大陸暦1971年――不安と覚悟1


 差し出した手のひらに五つ、小さな硬貨が落とされた。

 それに驚いて私は顔を上げる。


「今日は運ぶ量が多かったからな」


 監督はいつもの強面のままそう言った。


「ありがとう」


 礼を言って硬貨を握る。手の中の感触に思わず頬がゆるんでしまう。

 いつもは多く日当をもらったときはなるべく溜めているけれど、昨日の今日だ。ライナにも我慢をさせていることだし、明日はこれでなにか買ってやりたい。お菓子にしようか、それともお肉を少し買って肉入りスープでも作ろうか――いや、チーズでもいいな。あの子はチーズが大好物だから、パンにチーズをはさんでやるのもいいかもしれない。チーズなんて最近、食べさせてやれてないからきっとライナも喜ぶ。

 ライナの喜ぶ姿を想像して、気持ち心躍りながら硬貨をポケットに収めていると「アルバ」と監督が呼んだ。私は顔を上げて監督を見る。


「話がある」


 そう言った監督の口調は、どことなく重かった。

 そんな監督を不思議に思いながらも、私は言葉を待つ。

 監督はまるで言い淀むように一度、口許を結んでから言った。


「俺たちは近いうち、ここを撤退するかもしれない」

「撤退」その言葉に心臓が強く跳ねた。「それって……店をたたむということですか?」

「言葉をよく知っているな。そうだ」


 監督たちが商売を、やめる……?

 それは、つまり、もうここでは搬入搬出はしなくなるという意味だ。

 そして、それは当然、私の仕事がなくなるという意味でもある。

 日当が多くて浮かれていた気持ちが、一気に急降下していく。胸の中に、不安がき出てくる。


「どうして」


 その声は、自分でもわかるぐらいに動揺が浮き出ていた。

 監督は顔を横に向けた。その視線の先――倉庫の中には搬入した多くの木箱があり、そのそばには木箱に寄りかかったり座ったりしてくつろいでいる男たちの姿がある。一見したらがらの悪い、タバコを吸いながら談笑している彼らはみんな、ここで働いている人たちだ。


「お前も薄々、気づいてはいるだろう。俺たちの商売が表立ったものではないということは」


 もちろん……気づいている。商品も監督たちも、まともではないことは。

 私がうなずくと、監督は話を続けた。


「あの木箱の中の商品はな、星都ここでは昔から俺たちの組織だけが取り扱っていた。だが今年の夏期ぐらいからだったか、この商売に新参が入ってきた。どんな組織かもわからない神出鬼没なそいつらはあろうことか、こちらよりも半額に近いで商売を始めた。そのせいでこちらの顧客が徐々に奪われ、最近は売り上げが大分、下がってきている」


 言われてみれば確かに、秋期ごろから搬出する荷物の量が減った気がする。けれど、それでもまだ私には大変な量だし、今日みたいにたまに多い日もあるので、今までそれを疑問に思ったことはなかった。


「半額って、そんなことをして、あちらは利益があるんですか」

「いいや」監督は首を振った。「どう考えてもあるとは思えない」

「それならどうして」

「俺たちのお偉いさんは利益度外視りえきどがいしにしてでも得たいものがあるのだろうと読んでいる。商品はそのためのえさだと――」


 そこで監督は言葉を止めると、余計なことを言ってしまった、とでもいうように息をついた。


「ともかくそういうことで、俺たちもお偉いさんから対応をせまられていてな」

「それが商売をやめること、なんですか」

「正確に言えば完全に撤退するわけではない。その――対応が上手くいって以前通りに商売ができるようになったら、またやるつもりではいる」


 以前通り――それは商売をする上での障害がいなくなったらという意味だろう。それで、それだけで監督たちがなにをするつもりなのか予測がついた。……そう、おそらく競合相手を、潰すつもりなのだ。それもきっと、穏便ではない方法で。


「それは、時間がかかるんですか」

「わからん。だが、一月二月ひとつきふたつきでは終わるものではないだろう」

「みんな、その、対応に?」私は倉庫に視線を向ける。

「いや、ここにはそういうのが向いてない奴もいる。そいつらは他所へ預けるつもりだ」


 監督は言葉を伏せているけれど、そういうの、とは荒事のことだということは話の流れからしてわかった。

 そして他所ということは、ほかにも商売をしているということだろう。

 そこでも雇ってもらえないだろうか、頼んでみようか、と迷っていると、それを見通しているかのように監督は言った。


「そこにお前を行かせるわけにはいかない。そうしたらお前は本当にこの世界に足を突っ込むことになる。一歩間違えればすぐに命を落とすような世界にだ。それでもまだお前が天涯孤独の身なら考えもしたが、お前はそうじゃない。お前には妹がいる。守るべき妹がな。だから今のうちに、まともな職を捜してみろ」

「でも――」

「話は終わりだ」


 私の言葉をさえぎるように監督は話を切り上げると、背を向けて歩き出した。

 取り残された私は、監督の大きな背をすがるように見てしまう。だけど倉庫の奥に姿を消すまで、監督が振り返ることはなかった。


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