第3話

 災天高校からの帰り道のこと。集団下校のように色とりどりの中学生が災天高校から散り散りに帰っていくその流れに乗ることで、不猿はなんとか駅までの道を乗り切ろうとしていた。何せ行きの道のりでは、一目ぼれしたあの女子だけを見つめて追いかけて災天高校にたどり着いてしまったので、どんな道を進んでいたのかが分からなかったのだ。なら帰りも同じようにあの女子を追いかければいいと思うのだが、行きと違って帰りは大勢の人が、決壊したダムのように帰路に付く。だからその人混みに呑まれて、あの女子を見失ってしまったのだ。

 普段の調子の不猿ならば人混みに紛れた女子一人を見失うことはないのだが(馬鹿でもそれくらいはできる)、災天高校の学校説明会が不猿にとってとても難解な説明であり、聞くからに高レベルなものだったため、時間を追うごとにだんだんと自信を失い動揺し、あの女子を見失ってしまったのである。

 

 しかし、そんな激しく揺れ動くメンタルの不猿であっても、ある1つの単語を決して忘れはしなかった。

 水原静みずはらしずか。これが先ほどから「あの女子」と呼称していた女子中学生の名前である。何故そんな個人情報を入手できたのかと言うと、静が記入していた災天高校説明会のアンケート用紙に名前を記入しており、それをチラリと盗み見たからである。学校説明会とは不特定多数の人が来ることを想定しており、開催される説明会の会場に誰が座るのかは決まっていない。基本的に前に詰めて座っていく。そのため、静にべったりくっついていた不猿は、彼女の隣に座ることができ、記入される名前を見ることに成功したのである。ちなみに不猿が災天高校の説明会を理解できなかったのは、静の隣に座っていてドキドキが止まらなかったからである。

 そんな彼女が入るであろう高校に入学するためには、10000を超える受験生に抜きん出た頭脳を有さねばならない。しかし流石にそんな賢さではないことは分かり切っている不猿は、自身の姉にどうお願いして勉強を教えてもらったらいいのかを考えていた。いやそこはかなり楽観的に考えていた。優は昔から不猿にとても甘い性格なので、そのお願いは聞き入れてくれるだろうと。問題は、その優が教鞭を取る授業に自分が参ってしまうのではないかということであった。


 「はぁ、どうにか楽に合格できないかなぁ」

 

 そうため息をついていると、あるものに目を奪われた。今朝の電車でも静に奪われた不猿の目ではあったのだけれど、その時は奪われたというよりは「かしずいて差し上げた」と表現した方が正しい。しかし今回に至っては、全く逆であった。何の変哲もない住宅地であるはずの帰り道にポツンと佇む、紫色のマントを深く着た怪しげな占い師の存在が、不猿の目を強奪した。古びた椅子とテーブルが住宅のコンクリートの塀を背にするように敷設されており、そのテーブルには怪しく光る水晶やタロットカード等、占いの道具が色々と準備されている。

 だが、不猿が目を奪われたのは、そんな非現実的な占い師の存在そのものではなかった。今不猿は多くの中学生の流れる道を進んでいる。にもかかわらず、誰もその占い師に関心を示そうとしなかった。いるのは分かるけれどあえて見て見ぬふりをしているならば、それ相応の態度が人には出るはずなのだが、まるでそこには何もないかのように、中学生達は次々と通り過ぎているのである。その集団の無反応が異様で、余計に目を奪われてしまったのだ。

 数秒観察している不猿の気配に気づいたのか、占い師はわずかに覗かれる口角を上げて手招きをした。そして小さくつぶやく。音はなかったが、たった三文字の「おいで」という言葉は、ジェスチャーも相まって不猿の理解に及ぶものだった。なので足を運び、その流れで椅子に掛けた。


「いらっしゃい、君は叶えたい願いがあるように見えるね、でもその願いはとても高く到底叶えられないと見た」


 男性なのか女性なのか判断しかねる声音で、不猿の心中を見抜く占い師。その手腕に思わず唾を飲み込んでしまった。災天高校という最高峰の高校の説明会から帰ってきているならば、それくらい察することができるのだが、不猿ではそこまで理解が及ばなかった。


「よくわかりましたね! そうです、俺はあの災天高校に入って、好きな女の子に、好きになってほしいのです」


 不猿は真っすぐな視線でそう言ったので、占い師は空いた口をふさぐのに1、2秒ほど費やした。そこで試しに占い師は、若干声を引きつらせて尋ねた。


「君は好きな人がいて、同じ災天高校に入って、その好きな人に好きになってもらいたい、そうだね?」


「え、えええ!? どうしてわかったんですか!?」


 不猿は両手を赤い頬に当ててそう言った。不猿の馬鹿を確認できたところで、普段ならば相手の感情の機微を観察して自分の思う答えまで誘導するのだが、その必要がないと分かった占い師は「手を出して、サービスしてあげるから」と適当な口調で言った。すると不猿はささっと大人しく右手を出す。と、そこで不猿はある疑問を口にした。


「そういえば他の人は貴方に全く気付いていませんでしたけど、もしかして影薄いんですか?」


 こういう時、占い師はいつも「結界」とか「光学迷彩」といった言葉を巧みに用いて煙に巻くのだが、相手がとっても馬鹿であると分かったので「まぁそんなところだね」と言った。


「大変ですねぇ影薄いのって、人に気づいてもらえないって悲しくないですか? もっと派手なお店にした方が繁盛すると思うのですが」


 大きなお世話だ、とは口に出さず眉をぴくぴくさせるに留める占い師。「それはいいので、目を閉じて、君の願いを念じてね」と言った。不猿はその言葉に従い、占い師の柔らかい手の感触を感じながら、頭の中で念じる。すると、不猿の右手の甲に熱い感触があった。唸る不猿に「まだ、目を開けないで」と早口に制した。その言葉に従って痛みに耐えていると、その痛みはやがて静まり「はい、もういいですよ」と言われて目を開けた。その右手には、星型の焼け跡がタトゥーのように刻まれていた。


「これで君は、願いを叶えることができます。これからの未来が君にとって良き未来であることを、心から確信しているよ」


 不猿に手を振ってさよならをする占い師だったが、その手を止めて一言アドバイスを追加した。


「あ、でもちゃんと勉強はしておいた方がいいよ、しておいて損はないからさ」

 

 占い師はそう言うと、ふわっと煙の如く店ごと消失した。

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