20.反社系お嬢様について
放課後。
今日こそは佐々木さんと一緒に帰らんと、二人揃って廊下を歩いていていたらそれはそれは見目麗しい素敵なお嬢様が居た。
A組の下駄箱の前。
他の生徒達の邪魔にならないよう壁際に立ちながら、目的の人物が現れるのを今か今かと待ち詫びているようだった。
そして、そんな彼女に俺は見覚えがあった。
これはまずいと立ち止まった所で、バッチリ目が合ってしまう。
彼女は嬉しそうに微笑んだ。とても美しい微笑みだった。心臓が跳ねる。
壁から離れると、まっすぐにこちらへと歩み寄る。
佐々木さんは急に立ち止まった俺を不安そうに見ている。一体何事か、と言いたげであった。
謎のお嬢様はやがて俺の前へとやってくると、鈴の鳴るような美しい声で言った。
「ごきげんよう、安城ナツメさん」
穏やかな声色である。
スラっとした美しい立ち姿。入念に手入れされていると思しき美しい長髪。
全身から清楚な色気を放つ、素敵な女子だった。個人的にはかなり好みである。
そして、そんな素敵な彼女から、俺は絶対零度の瞳で見つめられていた。
間違いない。
先日、C組での例の騒動の最中に見かけた、あのお嬢様であった。
今すぐ帰りたい。サヨさん助けて。
思わず黙り込んでいると、彼女は可愛らしく小首をかしげながら不思議そうに言う。
「あら、安城ナツメさんはお耳が遠いのかしら?」
「……ご、ごきげんよぉ……」
しかも全力で圧をかけてくるタイプのお嬢様だった。帰りたい。
単純な圧に加えて、丁寧な物腰に皮肉を交えてくるこの感じ。
上流階級である事を匂わせる、その余裕のある物腰からは社会的な立場によるマウントすら感じて、とにかくこわい。マジでこわい。
周囲を見渡すが、どうも取り巻きらしき人物は居ない。どうやらお一人でここへ来たらしい。
ひとまず、その事実には少しだけ安堵する。
「ヒィ……」
佐々木さんも怯えている。俺もヒィ……って言いたい。
しかし、ここで素直に土下座でもしてハイおしまいという話でもあるまい。
「うふふ。少し、お時間を頂けますか?」
彼女はそう言い、にこやかに首を傾げる。
拒否権は無かった。ボブルヘッドと化した俺はゆらゆらと頷く事しか許されなかった。
半ば連行されるような形で階段を登っていく。
一段ずつ踏みしめながら、13段じゃないよな、と心の中でカウントしていた。
やがて、俺達は誰も居ない小さな教室へと辿り着いた。
他と比べ手狭なその教室は自習室と書かれている。
確か、ここは常に開放されている教室だ。利用も自由だと、先日のHRにて森木先生から説明があったと記憶している。
ここまで来てしまった以上は逃げ出す訳にも行かない。少しだけ腹を括る。
ご用件を聞いた上で、丁寧かつ適切な応対を心掛けねば。
いや、ほぼ分かり切っている。レンか、もしくは生徒会長か。
どちらが絡む案件であれ、まずは誤解を解く事が最優先だった。
「えと……失礼ながら、まず、お名前を伺っても?」
ともあれ、対話にあたっては相手のプロフィールは最も重要である。
俺は恐る恐る、この物騒なお嬢様に名前を尋ねた。
すると、彼女は心底悲しそうな表情で、嘆くように言う。
「人に名を尋ねる場合は、まずはご自身から名乗るのが、人としてのマナーと存じますが……」
「安城ナツメでぇす……お名前を伺ってもよろしいでしょうか……」
名乗ってないのにさっきから安城ナツメ安城ナツメ言ってたじゃん……いや礼儀としては間違いなくそっちの言い分が正しいけども。
この子、こわい。丁寧な物腰から露骨に透けて見える敵意がすごい。
小四の頃、俺をいじめていた女子の比じゃない。
あれがチンピラだとすれば、この子は道を極めると書くタイプの属性だと思う。
外見だけ見るとマジで好みのタイプなので、落差が凄くて余計にメンタルにくる。
「えぇ、えぇ、安城ナツメさん。存じ上げております。私は喜多上アンナと申します。どうぞ、以後お見知りおきを」
喜多上アンナさん。
へぇ~素敵なお名前ですね。とか言える雰囲気じゃなかった。
なんせ、ニッコリ穏やかに笑ってんのに、なんかもう冗談抜きにゴミとか汚物を見る時の目をしている。
俺の事は多分、人語を操るタイプの奇妙な豚とか、そういう認識だと思われる。
なんだろう。対面してるだけでどんどん自尊心が削られていくのを感じる。
さっさと自由になりたい一心で話しかけた。
「……よろしくお願いします、喜多上さん。で、あの、本題は……」
すると喜多上さんは不思議そうに首を傾げ、さも当然のように言う。
「あら、本題……とは一体何の事でしょう?私はただ、安城ナツメさん。貴女と、ご学友として、仲良くなりたい一心でご挨拶に伺った次第なのですけれど……」
「わはぁ……そうなんですかぁ……光栄極まりないですわ……!」
いや、もう、そういうのいいから……!
建前上、男の事でガタガタ言ってると思われたくないのは分かるよ。分かる。
分かるんだけど、そういうのほんとやめてほしい。
なんせ俺の奥歯がガタガタ言ってるので。
「ヒィ……コワイ……コワイ……」
だってほら。もう、ほら!佐々木さんが泣きそうでしょ!俺も泣くよ!
どうしたもんか。内心、本気で頭を抱える。
このまま迂遠で、且つ一言交わす度に過大な痛みを伴うやり取りを続けるのはあまりにしんどい。
なんせ、心はアラサー成人男性である。
こんな見目麗しい女子高生のお嬢様から、喋る生ゴミのような扱いで見つめられながら人格否定され続けていたら普通に心がへし折れる。
あるいはへし折れる前に心の防衛反応によってマゾ性癖に目覚めるかの二択である。いずれにせよご勘弁願いたい。
……何故か、全く関係のないサヨさんの顔が浮かんだ。
なんでだろう。全く関係ないのに。とりあえずなかったことにした。
深呼吸を一つ。
俺の脳内に眠る、灰色の脳細胞を無理やり掻き集めて繋ぎ合わせる。
どこぞの名探偵になったつもりで喜多上さんの心境を考察し、想像し、妄想し……辛うじて絞り出した結論。
ズバリ、建前には建前をぶつけるべし。
俺は、恐る恐る、喜多上アンナ氏の顔色を伺いつつ、言葉を発する。
「……えー、っとぉ……今から述べるのは、ワタシの独り言でぇ……あるいは、こちらの佐々木ミツハさんとの他愛のない雑談でぇ。ねー?佐々木さん」
「エッ、アッ……はひぃ……」
ありがとう佐々木さん。そして巻き込んでごめん、本当にごめん。後で土下座させてほしい。
「……うふふ」
喜多上さんは無言で微笑んでいる。発言を許可する、と顔に書いてあったので、第一関門は突破したらしい。
ここからは慎重に言葉を選ぶ必要がある。
そんなこんなで、恐怖の爆弾処理が始まった。帰りたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます