眠らせ姫と夢のとばりの繍い手たち
折原ひつじ
第1話 「夢のとばり屋」との出会い
私、
まだピカピカのローファーで地面を勢いよく蹴れば、いつもよりほんの少し速く景色が置いていかれる。制服のスカートにまだ慣れないのか、ちょっぴり足を取られながら私は大急ぎで近道に続く階段を駆け上がったのだった。
「はぁっ、はぁ……いま、なんじ……?」
全力疾走したせいで心臓がばっくんばっくんうるさくて、落ち着かせるために踊り場で一度休憩を挟みつつ携帯の画面をちらりと見る。
時刻は十六時二十三分。今からどんなに急いで家に帰っても、気になってた音楽番組には間に合わないだろう。
わかってしまえば急ぐのもバカらしくなっちゃって、私は深いため息を吐いた後思いっきり背伸びをする。そうすればアスファルトの映った私の影が切り込みを入れたみたいにぐんと伸びた。
「……あれ、こんなお家あったかな?」
中学校に入学する前に一度通ったきりの近道は急な階段と普通の一軒家ばかりが並んでいるイメージだった。でも今私の視界の先にはなんともメルヘンなお家がちょこんと建っている。
焦げ茶の屋根にはちみつ色のレンガの壁。ツタを絡めて咲き誇る真っ白なお花に惹かれて窓に近づけば、カーテンにはうっとりしちゃうほど繊細な刺繍がされていた。
「ステキ……!」
人のお家をこんなにジロジロ見るのは失礼だってわかってるけど、まるでおとぎ話からそのまま抜け出したような見た目にワクワクが止まらない。
後もう少しだけ、と思いながらドアに飾られた見たことのないお花に見惚れていれば、不意に柔らかな声が私の耳に届いた。
『ああ、ちょうどよかった。はいっておいでよ』
「ひゃっ?」
突然呼びかけられてどきん!と大きく心臓が跳ねる。
やっぱり人のお家をジロジロ見たらダメだったよね?
おいでって……怒られちゃうのかな、どうしよう!
思わず後ずさった右足がコンと「何か」を蹴ってしまい、視線を向けたタイミングで小さな木の看板が音を立てて倒れる。ますます慌てながら立て直そうとしゃがみ込んだところで私はその「お家」がなんなのかを知ったのだった。
「『カーテン、セール中』?」
看板に書かれていた文字を読み上げてから私はやっと「ああ、ここってカーテン屋さんなんだ」と理解する。上を見上げれば壁からにょきっと鉄の看板が生えていて、お店の名前だと思われる文字が並んでいた。
「る……こいえ?」
英語かな。もしかしたらもっと違う国の言葉かもしれない。鉄の看板はカーテンのシルエットの中に星の形の穴が空いているものですっごくこだわったお店なんだなあと見ただけでわかる。
『おいでよ、ちょっと困ってるんだ』
さて、店名がわかったところでどうしようか?
迷っていれば、もう一度先ほどの優しげな声が私を誘う。確かに今までカーテン屋さんなんて見たことないし、ちょっと気になるのはほんとだ。お店だから怒られたりもしないだろうし。
それに困ってるって言うのだから、もしかしたら中でとんでもないことになってるのかもしれない。
「お、おじゃましまーす」
迷った挙句、私は好奇心に駆られてゆっくりとドアノブを回して中へと足を踏み入れる。ギィ、と音を立ててドアが開けば、一気に視界がカラフルに染まっていった。薄暗い店内の中、いくつものランプに照らされた色とりどりのカーテンが並べられている。
「わぁっ……!」
カーテン屋さんには初めて入ったけど、こんなに素敵なところだったなんて知らなかった。
夜空みたいなネイビーに、燃える夕焼けみたいなオレンジ!
どちらかと言うとと濃い色のものが多いけど、中には見ているだけでうっとりしちゃうようなレースのカーテンも紛れていた。
その中でも一番綺麗だったのが、昼と夜の間のラベンダーみたいな空の色!
思わず値段の札を見てみるけど、輸入品なのか見慣れない数字が書いてあって結局いくらかは分からなかった。多分、すっごく高いんだろう。
「っていけない! 誰が呼んでたんだろう!」
すっかり見惚れてしまってたけど、そういえば「困ってる」という声に呼ばれていたんだった。慌てて店の奥に進もうと方向転換した瞬間、目の前に壁が現れて私は思いっきりぶつかってしまう。
「……君は……! ごめん、大丈夫? 何か気に入ったものでもあった?」
壁は硬くなかった。っていうか、人だった。
慌てて顔を上げれば、ぶつかった私を心配そうに店員さんらしきお兄さんが見つめている。青みがかった長い黒髪を一つで結んでいるからお姉さんかと思ったけど、お兄さんだ。
月みたいな不思議な色の瞳がこちらを見つめてからゆるりとほそめられる。俳優さんとかモデルさんみたいに綺麗な人で、うっかり見惚れてしまってから私は慌てて頭を下げた。
「い、いえ! こっちこそぶつかっちゃってごめんなさい! その、気に入ったものはあったんですけど、その、いくらか分からないしお金もそんなにないので……」
「いやいや、お客さんなんだから来てくれるだけで嬉しいよ。気が済むまでじっくり見てね。こういうのって見るだけでも楽しいから」
店員さんの言葉に私はほーっと安堵の息を吐く。それからさっき飛び出そうとした理由をもう一度思い出して、慌てて彼に訊ねたのだった。
「そうだ! さっきお店の前を通った時に『ちょっと困ってる』って声が聞こえてきたんですけど、誰か今男の人で困ってる人っていますか?」
私の質問にお兄さんはきょとんと丸く目を見開いてからきょろきょろと辺りを見回す。誰もいないことを確認してから、ちょっぴり困ったように眉を下げて笑ったのだった。
「うちの店員は僕と同じくらいの男はいないし、お客さんも来てないし……誰かのイタズラかなぁ?」
なんて言いつつも店内をくまなく探すようにお兄さんはあちらこちらを覗き込んだり部屋を開けたりして探してくれる。その一生懸命な様子を見ているとなんだか申し訳なくなってきて、私は「ごめんなさい。私の気のせいだったかもしれないです」と彼に謝った。
「そっか。誰も困ってないなら良かったよ。まぁ僕としてはお客さんが来なさすぎて困ってるから、それがうっかり声に出てたのかもしれないね」
「あ、あはは……」
フォローしてくれてるんだろうけど、切実すぎてちょっと笑えなかった。確かに私の他にお客さんいないし、素敵だけどあんまり知られてないお店なんだろうか。
苦笑いを誤魔化すみたいにお店の中を見渡してから、やっぱり私はさっき見つけたラベンダーカラーのカーテンに目がいって「ほぅ」とため息をつく。昼が夜になるみたいな、夜が朝になるみたいな綺麗な色だった。
「ふふ、気に入っちゃった? どうしても諦めきれなかったら教えてね。ハンカチでもカーテンでも、お望み通りの夢を縫ってみせるから」
彼の言葉に私は「ん?」と小さく首をひねる。夢を縫う、という聞き慣れない言葉のせいだ。ここでようやく私は少しずつ店内のおかしなところに気づき始めたのだった。
開けっぱなしの扉から覗く奥の部屋は何故だかベッドが置いてあるし、お客さんの希望を聞くためのカウンターにはたくさん紅茶の缶が並んでいる。それから外から見た時よりずっとずっと店内は広々としていた。
それに何より、どうしてカーテンを閉めただけの店内はランプをたくさん灯さなきゃいけないくらい暗いんだろう?
「…………ここって、なんのお店ですか?」
もしかしたらここってカーテン屋さんじゃなかったのかも、と若干怖くなりながら質問する私に、店員のお兄さんは「ああ」と照れくさそうに頬をかくとちょっぴり大仰な仕草で腕を広げたのだった。
「『夢のとばり屋』へようこそ! ここはお客様のお望み通りの夢を見せるための刺繍屋さ!」
刺繍屋。耳慣れない響きだけど、同じくらい胸がワクワクする響きだと思った。さっきの「夢を縫う」というのもきっとそれくらい素敵な刺繍ってことなんだろう。
彼がハンカチを手に取って私の目の前にひらりとかざせば、色鮮やかで繊細な刺繍の蝶も一緒にひらりと揺れた、ように見えた。
「すごい! 魔法みたいですね」
「それはそうさ、だって……」
思わず子どもみたいなことを言う私にお兄さんはまた少し目を丸くするとすぐににこりと嬉しそうに笑う。
そのまま手にしていたハンカチの刺繍を指でなぞった瞬間、刺繍の糸がするりと解けて宙へと舞い上がった。
「これは、魔法だもの」
瞬きの間に糸が蝶に姿を変えてひらひらと羽ばたく。言葉を失う私を見て満足げに笑った後、お兄さんは刺繍の蝶を指に止まらせるとそのまま店の扉を開けて空へと飛ばした。
私はただただあっけに取られて蝶の飛んでいく様を目で追って、そこで私は見てしまった。
扉の先には中学校の通学路ではなく────まったく見知らぬ異国の土地の景色が広がっていたのを。
「ここ、どこなの?!」
「えっ、どうしたの?」
石造りの古めかしい家が並ぶ街に、キャパオーバーになった私の悲痛な叫びが響き渡ったのだった。
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