双子は懐いている:Day1 noon-afternoon その②



 街の片隅の、一見ちょっとわかりにくい場所でひっそりと営業している小さな洋食屋兼カフェ。その名もキッチン・ロブスタは、四十年以上にわたってこのへんの人々の胃袋を支え続ける老舗である。

 なお、ひっそりしている割に週末は混むことが多い。数年前にテレビか何かで紹介されて以来、知名度が上がったからだそうだ。

 この日はタイミングが良かったのかさほど混雑もなく、待機することなくボックス席に案内してもらえた。


 向かいの席のクランとラズは、注文を済ませるとなにやら練習などと言ってスプーンで掬う動きを繰り返していた。見るにクランは左利き、ラズは右利きのようだ。

 高級店のテーブルマナーでもなし、練習も何もなかろうとは思ったが、微笑ましいのでそのまま眺めていた。


「ビーフデミグラスオムライス三つ、お待たせしましたー」


 かくして配膳されたそれに、双子が目を輝かせる。


「おお、これがおに……ルイさんがこのお店で一番好きだという」

「におい……良いにおいがします。おなかがすきます。不思議」


 ビーフデミグラスオムライス。世間的にはロブスタといえばハンバーグステーキセットかポークジンジャーセットが鉄板らしいのだが、僕の最推しはこれだ。


「今日はかわいいお連れさんですね」


 オムライスを持ってきてくれたエプロン姿のお姉さんに、声をかけられる。


「ええ、まあ、親戚の……遠縁の子? みたいな……今日うちに遊びに来てて、せっかくなんで美味しいものでもと」


 僕もこの店にはちょくちょく来るので、この笑顔が素敵なウェイトレスこと三葉愛ミツバ・アイさんとは顔なじみだったりする。


「こんにちは。双子ちゃん? どっちがお姉さん?」

「こ、ここ、こんにちはっ」

「こんにちは。こっちのクランがお姉ちゃんで、ラズが妹だよ」


 クランが緊張の表情を見せる一方、ラズはふにゃっとした笑みで応える。

 突然のことで尋ねるのを忘れていた姉妹の順番が、さらっと明かされた。


「クランちゃんにラズちゃんかぁ。シモキタは初めて? 楽しんでる?」

「はひぃっ、は、はじめてですっ」

「まだわかんないけど、いろんなものがたくさんあって面白い!」


 人見知りなクランと物怖じしないラズ。FXOでの印象そのままだ。


「そっかそっかぁ……えっ、めっちゃかわいいですね。子役ちゃんかなんかです?」

「あいや、そういうわけじゃないはずですけども」


 僕も知らないが、多分違う。


「オムライス、とっても美味しいですよ。ごゆっくり」


 そう言い残して業務に戻っていく三葉さんの背中を見送り、その絶品をさっそく味わうことにする。

 僕が手を合わせると、ボックス席の向かいに並んで座った双子がそれに続いた。


「いただきますだよ、クラン」

「う、うん! いただきます、だね」


 キラキラの視線がこちらを見据える。


「それじゃ。いただきます」

「「いただきます」」


 スプーンを差し込む。ブラウンソースのたっぷりかかった黄金色の山を崩すと、内側に潜んでいたほくほくのチキンライスが顔を出し、湯気があがる。

 クランとラズは、僕がそうしたのに続くように、掬ったものを口元でふーふーと冷ます。眼鏡が曇る。シンクロするしぐさが、なんだか愉快だった。


 口に運び、頬張った瞬間。四つの瞳がより一層きらめきを増したように見えたのは、錯覚ではなかったはずだ。





 双子が食べる速度は意外と遅くはなく、僕がオムライスを完食して食後のコーヒーを啜っている間、やはり二人ほぼ同時に食べ終わった。


「ソースに少し苦味があるのですが、それが不快ではないんです。表面の卵はやわらかくてほんのりと甘みがあって、中のチキンライスには少し酸味を感じて、それが口の中であわさることで、相互にひきたてあうような……美味しいです」


 食べている途中、クランから突然の食レポめいた感想が出てきたので思わず笑ってしまったが、ラズもラズで黙々と頷きながらオムライスを噛み締めていた。スプーンを握っていない左手でぐっと親指を立てたところからも、満足感が見て取れた。


 食休みを済ませてレジで会計をすると、三葉さんが「ぜひまた連れてきてくださいね」と、三人分の割引券をくれた。クランとラズは、すっかり彼女に気に入られてしまったようだった。


「お互いに口の周り、ペーパーナプキンで拭き合ってたじゃないですか……そういうのとか、めっちゃ微笑ましくって」


 小声で伝えられる。時折、三葉さんがこちらの様子を遠巻きに見ていたのは把握していた。店員の行動として感心できるものかどうかは置いておいて、その意見にはおおいに同意だった。


「ふたりともどう? 美味しかったでしょ?」


 答えは顔に書いてあるのだが、満足げな双子にあえて問うてみる。


「「とっても美味しかったです!」」


 双子の姉妹は、三葉さんに聞かせたかった言葉をばっちりハモってくれた。

 キッチン・ロブスタの扉についたベルをカラコロと鳴らして店の外へ出ると、三葉さんはめっちゃ手を振ってくれていた。





 寄り道して買ったたい焼きにも、双子はめいっぱいの喜びを示してくれた。オムライスの時と同様に、クランが表皮とあんこの食感、および味の相乗効果を語り、ラズは黙々と味わってサムズアップ。

 公園。カラス。自販機。野良猫。標識。バス停。ハト。信号。クランとラズは見るもの触れるものすべてが新鮮で楽しいといった様子で、自然とこちらまで笑顔になる。

 ……この二人、実はとんでもない箱入りお嬢様とかなのではないだろうか。それこそフィクションに出てくる、外界を一切知らずに育ったような。


 自宅近辺の住宅地に戻る頃には、時刻は十五時を回っていた。

 いろいろなものに興味を示す二人に付き合っているうち、まっすぐ帰るはずの道をずいぶん遠回りしていたようだった。


 双子は往路と同じように手をつないで歩いている。

 が、ふいに姉のクランが「こしょこしょ」となにごとか妹に耳打ちをし始めた。

 妹のラズは笑顔で頷きを返す。


「どうしたの? またなにか面白いものでもあった?」


 僕が声をかけると二人は立ち止まり、くるりとこちらに向き直った。


「あの、お兄さ……ルイさん」


 クランがおずおずとこちらを見上げている。


「うん、まあ……このへんはもうそんな人通らないし、呼びやすいようにどうぞ」


 そう返事をすると、彼女は「では、お兄さま」と、右手をそっと差し出してきた。


「はぐれないようにするのを……今度はお兄さまにしてほしいです」


 ――不意打ちであった。思わず息を呑む。


「お兄ちゃん、ラズも」


 双子の妹もまた、同じように左手を差し出してくる。


「……ラズのことも、捕まえといてほしい……」


 マシュマロみたいな頬を少し赤らめ、はにかみながらも、眼鏡のレンズの奥の視線はこちらを捉えて離さない。

 ……圧倒的庇護欲。

 胸を締め付ける何かが、心臓を震わすのがわかった。


「ん……そっか」


 咄嗟のことでそっけない言葉しか出てこなかった代わりに、細く柔らかな指をできるだけ優しく、しっかりと握った。

 そうして、三人並んで歩き出す。


 なんだろう、とてもあたたかい。

 両手に感じるあたたかみが、未知の幸福感を無希釈ストレートで心臓の真ん中に直接送り込んでくるようだった。

 ……いやいや、何をドキドキしているんだ。

 大きく息を吸って、吐き出す。まずは落ち着こう。

 四月半ばの晴れた午後。頬を撫でて流れてゆく風は優しく香り、左右には満面の笑みの双子を連れ、馴染みの道をゆく。


「ホント、あったかいな」


 ふとデジャヴめいた感覚が脳裏をよぎり、幼い頃の記憶が呼び覚まされる。

 隣を見上げると母さんが笑っていて、僕の手を優しく握ってくれている。母さんを挟んで反対側には、同じく鞠花姉さんが手を繋いで歩いているビジョン。

 ――母と姉と僕と、三人でこうして手を繋いで歩いたことがあった。買い物だったか、幼稚園の送迎だったか。シチュエーションの細部は覚えていないが、こんな風に穏やかで、あたたかくて、楽しかったことだけは覚えている。


 あのとき母さんはどんな気持ちだったのだろう。

 果たして、こんな風に幸せだったのだろうか……?


 双子の笑顔が、母を挟んで反対側を歩く姉のそれと被って見え……なんなら彼女たちが昔からの顔なじみだったような気さえしてくる。

 古い記憶と今の状況がリンクしたせいか、そんな錯覚を覚えた。


「……あ、ごめん。大丈夫? 僕のペースで歩いちゃってるけど」


 ふと、往路と違う双子の様子に気付く。

 最初は頼りない足取りだった二人が、いつの間にかしっかりとついてきている。


「大丈夫です。だんだん慣れてきたみたいです」

「ああ、もしかして靴? それ新しいもんね。うち来るとき大丈夫だった? 靴ずれとかしてない?」

「うん、それは平気。来るときは熊谷さんの車で、すぐ近くまで送ってもらったんだよ」

「……誰だって?」


 ラズが口にしたクマガイさんとは一体。


「私です」

「うわぁ!?」


 身長二メートル以上あるんじゃないだろうかという大男が、目の前に立っていた。

 黒いスーツをビシッと着こなしサングラスをかけ、角刈りに整った口ひげという、映画に出てくる要人のガードマンみたいな出で立ちだ。

 見ればそこは、うちのマンションの真ん前で――アレコレ考えたり話したりしている間に、こんなところまで帰り着いていたのか。

 ていうか、さっきまでいたっけ……こんな人いたらいくらなんでも遠目にわかりそうなんだけど。


「「熊谷さん」」


 双子がハモる。

 いきなりこんなでっかい人が出てきたらクランがびびりそうなものだが、そうでもないあたり、どうもこの人がそうらしい。


「失礼しました、緋衣瑠生さまですね。初めまして、熊谷と申します。緋衣鞠花さまのラボで、警備や護衛などを任されております」

「ああ、それはどうも……姉がお世話になってます」


 切手のようなものが差し出されたと思ったが、普通に名刺だった。手が大きいのでスケール感が狂う。肩幅も広く、かなり威圧感のある見た目だが、声色や物腰は穏やかだ。

 双子の反応からしても、名乗ったとおり姉の関係者であるというのは間違いないだろう。


 名刺は利き手を塞いでいたラズがとってくれた。

 熊谷和久クマガイ・カズヒサ。以前見た姉の名刺と同じデザイン、フォーマットで所属と連絡先が記載されていた。

 心都大学情報科学研究所……一流大学付きの研究所というのは、こんないかにもな警備員さんまで雇っているのだろうか。


「それで、その警備員さんがなんでまた」

「クランさまとラズさまの送迎係と思って頂ければ。お二人がお帰りの際はご連絡ください」

「ああ、そういう」

「ええ。失礼かとは思いましたが、それをお伝えすべく、瑠生さまをお待ちしておりました。名刺の番号にお電話いただければ、お迎えに参ります」

「いえ、わざわざどうも」


 熊谷さんは手短に要件を話すと「それでは」と深々とお辞儀をし、すぐそこの曲がり角へと消えていった。

 ――突然現れ、突然消えた。まるで忍者のようなムーブに呆気に取られてしまう。


「なんかすごい人だったな……とりあえず、うち入ろうか」

「「はいっ」」


 頷く双子は変わらず笑顔であったが、今しがたの会話で「帰り」という言葉が出たとき――少しだけ。

 僕の両手を握る力が、きゅっと強まったのを感じていた。

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