05.佐々木さんについて

母と共に学校に到着した俺は、校門前に設置された「泰禪乙川高等学校 入学式」と書かれた縦長看板の横に立つ事を強制されていた。

そんな苦行を強いた張本人である母は、一心不乱に俺の写真を撮っている。


ようやく満足した母から解放された俺は、なんとなく集合場所と思しき所を目指す。

すると校庭の一角に、俺と同じく新品の藍色の制服を身に纏った生徒達が集まっている場所を見つけた。


事前に通達されていた集合時間まではまだかなり余裕がある。校門前を見れば家族と一緒に記念写真を撮っている生徒の姿も沢山あった。


集団の前方には、首からネームカードをぶら下げたスーツ姿の初老の男性が立っている。どうやらこの学校の教師のようだ。

父以外の男性教師は珍しいな、と内心思いつつ挨拶をした。


「おはようございます。新入生なんですが、ここが集合場所ですか?」


「おはよう。後でクラスごとに分けるから、時間までこの辺りで待っていて」


「分かりました。ありがとうございます」


初対面の教師に目を付けられるような真似は避けるべきだろう。

俺はにこやかに、礼儀正しく頭を下げ、速やかに後ずさる。


新入生は、当然ながら女子ばかりである。

男子生徒も数名居るが、彼らは人混みから少し離れた場所で集まり、自己紹介らしき会話をしていた。レンはまだ来ていないようだ。


周囲に見知った顔は一つもない。

親し気なやり取りをしている子達は数組居るが、彼女らは恐らく同じ中学校からの知り合いなのだろう。


完全に新しい環境で、新しいコミュニティが出来上がる直前の、この空気感。

青春を既に一度終えている身としては、このソワソワと落ち着かない感じが、なんとも愛らしく尊いものに思えた。


「……あの、安城……さん?」


突然だった。

懐古に似た高揚感で口角が上がりそうになるのを必死で堪えていた俺の名前を呼ぶ声がした。


驚きながらも声がした方を勢いよく振り返ると、何やら見覚えのない少女が立っていた。


「え、あの……どちら様で?」


思わず首を傾げながら訪ねると、彼女は俺の目を一瞬見たかと思いきや、慌てて目を逸らした。少し顔色が悪いように見える。

知らない子だ。小柄で、ゆるふわロングの黒髪が綺麗だと思った。

前髪はヘアピンでオシャレに留めており、いかにも自信の無さそうな表情をしているが、顔立ちはかなり可愛らしい。

まさに小動物系女子、といった風情だ。男ウケが良いタイプだろう。


初めて話す相手なのだが、なんとなく既視感を覚える。

それがまた不思議で、余計に首を傾げてしまう。

少女はそんな俺の仕草に若干の圧を感じているらしく「えと、その」と口ごもっていた。


俺は慌てて笑顔を作り、気まずさを誤魔化すように取り繕いながら声をかけた。


「あはは。えと、ごめんごめん。どっかで会った事あったっけ?」


「え、あの……私、安城さんと同じ中学の……」


「……同じ中学?」


俺と同じ中学、というのは、俺と同じ中学、という事である。つまりは、俺と同じ中学の卒業生らしい。

同級生の合格者は俺と、レンと、もう一人。

別のクラスの女子生徒で、佐々木ミツハさんという子だった。

学年テストの順位は俺やレンと常に並んでいたし、名前だけは良く目にしていた事もあって、一応認知はしていた。


佐々木さんはかなり大人しいタイプの女の子だ。

一度、泰禪乙川専用の受験対策の為に希望者が集められた事があり、少しだけ話した事がある。

長い前髪でいつも顔を隠していたし、少し手入れを怠っているロングヘアのせいで、どちらかと言えば暗い印象を受ける子だったと記憶している。


長い前髪と、少しボサついたロングヘア。

もし、あの佐々木さんが、ちゃんと身だしなみを整えたとすれば……目の前の彼女に、雰囲気が似ているような……。あれ?


「……え?もしかして佐々木さん?」


「そ、そうです」


「マジで?」


「ま、マジです……」


「…………」


マジか。

滅茶苦茶垢抜けておられる。

……いや、別に派手に何かを変えた訳でもなくて、普通に髪型を整えているだけのような気もする。


何かきっかけでもあったんだろうか?あるいは高校入学を機に心機一転、という事だろうか。素直に素晴らしい変化だと思う。

何より元の素材が良いのだろう。中学時代は前髪でほとんど顔が見えない状態だったのが勿体なく思えてきた。


「……あ、あの……そんな見られると……やっぱ変ですかね……」


ふと気がつけば、佐々木さんは冷や汗をかきながら目を泳がせていた。顔色も悪い。


つい、驚きのあまり黙って見つめすぎたらしい。

俺の無言を良くないものと受け止めてしまったらしいので、俺は慌てて首を振った。


「あぁいや、全然変じゃないよ?むしろ似合ってる。いいじゃん」


「あ……ありがとうございます……」


心底安心した、といった様子で佐々木さんが頭を下げた。

死にかけのリスみたいでかわいいなこの子。


「佐々木さん死にかけのリスみたいで可愛いね」


「え、えぇ……?」


思わず口に出してしまった。

佐々木さんは今日一の困惑顔を浮かべていた。

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