を履き替えて教室へ。
佐々木さんは気付いていないが、廊下ですれ違う生徒の中には俺の顔を見て反応する者が数名目についた。
間違なく、昨日の出来事を目撃した女子生徒だ。うっすらと見覚えがあった。
どうしたものだろう。
C組に乗り込んで「中沢くんとは中学の同級生で~す!ただの顔見知りで~す!」と言ったところで、俺がレンと生徒会長の間に挟まれてなんかしていたというその事実は消えない。
むしろ悪目立ちしていらぬ面倒事に巻き込まれる事は目に見えている。
具体的には、レンと生徒会長へのアプローチの為に踏み台にされたりとか。
昨日の夜からずっと考えていた事だが、有効な対処法が重い浮かばない。
考えれば考える程に、この状況は割と詰みに近いとしか思えなかった。
「……あ、安城さん、大丈夫ですか?」
そんなに深刻な顔でもしていたのだろうか。
横を歩く佐々木さんが心配そうにこちらを見ていたので、俺は慌てて誤魔化す。
「え、あぁ。ごめん。ちょっと、明日からのテストの事とか考えてて……」
「なるほど……さ、流石ですね。私も念の為に復習しとかないと」
その説明で、佐々木さんは納得したようだった。
そんなこんなでA組の教室へと辿り着く。
「おはようございま、うおっ」
「ひぇっ……」
誰にともなく挨拶しつつ教室内へ入った途端、一斉に視線が集まり、先程まで楽し気な声で溢れていた教室は静まり返った。
思わず、二人揃って驚く。
クラスメイトの視線は俺へと固定されている。一応背後を確認するが誰も居ない。
俺の自意識過剰でも、勘違いでもないようだ。間違いなく、皆俺を見ている。
昨日、C組で浴びた冷たい視線とは少し違うが。
どちらかといえば好奇の目だった。興味はあるが、話しかけるには勇気がないような、そういった空気を感じる。
正直心当たりしかない。
佐々木さんは俺の事情など露知らず、そんなクラスメイト達と俺の顔とを交互に見比べてはソワソワしていた。
ふと、ガタン、と、誰かが勢い良く席を立つ音が聞こえた。
見れば、立ち上がったのは井上さんであった。
他のクラスメイトと話をしていたのだろう。自分の席ではなく、後方の女子集団の横の席に腰かけていたらしい。
彼女は無言でこちらを見ている。
心臓が一際大きく跳ねた。背筋に冷たいものが走る。
この感じだと、昨日の件については既に何かしら聞いているのだろう。
それで……もしかして、俺に対して何か思う所があったのだろうか。
小四の頃の、あの白々しい空気を思い出して、手汗が滲む。
とっくに忘れたと思っていたのに、昨日から何度も何度も思い出している。
密かに、呼吸を整える。
沸々と脳裏に浮かぶのは家族の顔だった。
――少しだけ落ち着いた。
黙っていても事態は好転しない。
むしろ、憶測が憶測を呼び、嫉妬を生み、悪意を育てる事を、俺はよく知っている。
新しいクラスに、新しい友人。彼女らとの日々は、まだ始まってすらいない。
彼女らに――井上さんに、こんなどうでもいい事で嫌われるのはだけは絶対に嫌だ。
ちゃんと向き合って誤解を解けば、きっと理解してくれるに違いない。
意を決す。
俺は、ありのままを伝える為、井上さんに向き直った。
「井上さん、昨日の事につい――」
「ねねねね安城さん中沢レンくんに手握られたってマジ!?羨ましすぎるんだけど!!」
「あれぇ?」
井上さんは物凄い勢いで俺の方へ駆け寄ると、羨望の眼差しと共に俺の手を握りしめてきた。
あれぇ?思ってたノリと全然違う。
「ねっ、ねっ、握られたの右手!?左手!?どっち!?間接握手して!!いや、両手握っちゃお!!うへへ……いいなあ~!!」
「アッ、エッ……ワァ……」
井上さんは俺の両手を取ると、さわさわと撫で上げてくる。
ワァ。井上さんのおててやわらか……いやそうじゃない。脳みそ溶かしてる場合じゃない。
俺はどうにか理性を取り戻し、謎の間接握手ロボと化している井上さんに何を言うべきか、考えをまとめていく。
「……あの、井上さん。ちょ、ちょっと一旦それやめてもらっていい?」
やめてくれない。ワァおててやわらか……集中!集中!理性オラァ!
首を振って煩悩をシェイクする。井上さんのやわらかおててを意識から無理やり遮断し、鋼の意思で言葉を発する。
「……あの、井上さん。まず、ワタシが中沢に手ぇ握られたっていうのは事故みたいなもんで」
「あ、うん!生徒会長が安城さんの事探してたんでしょ?」
「え、あ、うん。まぁ、そう」
「会長さんがC組に来た時に安城さんが通りかかって……中沢レンくんがそれを見つけて、こう、グイッと?こんな感じだった?」
こう?と言いながら、井上さんが俺の手を引いて胸元に抱き寄せてくる。
あの、なんだろう、そういう事されるとすごく簡単に好きになっちゃうからやめて欲しい。
ちなみに全然違う。もしもレンにそんな事されたら
「いいなぁ~イケメンサンドじゃん……ていうか、中沢レンくんに認知されてるだけでも羨ましい……いいなぁ~私もイケメンに挟まれたい……」
井上さんはそう言いながら悶えている。
クラス内を見ると、クラスメイト達はそんな井上さんの様子を見ながら同意するように頷き合っていた。
同時に、俺に対する純粋な羨望の意を感じる。
なんだろう、思っていたよりも……というか、全く以て、平穏そのものだった。
もっと刺々しい有刺鉄線のような空気感を想像していたのだが。
針の
ふと、一つ気になった事があるので、井上さんに弁明を試みる。
「あの、井上さん。中沢がワタシの事知ってるのは――」
「中沢レンくんと中学校一緒なんでしょ?昨日ミツハちゃんと一緒に帰った時に聞いたよ~」
「あ、あぁ~なるほど」
井上さんはそう言いつつ、いいなぁ、いいなぁ、といじらしい仕草で俺の二の腕を突っついてきた。彼女かな?いつ結婚する?
それと同時に納得する。
情報という名の材料さえ揃っていれば、たとえそれが事実ではなくとも、人は自ずと分かり易く自然な方向に解釈するものだ。
道理で、クラス内に変な憶測が広まっていない訳である。
俺とレンの接点が不明瞭であれば、間違いなく妙な噂の一つも立っていただろう。
横目に佐々木さんを見る。
さっきから一体何が起こっているのか分からないようで首を傾げていた。
そんな彼女に心の中で
一連の事実が分かってくると、かなり気が楽になった。
井上さんがマイナスな憶測や嫉妬をあまりしないタイプなのだと思う。
だからこそ彼女主導の会話の下でクラス内に流れた話は棘がなく、純粋に俺を羨むだけで済んでいたのだろう。
どうしよう。井上さん、俺の守護天使かもしれない。光属性にも程がある。
折角なので、もう一つの火種である、生徒会長が俺を探していた理由についても上手い事説明してしまうべきだろう。
少しだけ、クラス内にも聞こえるよう意識しながら声を出す。
「あのさ!ちなみに生徒会長がワタシの事探してたのは、実は姉が副会長で――」
「入学式で会長の横に居ためっちゃ可愛い人でしょ?安城アマネ先輩!苗字一緒だからみんな噂してたもん」
姉の可愛さを舐めてた。既に公然の事実でした。
最初から姉に関する要件で生徒会長に絡まれた事になってました。
てか既に一年にまで名前知れ渡ってんのか、あの萌えキャラ。流石である。
有難い事に、ひとまず俺が危惧していた事態は全て杞憂に終わった。
俺は心の中で、意図せずとも救世主となってくれた三人――佐々木さんと、井上さんと、姉に対して全霊で感謝の意を念じた。届け、この思い。
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