赫々たる好奇

そうざ

Brilliant Curiosity

 男は、自分がやっと集団バンドの目を盗む事に成功したと覚った。折好く、狩りの一団は獲物の影を捉えたらしく、すっかりそちらに気を取られている。

 これまでに幾度、失敗したのか、一々数えていない男にはよく判らない。

 判っているのは、捕まれば酷く打擲ちょうちゃくされ、じめじめとした狭苦しい洞穴に閉じ込められる事だ。

 とりこの日々は、子供達が悪戯に恵んでくれる僅かな食糧と岩清水の滴とで何とか生き長らえる。やがて誰かが偶さか男の存在を思い出し、気紛れに放任する頃には、男は歩き方さえ忘れている有様だった。

 もし男が屈辱という言葉の意味を解していたら、正気を保てなかったかも知れない。

 もう二度とあんな事は止めよう――流石に後悔の念を覚えるが、太陽が三回も巡ればまたあの赫々かくかくたる好奇が前頭葉を支配し始めるのだった。


 今回は学習の効果が功を奏した。

 昨夜の内に体調が優れないかのように振る舞っておいた。ほとんど食料を口にせず、腹の虫が鳴いてもこらえた。なるべく身動みじろぎをせず、虫が寄って来ても耐えた。

 元来が貧弱な体躯である男を今更、気遣う者は居なかったが、具合の悪さを印象付ける事には成功したようだった。


 木々の向こうから皆の奇声が響く。男は思わず振り返ったが、一団が狩りの真っ最中である事が判ると、一目散に森の奥へと走った。

 どうして連中があれ程までに自分の行動に目くじらを立てるのか、男は今一理解出来ていない。

 集団にとって何よりも大事なのは協調性である。採集狩猟生活に個性が入り込む余地はない。個は飽くまでも集団の為にある。集団が個の為にある、という概念は、長い星霜の果てにしか存在し得ない高度な価値基準だった。

 男は集団に組みするのが苦手だった。だから狩りが嫌いだった。その気質こそが男を駆り立てるのだった。


 あいつらは怖がっている――それが、男が唯一導き出せた答えだった。

 皆、空と海と大地とを統べる大いなるの怒りを買うとでも思っている。

 例えばいかづちは、怒号を上げながら世界を引き裂こうとする。例えば火山は、地の果ての頂きから猛り狂う黒い魔物を噴き上げ、世界を覆い尽くそうとする。誰もがそう盲信している。

 俺の行動がこの世界のことわりを根底から覆してしまうに違いないと、連中は己の勘違いに気付いていない――男の内面を敷衍するならばこうなるが、男自身も自らが抱く確信に何の根拠もない事に気付いていないのだった。


 男がを知ったのは偶然に過ぎない。しかし、男の単純な頭はそれを天啓と理解した。いつの世にも思い込みの激しい人格は存在するものである。

 男はこの事実を皆に教えたかった。そうすれば、自分はいずおさに成れるかも知れない。英雄に成れるかも知れない。

 しかし、誰も彼も小心で、狭量で、猜疑の塊だった。昨日のように今日が来て、今日のように明日が訪れると思っている。否、そう思い込む事で安寧を図ろうとしているだけなのだ。

 皆、の存在自体は経験則で馴致している。それこそ雷や火山の存在を承知しているように知っている。しかし、示し合わせたかのような腰抜けの空気が集団全体に手枷足枷を嵌めている。


 やがて、男は崖の縁にある岩場に辿り着いた。

 岩の表面に黄鉄鉱パイライトが露出している。後世に於いて、その黄金こがねの色味から金と見紛う者が続出し、俗に『愚か者の金』とも称される鉱石である。

 実のところ、男がこの場所に興味を示したきっかけも、黄鉄鉱に見惚れたからだった。その色も然る事ながら、まるで自然物とは思えない立方体かたちは好奇の心をくすぐった。

 あの日も狩りの最中だった。腹を下していた男は、いよいよ堪えられなくなり、皆に断って森へ逸れた。例え原始的な暮らしを営む彼等にしても、辺り構わず用を足すような無秩序な真似はしない。

 奥へ奥へと踏み入った男が行き着いたのが、この岩場だった。

 奇妙な岩の欠片を持ち帰れば、皆の注目を集められるに違いない――男は先ず手持ちの槍で突いてみようと考えた。黒曜石を欠いて作った尖頭器せんとうきを括り付けた槍は、獣の皮に突き立ち、その肉を切り裂く事が出来る。彼等にとって最強の道具だった。

 ガチンッ――黄鉄鉱いし黒曜石いしとが激しくぶつかり合った。

 男は思わず飛び退いた。

 男を仰天させたのは、掌に受けた振動ではない。石から眩いものが飛び散ったからである。もしもこの時、黒曜石ではなく発火石フリントを用いていたならば、男は更に仰天していた事だろう。

 男の脳裏に雷や火山のイメージが瞬いた。天地が狂わんばかりに見せる怒りの発露が、この上なく微細になって己の眼前に現れた。もし『神』と呼べる存在が本当にあるのならば、自分は今その端くれを垣間見たのかも知れない、と敷衍し得る心情である。

 男は幾度となく同じ動作に勤しんだ。やがて数回に一度の頻度で『神』を呼び出せるようになった。

 それからというもの、男は集団の目を盗んでは岩場で『神』を降ろした。

 既に、黄鉄鉱を砕いて持ち帰るという命題は頭から消えていた。持ち帰るべきは『神』なのである。

 男の知恵がほんの僅かでも合理的に展開すれば、黄鉄鉱の欠片を持ち帰り、皆の前で『神』を呼び出す、という筋書きが思い付いたかも知れない。しかし、天性の思い込みの激しさがそうはさせなかった。どうにかしてこの場で招き寄せた『神』の方を持ち帰り、皆を驚嘆させたいとの一心に囚われていた。

 時に偶然は偶然を呼び込むものである。でなければ、文明は発展のよすがを失うばかりである。

 飛び散った『神』の先に枯れ草があった。『神』は枯れ草に宿り、一筋の煙を吐いた。そこからは拍車が掛かった。男は速やかに要領を覚えた。更に効率の良い石を見付け出し、百発百中で『神』の祝福を得られるようになった。

 やがて、男は一計を案じた。

 この『神』が真実の『神』であるならば、全知全能である。出来ない事は何もない。乞い願う事の全てが叶うに違いない。

 男は土中から芋を掘り出し、そこに枯れ草を被せ、『神』にお出まし願おうと石を構えた。

 そこへぞろぞろと人影が現れた。食料を採集に来ていた女達だった。

 中の一人がたちまち躍り出ると男に詰め寄り、怒髪天の剣幕でわめき散らした。

 この時代、まだ明確な言語体系を有する者は存在しなかったが、野獣の如き発声であってもそれなりのコミュニケーションは取れていた筈である。

 両者の言わんとするところを意訳すれば、以下のようなくだりになる。


「コラーッ!! こんなとこで何してんのっ!!」

「いっけねっ、また母ちゃんだっ!」

「どうも様子が変だと思ったら、また悪戯なんかしてっ!!」

「こいつを上手く利用すれば、芋がめちゃくちゃ美味くなる気がするんだよぉ」

「馬鹿を言ってんじゃないよっ。そんな事だから、おねしょが治んないんだよっ!!」

 女は男の手から石を取り上げ、崖下へと放ってしまった。こんなものがあるからいけないんだ、と言わんばかりの仕打ちである。

「イタタタッ、勘弁してよ~っ」

 男は耳を摘まれたまま女に引っ張られて行った。

 

 ――以上が、今からおよそ百万年前に起きた人類初の火遊びに纏わる記錄である。

 この時、母親おんな息子おとこをこっ酷く叱り飛ばさなければ、人類は数万年から数十万年は早く火を自在に操るようになり、焼き芋を頬張れていたかも知れない。が、この頃の親が示す頭ごなしの叱責は、現代の価値基準には到底相容れない原始的プリミティブな迫力に満ち満ちていたのだから仕方がない。

 いずれにしろ、人類史に於いてCO2の排出が問題視されるのは、時間の問題だったと言える。



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