最終回『虚往実帰』の巻

 清水の休日



「ショウちゃん、たまにはカフェでランチもいいものね」

 清水の妻が、細かく千切ったパンをスープに浸して、膝に座る幼い娘(チコ)の口に入れる。母も娘もご機嫌だった。昨夜取引先と飲んで深夜に帰宅した清水。日頃育児を任せっぱなしの妻への罪滅ぼしにと、外に誘い出したのだった。

 清水と妻のアキ子は大学時代からの付き合い。そのせいか、妻のアキ子は夫のことを昔と変わらずショウちゃんと呼ぶ。

「ショウちゃんには、内緒にしてたんだけど…この前保育園のママ友に誘われて、占い師のところに行ったのよ」

「占い師?!」

 アキ子の意外な話題の振りに、清水も飲みかけのアイスコーヒーをのどに引っ掛けて咳き込む。そう、清水は学生時代から、彼の想像を超えるアキ子の行動力に振りまわされているのだ。

「その占い師は御婆さんで、生年月日・姓名判断・血液型・顔相・手相など様々な要素を混ぜ合わせた『天星術』ってやつで占ってくれるの。よく当たるそうよ」

「占いって…今の俺たちに何を占うことがあるんだよ」

「だって、この先私たちの結婚生活はどうなるのかとか、この子が幸せな結婚ができるのかとか…」

 アキ子愛娘チコの柔らかな頬をつついてほほ笑む。そんな二人を見て、清水が憤然と立ち上がる。

「アキ!俺は絶対離婚なんかしないからな!」

「わかってるわよ。いいから、落ち着いて座りなさい。残念ながらあなたの老後の面倒は私がみるみたいだから」

「そうか…」

 ちょっと安心しながら着席する清水。そして言葉を続けた。

「それに、チコのことだって…だいたい幸せになれないような相手を俺が見抜けないわけがない。そんな奴を連れてきたって俺が許すわけないだろうが」

「そうかしら…初めてショウちゃんを家に連れて行ったとき、うちの父は付き合うのを凄く反対したのよ。女の幸せって決して、父親には理解できないものなのよ。ねぇチコちゃん」

 チコに優しく話しかけるアキ子を見ながら、清水なぜか火照る顔を冷やすようにアイスコーヒーに手を伸ばす。

 しかしそれで、アキ子の話題は終わったわけではなかった。清水に向き直ったアキ子は、心配そうな目で話を続けた

「それでね、ついでにショウちゃんの仕事運も占ってもらったのよ」

「何を余計なことを…どうせ俺は出世もしないし、金持ちにも成れないよ」

「そんな先のことじゃないの。なぜかショウちゃんの占いはチョウ具体的で…『別れ難く、よだれを流す』ってことらしいのよ」

「えっ、仕事で別れがあるの?やだなぁ。それに別れに涙を流すならまだわかるが、よだれ?…意味不明だし!」

「でも安心して、それを乗り越えたら大きな躍進があるそうよ」



 花咲の休日


 花咲は中山競馬場の観客席で暖かい日差しを楽しんでいた。今日は、妻は友達と出かけていった。息子は相変わらず部活に忙しい。ひとりで過ごす休日に、久しぶりに競馬場で生のレースを観ようと出かけてきていたのだ。

 花咲は競馬が趣味だが、その賭け方には無理がない。案の定負けの数も多いが、無理なく競馬を続けられるぐらい勝ってもいた。

 今日も第9レースのゴールを狙った馬が先頭で駆け抜けた時点で、多少軍資金が増えた状況である。しかし、少し離れた席でゴールを見守っていた老女はどうも花咲と状況は違っていたようだ。

「チッ、また負けかい」

 老女は持っていた馬券を破り捨てると空に放り投げた。

「台風の進路予測は絶対にはずさないこの私が、なんで勝ち馬予測ははずしまくりなのよ」

 そうつぶやく老女の言い草がおかしく、思わず花咲の口がほほ笑む。

「あらっ、兄さん今、笑ったね」

 花咲の表情を見逃さなかった老女が彼に近づいてきた。思わぬ展開に花咲も慌てた。

「いえ…笑ったなんて…笑ってませんよ」

「いいや、笑った。兄さん何かい、あたしが嘘を言ったとでも」

「とんでもないです…」

 花咲の言葉にお構いなく、老女は彼の横にドカッと座り話し始めた。

「あたしゃね、今は隠居の身だけど、長く気象庁の災害対策課に勤めててね。天気図を見ながら台風や荒天から日本を守ってきたんだよ」

「あ、ありがとうございます」

 言う必要もないのだが、花咲は思わずお礼の言葉を発していた。

「長く勤めているうちに、スパコンが登場して私に対抗してきたけど、予測スピードと精度では到底あたしの足元にも及ばなかった。あたしはスパコンより早く台風の誕生を告げ、あたしが出した台風の進路予報は、一回たりとも外すことがなかったのよ。みんなあたしを『台風を乗り回す魔女』って呼んだくらいなんだから」

 花咲もだんだん面倒になってきていた。そろそろ次のレースの馬券を買うために予想整理に入らなければならないのに。

「そうですか…あの、次のレースの準備があるのでこれで失礼…」

「ちょっと、まだ話はおわってないの!」

 立ちかけた花咲の袖を老女がつかんで離さない。

「あんた、まだあたしのこと疑っているようだけど」

「いや、疑ってるなんて滅相もない…」

「だったら証拠見せようか。来週金曜には破壊的なハリケーンがアメリカ南部を襲うはずだわ」

「なんでそんなことが分るんですか?」

「隠居の身でもね、毎日世界の天気図は欠かさず見ているの。あたしには天気図の中にある台風の『種』を、誰よりも早く発見できるのよ」



 事件発生


 今週の業務も無事に終えようかと思えた金曜の午後、清水が1枚の発注書を握りしめて花咲のところに駆け込んできた。

「どうしんたんだ清水。そんな青い顔して」

「また…とんでもないミスを犯したようで…」

「おいおい…勘弁してくれよ清水。今度は何が起きたんだ」

「実はABCゴム商会から天然ゴムを使ったゴムコンパウンドの発注がありまして…」

「売上獲得でよかったじゃないか」

「ところが、それが大問題に…」

「どういうことだ?」

「部長もご存知のように天然ゴムはラバー商事から買い付けてますよね」

「ああ」

「そのラバー商事から天然ゴムのストックが50トンあるので、すぐに10トンを注文してくれるのであれば、キロ200円でうちに扱わせてくれるって約束を2週間前にしたんです」

「それで」

「ABCゴム商会からは定期的に注文があるので、10トンくらいすぐハケけるだろうと思って、ラバー商事との約束の後すぐABCゴム商会向けに天然ゴムを使ったゴムコンパウンドの見積書を発行しました」

 清水は手にしたABCゴム商会に発行した見積書の写しを花咲に差し出すと声を震わせて説明を続ける。

「今日発注があったので、さっそくラバー商事に連絡したら『別のお客さんから注文があったのでストックはほぼハケてしまった。お宅にキロ200円で回せる天然ゴムは、残っている2トン分しかない』って…」

 清水は握りしめた拳で机を叩く。事態を把握した花咲は続けざまに清水に質問した。

「ABCゴム商会へのコンパウンドの納品に必要な天然ゴムは何トンだ?」

「10トンです」

「それで、足りない天然ゴム仕入れに他のところ当たったのか?」

「はい、とりあえず8トンは別から仕入れられます」

「なら問題ないのでは…」

「ところが別で仕入れる分は、ゴム相場の高騰で、現時点ではもうキロ290円までに上がっています」

「2週間でそんなに上がってるのか!」

「はい…」

「ならABCゴム商会に連絡して、見積り価格の変更をお願いしたらいいんじゃないか?」

「言いにくいのですが…ABCゴム商会へ発行した見積書の価格有効期限をうっかりゴム機械と同じように1か月としてしまって…」

「うぇっ…それじゃ、価格の変更を言い出したらうちの信用問題にかかわってしまうな…」

「ええ…どうしよう…このまま取引したら大赤字ですよ!」

「かといって発注を断るわけにもいかんし…」

 ああ、今週は無事に終えることができると思っていたのに…。花咲はため息まじりで言葉を続ける。

「天然ゴムの相場は、需要と供給、世界情勢によって、短期間で大きく変動するからな。1日単位で急に高騰したり、下降したり…とにかく、状況を正確に判断して見積書の有効期限に注意しなかったのは失敗だったな…」

「すみません…一言もありません…」

 消沈する清水のそばで花咲はしばらく見積書と発注書を眺めていた。やがて、彼はあることに気付いた。

「ABCゴム商会への納品期限には多少時間があるな」

「ええ、納品期限は1か月後です」

「となると、残り8トンの天然ゴムをいつ仕入れるかがカギだな」

「でも、現在のキロ290円が期限内に200円に下がる保証はないですよ。どちらかといえば現在は上昇傾向にあります。うかうか待っていたらもっと赤字幅が増えるかもしれない…」

「そうだな…でも、赤字幅を減らすためには、少しでも仕入値段が下がった時に買い付けたいのだが…」

 ふたりは腕を組んで考え込んだ。

「そうだ!うちのアキ…いえ、嫁がこの前占い師に会って占ってもらったことがあるんですが、仕入値段が下がる頃合いを占ってもらいましょうか」

「占いね…なんだか非科学的な気もするが…」

「溺れる者は藁をもつかむですよ。とにかくその占いは『天星術』ってやつだそうで…」

「『天星術』ねぇ…」

「嫁が言うには、占い師は不気味な老婆だけどよく当たるんだそうです」

「老婆か…」

 そうつぶやく花咲の胸にその言葉が突き刺さる。彼は荒木田に向き直ると大声で問いかけた。

「ところで荒木田さん、今アメリカ南部の天気はどう?」

『ここで天気の話?!』突然の花咲の場違いな問いに驚きながらも、荒木田はデスクのパソコンをのぞき込む。

「今は…ハリケーン『イアン』がアメリカ南部・フロリダ州に上陸してるみたいです。風速70メートル近くで、河川が決壊したり、街全体が浸水したりして大きな被害が出てるようですよ」

「そうか…」

「花咲部長、この非常事態にアメリカの天気がなんか関係あるんですか?」

 清水の非難めいた問いにも構わず、花咲はしばらく考えた末、冷静に彼に指示を飛ばす。

「とにかく、まず清水はラバー商事のキロ200円の天然ゴムを2トン確保しろ。残りの8トンについては、市場が閉まった今ではどうにもならん。週明けに結論を出そう」

『天然ゴムの値段が上がるのか、下がるのか…そんなことは俺の頭で考えてもわかるわけがない。やっぱ占い師に頼るしかないかな…』

 そうつぶやきながらも、清水は2トン確保のために、ラバー商事に電話を掛けた。



 再び中山競馬場


 花咲は週末、競馬場で好きな馬券を買う暇もなく、必死であの『台風を乗り回す魔女』を探した。

 土曜は棒に振ったが二日目の日曜日に、ようやく彼女を見つけることができた。彼女はつまみの焼き鳥2本を紙皿に乗せ、ワンカップの日本酒とともにテーブルに置いて、競馬新聞を開いている。

「競馬新聞をいくら見ても、当たり馬券なんか一向に見えてこないわ…」

 魔女のつぶやきは相変わらずあたりにもろ聞こえだ。

「あのう…こんにちは」

 魔女がいぶかしげに新聞から目線を上げた。

「おや、先週あたしを笑った兄さんじゃないか」

「いや…決して笑ってなど…」

 彼女は気安く人に近づく割には、人に近寄られるとやたら警戒する性分のようだった。

「こんな婆さんに再び声を掛けるなんて…あんた超熟女趣味のナンパ師かい」

「まさか!」

「あたしゃ、次のレース予想で忙しいんだよ。あっちへ行きな」

 先週は花咲の予想を邪魔してきたのに…まったく勝手な魔女である。

「実は…その…予想をお聞きしたくて…」

「兄さん、あたしが勝ち馬を当てられない負け犬ババアだってことはもう承知だろうが!」

「そっちじゃなくて…」

 花咲は、焼き鳥2本とワンカップの日本酒を隅に追いやって、脇に抱えていた世界地図をテーブルに広げた。

「今北半球は台風のシーズンじゃないですか。この2,3週間のうちに『イアン』並みの台風がアジアのどこかの国に発生する可能性はありますか?」

 魔女は地図と花咲の顔を交互に見比べながら言った。

「なんでそんなことを知りたがる?」

 魔女の問いに花咲は何と答えたらいいか躊躇した。しかし、目的をごまかして情報を得るのはフェアではない。それで情報提供を断られたらそれはそれで仕方ないことだと思い事情を説明した。

「…それで、この2,3週間のうちに供給サイドに自然災害があれば天然ゴムは急騰するし、需要サイドにそれがあれば急落する。だからわずかな価格の差であっても、自然災害の発生の有無と地域が分れば、自分たちに有利な価格で天然ゴムを買い付けられるタイミングがわかるのではと思ったんです」

 花咲の説明を聞いた魔女は急に笑い出す。

「こんなところで仲介業者の悲哀物語を聞くなんて、ケッサクだわ」

 花咲はやはりこんなお願いは無理だったのかと、絶望的な思いで彼女の笑いが収まるのを待った。

「まったく…話を聞けば勝手なことを…。台風の発生予測から、天然ゴムの農園を守りたいとか、工場を守りたいとか言うならまだしも、馬券を買うかの如く予測で金儲けしようなんて最低だわ」

 そうかもしれない。予測でなりたつビジネスの不安定なことは痛感している。彼の会社が天然ゴムの農園を持ってさえいれば、こんな事態にもならなかったはずだ。

 花咲は諦めて席を立ちかけた。その様子を見て、魔女の声色が突然変わった。

「で、兄さんに教えたら、あたしはなにがもらえるの?」

 声色が変わった?花咲は魔女のにやけ顔に戸惑いはしたものの、席に座り直し彼女に一冊のノートを差し出す。

「自分が長年ため込んだレース予測とその結果の比較データです。これを差し上げます。天気図から台風の『種』を発見できる魔女なら、きっとこのデータと競馬新聞のデータを見合わせて『勝ち馬』が見えてくるのではないかと…」

 花咲の条件を聞いて、魔女の目の奥で欲望の火花が散った。魔女はよほど競馬に勝ちたかったらしい。

「OK!」

 魔女はやおら席を立つと、大勝負の将棋で王手を指すように勢いをつけて、世界地図のフィリピン沖に指を置いた。

「いい、よくお聞き。ここに『イアン』並みの台風の種がある。まず1週間以内に台風が生まれるわね」

「その後のルートは?」

「高気圧の影響でまっすぐ北上して、台湾を過ぎ中国に上陸。その頃には大風が急激に発達して『イアン』と同じくらいの勢力になって中国を通過。シベリア上空で低気圧に変わる予測よ」

「となると…山東省を横切りますよね」

「ええ、まさに直撃ね」

「その通過する日は…」

 今度は、逆王手の熱さで花咲が問いかける。魔女は多少に押されながらも気丈に答えた。

「そうね…10日後くらいかしら…」

 それを聞いて花咲は地図を鷲掴みにして席を立った。

「ありがとうございます!」

 魔女の前にノートを残したままは、花咲は振り返ることもなく飛び出していった。



 成田空港の別れ


「なあ清水。そんなに湿っぽい見送りされちゃ、俺も出国しづらくなるだろう」

 花咲のことばに、ようやく顔を上げた清水が言った。

「だって、花咲部長が単身赴任でベトナムへ行っちゃうなんて…」

「今生の別れというわけではあるまい。ベトナムの合弁会社が落ち着けば帰ってくるのだから」

「でも花咲部長も部長ですよ。うちの社長にベトナム最大の天然ゴム会社と合弁会社を設立しようなんて提案するから…ホーチミン市に日本側の責任者として単身赴任する羽目になっちゃって」

 そう、競馬場での『台風を乗り回す魔女』とのやりとりから得たインスピレーションを、社長に提案した結果が、今花咲を成田空港から旅立たせようとしているのだ。

「でも悪い提案でもないだろう?…傘下にベトナム天然ゴム農園とともに天然ゴム40工場、子会社のカンボジア工場、ラオス工場から年間40万トン以上の天然ゴムの供給が可能な会社と手を組むだのだから、うちにとっては大飛躍じゃないか」

「そうでしょうけど…」

「これで前みたいに天然ゴム相場の変動に四苦八苦するようなこともなくなるだろう」

「そうですね…そういえば、あの時なぜ部長は10日後に山東省の工場地帯に台風が来て、天然ゴムの価格が下がることが分かったんですか?」

「山東省には中国の主要なゴム工場が密集しているだろ」

「ええ」

「正直なところ、台風で一時的に各社の工場がストップしたところで、価格に影響があるとは思えないが、それでも需要に多少の支障が出て、1円でも2円でも他の仕入れ先から有利に買い付けることが可能になるかもしれない…くらいしか思ってなかったんだ」

「それが、台風のせいで黄河が氾濫しエリアの工業地帯が浸水。工業地帯に密集していたゴム製造工場も各社稼働再開に数か月を要する事態となった」

「ああ、現地の人たちは大変だったと思うが…」

「それで、あろうことか、ラバー商事が受けていたのは中国からの顧客で、天然ゴムストックの納品がストップとなり、今度はダブついた天然ゴムをキロ200円割れでいいから引き取ってくれとウチに泣きついてきた。ほんと、人生って予測できないもんですよね」

「確かには先が分らぬ人生だ。でも、お前にはよく当たる占い師がついているから大丈夫だな」

「その占い師なんですが…あの時天然ゴムの買い付け時期を占って欲しいって言ったら、たたき出されてしまいましたよ」

「ハハハハ…、いずれにしろ『予測と占い』そんなものに頼る必要のないビジネスを構築するっていう今回のプロジェクトは、間違っていないと思うがな」

「…だからって部長が行くこともないのに…どのくらい向こうにいるつもりですか?」

「まあ、長くとも2年ってとこだよ」

 ため息をつく清水の後ろから、荒木田が手に小さなビニール袋を持ってやってきた。

「はい、花咲部長。機内で食べてください。チーズかまぼこです。缶ビールは持ち込めないので機内で買ってくださいね」

「ちょっと待ってよ、荒木田さん。大阪に新幹線で出張ってわけじゃないのだからチーカマってのはどうかと…」

 清水に振り向きもせず、荒木田は花咲部長に言葉を続ける。

「花咲部長。向こうでも健康に気をつけて頑張ってくださいね」

「ああ、『虚往実帰(きょおうじっき)』帰国したらまたよろしく頼むよ」

「部長、またわけのわからないこと言って…」

 清水が半泣きで抗議する。

「つまり、行きは不安で寂しい気持ちだが、行った先で貴い経験と学びを受けて充実した心で帰ってくるぞってわけだ。心配するな。じゃ、行ってきます」

 花咲はそう言ってパスポートを手に出国審査に向かって歩き始めた。見送る清水と荒木田。花咲の後ろ姿を見て、清水がついに号泣し始めた。

「清水さん、みっともないからもう泣くのやめてもらえます」

「だって…ヒック、涙がとまらない…ヒック、誰か…ヒック、涙止めてくれよ…ヒック」

 それを聞いた荒木田は、やおら清水の奥襟をつかむと、鮮やかな一本背負いで彼を空港の床にたたきつけた。

「みっともない男の涙を止めるには背負い投げが一番。知ってました?私 一応柔道も黒帯なんです」

 清水の涙は見事に止まった。だがそれは背負い投げで気を失ったからで、今度は涙の代わりに空港ロビーの床によだれをたれ流していた。


(最終回/了)


 注※この物語はフィクションです。物語で起きる事件、および登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

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