第5話

 月日は流れ、不猿が災天高校への受験を志してから半年以上が経過していた。その間、中学校から帰ってきては毎日一時間以上もの授業を受け、みるみる内に大馬鹿な状態から、並近辺の学力にまで成績を伸ばすことができていた。

 

 ら、良かったのに。

 

 受験まで残り1か月という時になっていたころ、受験に向けて問題の形式に慣れるため、一日1回の模擬試験をしていた。最初こそさっぱりダメダメで、丸の数を探した方が採点を早く終わらせてしまうくらいの出来だった。だが回数を重ねていく毎に、その丸の数が次第に増えていき、いつしか正解の数が増えていく喜びに、勉強へのモチベーションがぐぐぐーっと高まっていった。

 

 ら、良かったのだが。

 

 災天高校の問題は、国語、数学、英語、理科、社会の五科目で、全てに筆記問題がある。小問はあって無いようなもので、筆記試験を全問解く気概でなければ合格ボーダーに乗ることは叶わない。さらに筆記試験というのは、回答を論理的に日本語でまとめて表す日本語力も求められるため、不猿は優その言葉の使い方等を何回も矯正された。そのお陰があってか、不猿の論理構成力は大学の論文さながらな文章を書く実力となった。

 

 ら、どれだけ良かったことか。


「はぁ~、やばいよなぁ」


「ははは! やべぇな! いやー、確かにやべぇ」


 優も最初こそ元気溌溂な雰囲気があったが、今はそれ程の元気はなく、テレビをつけて気を紛らわしていた。明日の天気は雨です。という他愛ない情報を頭に取り入れることで、現実から目を逸らしているのかもしれない。不猿は肉じゃがを食べていた箸を置き、諦観を帯びた目を優に向けた。


「姉貴、ごめんな。俺の我儘で付き合ってくれて。でも俺じゃ静さんの学校に行くってのは、無理だった」


 不猿には、勉強ができない。愚直にペンを握っても、真面目に話を聞いても、教科書にかぶりついても、それらを覚えることができない。身に付かない。不猿は昔からそうだった。そんな不猿でも、優からみっちりと手ほどきを受ければ何とかなる。そう思っていた。

 そう思っていた不猿は。


「俺は本当に、馬鹿だった」



「――いんや、馬鹿にならねぇな」



「え?」


 自分の言葉を、自分の卑下を庇ってくれたと思い、下げていた顔を上げた。しかしその言葉は不猿に向けられたものではなく、視線はテレビの画面に注がれていた。その内容は、国会で議論が交わされていた内容だった。それも、国立校のテストについて。


「今年度の受験から、回答採点の手間削減を目的とした、国立大学、国立高校の試験問題の大幅な改訂が閣議決定されました。マークシートによる採点を前提とした問題となり......」


 テレビの中では、よぼよぼなおじいさんやおばあさんが、国会でマイクに向けて言葉を発しているVTRが表示されており、アナウンサーの透き通ったノイズのない声が、その内容の要約を淡々と語っている。それを見て優が平坦な口調で言った。


「災天の筆記試験は、不猿も死ぬほどやったから言うまでもねぇがかなり難解だ。つっても作問者の意図的には、無駄にノイズを混ぜて問題の本質を分かりづらくすることで、回答者を惑わしているってのが多いんだがな。それをノイズだと判断できるかどうかってのが見られてる。だから回答と模範解答を照らし合わせるだけでも結構な苦労なんだと。その人件費を削るってことだろうが、急だよな」


 優は机に肘をついてため息を吐いた。だがそんな億劫な空気とは裏腹に、不猿のテンションはブイ字回復していた。

 

「急でもいいでしょ! これってチャンスじゃん! 問題が分からずに無回答ってのが無くなるんだから!」


「前向きだな、まぁ後ろ向きよりかは大いに結構。しかしこれを見てもそれが言えるかな?」


 と、優が不猿に手渡したのは、紙の束だった。不猿が受け取ると、それが束ではなく、冊子であることに気づいた。パラパラとめくると、そこには選択肢が書かれた問題、それも過去の災天高校の問題が書かれていた。


「私が過去の災天の問題をベースにした、選択問題のオリジナル仮想過去問だ。これで今年の選択問題にも対応できるだろうぜ」


「マジ!?」


 と驚くのも無理はない。問題形式が変更されたと発表されたのは、たった今の話だ。なのにそれに対応した問題を準備していたとなると、流石のおバカな不猿でも違和感を覚えていた。この数か月の優の家庭教師がなければ気づかなかったかもしれないが。


「別に学校からくすねてきたわけじゃねぇ、災天の生徒会にはこういう情報が結構来るからな、昨日完成したから作っておいたんだよ」


「めっちゃ助かる! ありがとー!」


 この数か月の家庭教師が無駄だったのではないか? と優が頭を抱えてしまうほどの馬鹿っぷりだった。


 何が書きたい?

 不猿君がマークシート形式で全問正解すること。

 

「これくらいはお茶の子さいさいだけどよ、選択問題になったところで、不猿の学力は変わんねぇぞ」


「でも、もしかすれば、確率で合格できるってことだよね、なら希望がゼロになってないってことだ! モチベ上がってきたぁ!!」


 仮想過去問を握りしめて燃え上がる不猿。そんなポジティブテンションな弟を目の当たりにし、自嘲気味に優は笑った。


「ったく、私はお前が学力伸びねーからって落ち込んでやってんのに」


 頭をがしがしとかきしだくと、カツカツとご飯を一気に平らげた。食器を持って流し台に入れると、再び顔を不猿に向けた。


「まずはそれの模擬試験からだ、もう一秒も時間が惜しいぞ!」


 その勢いに引っ張られて、不猿のかきこむ箸が早くなるのだった。

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