第46話 マスクさん
パンデミックが起こったせいで、人々は普段の生活でマスクをすることを余儀なくされた。
初めは違和感があったが、マスク生活が続くうちに慣れていった。女性の中にはマスクで顔半分が隠れるため、メイクが最低限で済んで便利という人も出てきた。
この生活が通常となってから知り合った人の、マスクを外した姿を一度も見たことがない。
そんなおかしな状況まで発展している中、巷ではある都市伝説が流行りだした。
――マスクさん
安易な名称だが、内容も広まり出したばかりだからか穴があった。
マスクさんは深夜一人で歩いていると、街灯の下に立っている。茶色のトレンチコートはボタンがしっかりしめられ、赤いハイヒールを履いた足はすらりと美しい。腰まである長い髪は、キューティクルが無いのでボサボサ。
そしてマスクさん最大の特徴は、名前通りの容姿と奇妙な行動だった。
よく着けられると感心するほど、マスクを何枚、何十枚と身につけるだけでなく、会った時にこう話しかけてくるのだ。
「あなたのマスク、私にちょうだい」
すでに過剰なほどのマスクを着けているのに、さらにマスクを要求してくる。どれだけ執着しているのだとツッコミを入れたくなるが、実際に遭遇したらそんなことを言えるはずがない。
着けているマスクを渡すまで、その言葉を繰り返される。最初は馬鹿にしていたとしても、段々と気味が悪くなる。マスクを渡すのも嫌で、その場から立ち去ろうとするが、それで終わらないのが怖いところである。
「あなたのマスク、私にちょうだぁい」
「あなたのマスク、ちょうだぁあい」
「マスク、マスクぅうううう」
渡さないかぎりは、どこまでも追いかけてくる。走っても走っても声は聞こえてきて、それなのにも関わらず捕まえてこないのも恐怖を増長させる。
ただマスクさんは、人に危害を加えたりはしない。マスクを素直に渡せば、いつの間にか消えている。
ただ最後まで渡さなかった場合、恐ろしいことが起こるらしい。何が起こるかは誰も知らない。
異世界に連れて行かれるとか、殺されてしまうとか、本当かどうか分からない話も出ている。
「なんか、口裂け女みたいな話だよなあ。派生みたいな感じか?」
聡見は雑誌を見ながら、ボソリと呟く。独り言か話しかけたのか微妙なラインだったが、聡見に膝枕をしてもらっていた良信は答えた。
「うーん……似ているけど、別物だと思うよ」
「そもそも本当にいるのか? いたとしても、ただの変質者だったりして」
「そうだねえ。実際に見たことがないから、確かなことは言えないかな……微妙なところだね」
珍しく歯切れの悪い良信に、聡見は珍しいと感じる。こういう時、本物か偽物かすぐに判断するのに、濁す言い方をした。はっきりと出来ない理由があるのかと、深読みしてしまう。
良信の表情から読み取ろうとする聡見に気づいたのか、膝枕をされるのを止めた。そして、逃げる気かと追いかけようとする聡見に笑いかける。
「それなら、確かめに行ってみる?」
そこまでは望んでいなかった聡見が断る隙を与えず、いそいそと準備を始める。良信が行こうとするなら、きっと危険では無いのだろうと聡見は諦めた。
「確かめに行くって簡単に言ったけど、場所の目星はついているのか? というか、マスクさんは一人じゃないと出てこないんだろ」
聡見は、良信と共に夜中に家を抜け出し、人気のない路地の電柱に身を潜めていた。誰もいないが小さな声で話しながら、何かが来るのを待った。
良信はある電柱だけを見ている。そこに現れるのだと、聡見はあたりをつけていた。
「会うのは違う人だから大丈夫だよ」
「その人が可哀想じゃないか?」
「とみちゃんが言ってたでしょ。大人しくマスクを渡せば、危害を加えないって」
「もし渡さなかったら?」
「その時はその時かな」
「……やっぱり可哀想だ」
本当に危ない時は、きっと良信が助けてくれるはず。まだ見ぬ被害者に同情しながら、聡見は何かが起こるのを待った。
それから30分ほど時間が経ち、いつまで待てばいいのかと先の見えない疲労を感じた頃、楽しそうな声が聞こえてきた。
酔っぱらいが、危うい足取りで道を歩いているのが、聡見の視界に入る。その口元には、顎まで下ろされていたがマスクがあった。
「あれはいいカモが現れたね」
「カモって……もっと言い方があるよな」
「本当のことでしょ」
「……まあな」
確かにいい標的が現れたと、聡見自身も考えていたので、強く否定できなかった。
会社の飲み会だったようで、乱れたスーツ姿の男性は、おおよそ40代後半といったところだろうか。顔を真っ赤にさせて、近所迷惑になりそうなレベルで歌っている。とても楽しそうで、夜中の路地を怖がっている様子は微塵も感じられない。
マスクさんが何を理由に狙いを定めるか知らないが、本当に現れるのだろうか、五分五分な気がした。
良信が狙いを定めている電柱まで、後3メートルほど。未だにマスクさんは現れていない。聡見は聞きたかったが、声を出したら邪魔をしてしまうと口を閉ざす。
良信の視線は、まだ電柱に固定されたままだ。同じように、聡見も視線を電柱に向ける。
「……ぁ」
声が出てしまったが、聡見はなんとか声量を抑えた。まばたきをした間に、電柱に誰かが現れて驚いてしまったのだ。
聡見のところからは、後ろ姿しか見えなかった。トレンチコートを着て、腰までの長い髪。
――マスクさんだ。聡見は内心で興奮したが、それよりも気になることがあった。良信に聞きたくても声を出せない。ただ、男性とマスクさんが対峙する瞬間を固唾を飲んで見守るしか無かった。
電柱で待ち構えていたマスクさんに、男性はすぐ近くまで来てようやく存在に気がついた。一瞬表情が強ばったが、すぐに無視して進もうとする。
「……あなたのマスク、私にちょうだい」
しかし話しかけられて、足を止めてしまった。聡見のいるところからも声が聞こえたので、男性には確実に届いている。しかし、自分が話しかけられたとは思わなかったらしい。首を傾げて、そのまま歩き出そうとした。
かなり酔っ払っているようで、どうやら足を止めたのも偶然に近かったらしい。マスクさんの存在は全く眼中に無い。
聡見とはいうと、マスクさんの声が聞こえたことで、自分の予想が正しかったと証明されて固まっていた。
「マスクちょうだぁああい」
「マスクぅうう」
「ねぇええええええ」
わざとではないが、マスクさんの要求を無視している形になっている。このままでは、男性に危害が加えられるかもしれない。
聡見が止めに入ろうと動こうとすると、何故か良信に腕を掴まれる。
「あの人が危ないだろ、行かなきゃ」
「大丈夫、まだ見てて」
そう言われてしまったら、聡見も言うことを聞くしかない。大人しく元の位置に戻り、様子を窺う。
男性を追いかけるマスクさんは、声のボリュームと必死さが増していく。目が血走り、何をする気なのか手を伸ばした。
――危ない。聡見は嫌な未来を予想して顔をしかめた。
しかしその手が掴む前に、男性がくるりとマスクさんの方に体を向けた。
「んぁ? なんだ、姉ちゃん。こんな夜中に出歩いてちゃあ、危ないぞお。綺麗なんだから、襲われたら大変だ」
実際はもっと呂律が回っていなかったが、このような言葉をマスクさんにかけた。言われたマスクさんはというと、ハッとした表情になり、そしてとても嬉しそうに目を細めて姿を消した。
「んー?」
男性は酔っ払っているせいで、目の前で驚くべき現象が起こったのにも関わらず、一度首を傾げただけで、すぐに今あったことを忘れたようだった。フラフラとした歩みで帰っていくのを見送り、聡見は詰めていた息を吐いた。
「あー、驚いた」
「とみちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫だって言ったでしょ」
「言われただけで、完全に納得できるかよ。あの人が、殺されるかとヒヤヒヤした。どうしてマスクさんは消えたんだ? というか、マスクさんって……」
たくましい体つき、低い声。マスクさんの性別を、勝手に女性だと決めつけていた聡見は実際に見て、違うことに驚いた。
それは置いといたとしても、突然消えた理由が分からなかった。男性のように首を傾げる聡見に、良信は口角をあげる。
「綺麗だって言われて嬉しかったんだよ」
まさかそんなことで。そう思ったが、良信が言うなら間違いない。マスクさんは、特別な存在ではなく普通の霊だった。
都市伝説になるのは、簡単なことでは無い。
聡見がしみじみとした気持ちになっていると、良信がボソリと呟いた。
「……でもまあ、生前からマスク収集の変態だったみたいだし、あれで消えてなかったら消してたけどね」
深堀りすれば後悔しそうなので、聡見は聞かなかったふりをした。
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