大陸暦1971年――不安と覚悟2


 帰路につきながら、私はため息をついた。

 いつもは足取りが軽い帰り道も、今日はぬかるみに足を取られたかのように前に進まない。仕事を失うという不安が思った以上に、私の足を重くしている。

 ……昨日、監督の様子が変だったのは、このせいだったのか。

 おそらく仕事がなくなると、私に言いづらかったのだろう。

 先ほどの話し振りからして、監督が所属する組織が犯罪組織であることは間違いない。

 でも、たとえ犯罪者であろうと、監督自身はいい人だと思う。でなければこんな子供を雇おうとは思わないだろうし、あのように言ってくれるわけもない。

 だけど、まともな職を探せと言われても、そう簡単に見つかるわけがない。ここでは自分が生きるために、もしくは家計のために仕事を欲しがる子供は沢山いる。

 それはきっと監督も知っている。犯罪組織に所属しているということは、おそらく監督も裕福ではない壁際の生まれだろうから。だからこそ昨日は言えなかったのだ。

 それでも市街地のほうに行けば、子供でもなにかしらの仕事があるかもしれない。

 けれど市街地は今働いている倉庫より遠く、今よりも確実に帰宅が遅くなる。そうなれば空き地から戻ったライナを長いこと一人にさせてしまうことになる。日が落ちた前後ならまだしも、流石に日が暮れてから長く外にいさせるのは危険だ。

 だからといって家の中も安全とはいえない。私が――さを晴らせる人間がいなければ、父さんはあの子にも手を上げるかもしれない。それだけは……駄目だ。

 私は母さんからライナをたくされているのだ。

 妹を守ってあげてね、といつも言われていたのだ。

 だから私はライナを守らなければならない。

 ……いや、違う。

 そうじゃない。

 私がライナを守るのは、母さんに言われているからじゃない。

 私がそうしたいからだ。

 今となっては、あの子は私の生きる意味なのだ。

 父さんの仕打ちに耐えられるのも、仕事が辛くても頑張れるのも、あの子がいてくれるからだ。

 あの子が心配してくれるから、笑っていてくれるから、私の心は折れずにすんでいる。

 あの笑顔に、私はいつだって救われている。

 そんなライナを、たった一人の妹を、私はなんとしても守りたい。


 歩きながら辺りを見る。道端には女の人がちらほらと見受けられる。

 いつも仕事に行くとき、帰るときに見る光景だ。

 とぼとぼと足を進めながら、その人たちをぼんやり眺める。いつもはなるべく見ないようにしている現実が、今日は目が離せない。

 何人かそうして見ていると一人の女の人に、男の人が近づいた。二人は短い会話を交わしたあと、女の人が男の人を連れて路地へと消える。

 ……母さんが私たちのためにどうやって稼いでいたのか、私は知っている。

 それを母さんから直接、聞いたわけではないけれど、母さんが話すわけがないけれど、夜中に帰ってきた母さんを怒鳴っていた父さんの言葉で想像はつく。

 母さんが自ら進んで、を選んだわけではないことはわかっている。

 昔の戦争で世界的な宗教である星教せいきょう二神にしんが隠れてからというもの、人々の信仰心はだんだんと薄れてきているという。それは星教せいきょうを国教に指定しているここ、星王国せいおうこくでも同じだ。幼年学校に通っているときでも、私が知る限り半数の生徒が神様を信じていなかった。

 でも、そんな中でも、母さんは毎日のお祈りを欠かさなかった。星教会せいきょうかいで行なわれる週末の礼拝もできるだけ参加していたし、日頃から星教せいきょうの教義を信じ、守っていた。

 そう、母さんは信心深い人だったのだ。

 その、母さんが信じていた星教せいきょうにはこういう教えがある。

 愛のない……そういう行為は魂がけがれるよくない行いだと。

 そして魂が完全にけがされてしまえば、その人の来世は、なくなると。

 信心深い母さんがそれを知らなかったわけがない。それでも、教義に背いてでも、自分の来世をってでも、母さんがをしていたのは私たちのためだろう。

 きっと私たちのために覚悟して、そうしていたのだ――。


 歩きながら道端を見続ける。すると女の人と目が合った。

 私より少し年上だろうその人は、目が合ったことに気づくと目を伏せた。

 ……そろそろ私も、考えないといけないのかもしれない。

 まともな仕事が見つからなくて、ほかになにも手がなくなったら、覚悟を決めないといけないのかもしれない。

 私たちが生きていくために、そしてライナのために――。

 私は重い気持ちに活を入れて走り出す。

 そして休み休み走って、やっと家の近くまで帰ってきた。

 空はすでに暗くなりかけている。荷物が多かったわりにはいつも通り仕事は終わったのに、最初に足取りが重かったせいで遅くなってしまった。

 必要以上にライナを待たせてしまったな――そう思いながら急く気持ちで、自宅へと続く角を曲がる。が、ふと思い立ってその直前で一度、立ち止まった。

 ここを曲がればライナがいる。

 今の私はきっと暗い顔をしている。あれこれと考えてしまっているせいだ。そんな私を見たら、ライナが心配するだろうし不安にもさせてしまう。あの子の笑顔が消えてしまう。そんなライナを私は、見たくはない。

 だからとりあえず、今日は考えるのはやめようと思った。

 悩んだり仕事を探すにしても明日、早めにライナを空き地に連れていってからにしようと。

 そう心に決めて、何度か口角を上げて笑顔を作る。


「よし」


 その笑顔のまま、私は曲がり角を曲がった。


「ライナ、ただい――」


 そして言葉に詰まった。

 いつも家の隅に座っているライナの姿が、そこにはなかったからだ。


「ライナ? ライナ」


 これまでも家の隅に座っていないことは何度かあった。外出または帰宅した父さんに見つからないように隠れていたときだ。


「ライナ。どこだライナ」


 だから今日もそうかと思い、家の周りを歩きながら何度も呼びかける。だけど、どこからも返事がない。

 こんなことは、私が仕事をしだしてから初めてのことだった。

 もしかしてまだ帰っていないのか……? いや、そんなはずはない。夕方にはアイちゃんとセイくんは家に帰るし、あの二人は必ずライナを送ってくれる。あの二人は優しくてしっかりした子だ。ライナがなにか言ったところで一人で帰らせたりはしないだろうし、空き地に置いていったりもしない。そしてライナも、二人に反発するような子じゃない。

 それならなんで、いないんだ。

 胸騒ぎを覚えながらも、私はとりあえず玄関前に戻る。

 もしかしたら家の中にいるのかもしれない。一人のときは家に入るなと言い付けてはいるけれど、あの子が私の言いつけを破るとは思えないけれど、なにか理由があればそれを破る可能性はある。

 そう思い玄関の扉に手をかける。鍵は、かかっていなかった。

 今日ライナと二人、家を出たときはちゃんと鍵はかけた。そして家の鍵は私だけでなくライナも持っている。首からかけて人に見えないように服の中に入れさせている。

 その鍵が開いているということは、父さんか、もしくはライナが開けたということだ。そして状況からして、おそらく開けたのはライナだろう。

 なんだ、中にいるのか――そう少しばかり安堵しながら玄関を開けて中に入る。


「ライナ、いるのか?」


 呼びかけながら暖炉前から奥の食卓へと視線を移す。

 そして視線を落とし、一気に血の気が引くのを感じた。

 厨房のそばの床に、ライナが、倒れていた。


「ライナ……!」


 駆け寄ってライナの前に両膝をつく。

 ライナは仰向けに床に横たわっていた。その瞳は閉じられていて、頭の下には血だまりができている。

 いったい……なにが。

 私はライナの頭を抱き起こそうとして、指先に不自然な感触を感じた。

 血のぬめりの中に、今までライナの頭に触れたときに感じたことがないへこみが、ある。

 見上げると、厨房の角には血がついていた。

 転げて、頭を打ったのか……?


「……ちゃ……」


 動揺して思考が固まっていた私の耳に、微かな声が入ってきた。

 はっとして私はライナを見る。

 先ほどは閉じていたライナのまぶたうすらと開いていた。


「ライナ」


 呼びかけるとライナは力なく微笑んだ。そしてゆっくりと私に手を伸ばしてくる。私がそれを握ると、ライナは言った。


「ね……ちゃ……ごめ……ね」


 ……ごめ? ごめん、だって? 

 なんで……謝るんだ。

 一人のときに中に入るなという言い付けを破ったからか。

 それとも私を心配させていることにか。

 ――いや、今はそんなこと、どうでもいい。

 私はライナを抱きかかえると、立ち上がった。


「大丈夫だ。すぐに治してやるからな」


 腕にかかえたライナにそう言いながら、私は家を飛び出た。


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