第四章 大切な人

第35話 駅前の邂逅


「梅さん、図書館に行ってくるね」


 台所の梅さんに声をかけて深月みつきは家を出た。今日は夕夏ゆうかと宿題をする約束をしている。

 外へ出ると、うるさいくらいのセミの声。昼過ぎのこの時間が一番暑い。

 今までは、夏休みでもほとんど外出しなかったから日焼けもしなかった。けれど今年はもう半袖のところにくっきりと跡がついている。



「新しくオープンするカフェです。割引券使ってくださいね」


 駅前広場で、白シャツに黒エプロンの青年たちがチラシを配っている。

 バイトとはいえ暑いのに大変だなと思っていたら、目の前にチラシが差し出された。


「割引券をどうそ! きみ、もしかして複雑な恋をしてたりする?」

「え?」


 青年を見上げた時、何故だか背中に悪寒が走った。

 黒いエプロンをつけた茶髪のイケメンが、柔らかな笑顔を浮かべてチラシを差し出している。


「きみは不思議な力を持ってるでしょ? 僕もね、きみとは正反対の力を持ってるんだ。対極にあるものってすごく興味が湧くよね」


 背中が凍りつきそうなほど怖いのに、深月は青年から目が離せなかった。

 正反対の力という割に、彼の周りに闇は見えない。澄んでいると言ってもいいほどだ。


(早く、この人から離れなきゃ……)


 目の前に差し出されたチラシを避けて深月は歩き出した。けれど、すれ違いざまに腕をつかまれてしまう。


「待って。この前、ビルの非常階段できみを見かけたよ。もっと前にも、きみの気配を感じたことがある。あれは裏通りの奥にある行き止まりの路地だったかなぁ?」


 男の言葉に、深月は目を見張った。

 この男は、深月に偶然声をかけた訳じゃない。深月が裏通りで知っていて声をかけたのだ。


(この人、占い師だ!)


「ずっと気になってたんだよね。僕は龍人りゅうとっていうんだ。すこし話ができるかな? もしかして誰かと待ち合わせ? 気をつけた方がいいよ。きみはこの後、女の子に絡まれるからね」


 龍人はまるで予言のような言葉を口にする。梨沙りさにも、こうやって近づいたのだろうか。


「手を放して!」


 龍人の手を振り払おうとしたけど、全然振りほどけなかった。深月の帽子が飛んで道路に落ちても、歩いている人たちは誰も気に留めてくれない。


「新しくカフェが出来たんだ。少しだけ話をしない?」

「放して!」


 もう一度龍人の手を振り払おうとしたとき、真っ白いシャツで目の前が遮られた。


「やめろ、深月の手を放せ!」


 深月と龍人の間に割り込むように、アマミが立っていた。


「きみは彼女の知り合い? 誤解しないでよ、ちょっと話をしてただけだから」


 そう言って、龍人は深月の手を放した。


「深月、行くぞ!」


 アマミに腕を引っぱられて人ごみから抜け出したとき、深月はようやくアマミと一緒にいる女子高生に気がついた。背の高いショートカットの美人だ。部活の帰りなのか、二人とも制服姿だ。


「なにナンパされてんだよ」


 呆れたようにアマミがつぶやく。


「違うよ、ナンパじゃない。あいつは……」

「ねぇりく、この子が妹さんより世話が焼けるって言う中学生なの?」


 彼女が笑いながら、アマミに囁きかける。


「そうなんだ。こいつ、ラインも電話も無視してんだよ」

「深月ちゃんだっけ、お願いだから陸にあんまり迷惑をかけないでくれる?」


 すこし腰をかがめるようにして見下ろしてくる、きれいだけど冷ややかな目。


「あなたは、ア……上田くんの彼女?」

「そうよ。志帆しほっていうの、よろしくね」


 にっこりと笑う彼女の顔から、深月は目が離せない。


「うちらフットサルやってんだけど、同好会から部に昇格できそうなの。これから試合も多くなるから、あなたに構ってる暇はないの」


 彼女の言葉ひとつひとつに敵意を感じて、心が悲鳴を上げそうになる。

 冷たいものを飲み込んだ時みたいに胃の辺りが冷たくなって、深月は今すぐここから逃げ出したくなった。


「わかりました。上田くんにはもう会いません。さようなら!」


 そう言って、深月はその場から駆け出した。

 闇雲に走り続けたせいで、気づいた時には裏通りへつながる路地に入りそうになっていた。


(なんで? 図書館に行かなくちゃいけないのに)


 深月が立ち止まると、路地の壁にもたれて龍人が立っていた。


「ねぇ、女の子に絡まれたでしょ?」


 ニッコリと笑う龍人が、ゆらゆらと揺らいで見える。まためまいが襲って来たのだ。


(こんな時に……)


 深月は用心深くゆっくりと一歩下がった。そして、踵を返して駆け出した。

 追いかけて来ているのか、走っても走っても龍人の気配は消えない。深月は目の前がグラグラして今にも倒れてしまいそうだったけれど、恐ろしくて立ち止まることなど出来なかった。


(ここで倒れる訳にはいかない。龍人あいつは人を操ってビルの上から落とすことが出来るんだから)


 梨沙のことを思い出し、深月の体から冷たい汗が噴き出した。


(どうしよう……)


 足に力が入らない。自分がちゃんと走れているのかすらわからない。

 絶望のあまり涙がこぼれそうになったとき、横から伸びて来た手に深月は引っ張られた。

 目の前で、音を立ててバスのドアが閉まる。

 ドアの窓ガラスの向こうに立つ龍人と、少し離れた場所に立つアマミと志帆の姿が後方へ流れて行った。


 自分の体を支えている大きな手に気がついて振り返ると、ブルーグレーの髪をした目つきの鋭い男が深月を見下ろしていた。


「……安田?」

「安心しろ、守矢神社に連れて行ってやる」


 安田の言葉に安心して、深月は意識を失った。

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