第18話 失せ物事件の真相とは
本当に今日、そういったことが起こるという確信はなかった。
ただ、失せ物が始まってからの期間を考え、「そろそろだな」くらいの考えだったし、まさか本当に起こるとは思ってもみなかった。
しかも、その真っ只中に遭遇できるとは。
「――どういうことか申せ! 何故わらわの
一帯に響き渡る、
彼女特有の少年のような中性的な声は、より声を遠くへ運ぶのに適している。
おかげで、後宮門付近には後宮内からだけでなく、宮廷側からもなんだなんだと野次馬が集まりはじめていた。
「そ、それは……あの……御妃様のではありませんで……に、似ているだけですから」
李徳妃に凄まれている店の主人は、猿のように背を丸め、ぎょろりとした目で李徳妃をチラチラと見上げていた。
李徳妃には宋賢妃と違った怖さがある。
烏の羽のように艶のある黒髪と黒い瞳。そして斉胸襦裙も上からかけた
色彩豊かな後宮において、彼女の出で立ちは重量感のある威容を醸し出している。
その彼女の手には今、緑一色の太い玉環が握られていた。
「ほう……其方はわらわの目が節穴と愚弄するか」
「ぃ、いえ、滅相も……!」
「李一族の姫であるわらわが、
「ヒィッ!」
彼女の、生まれの高さを感じさせる言葉遣いもまた、並の者を萎縮させるには充分であった。
「盗人猛々しいとはこのことよ。よくも
「ち、違う!」
すると、悲鳴と一緒に尻餅をついた店主は、バッと腕を上げ李徳妃を指さした。
「オレじゃねえ! あ、あいつだよ!!」
否、李徳妃の背に隠れるようにして立っていた一人の侍女を。
「あいつが前の前ん時に売りに来たんだ! 買い取ってくれって! ほ、本当だよ、御妃様のだって知ってりゃ、買い取らなかった。信じてくれよう!」
集まっていた者たちの視線が、一斉に一人の侍女へと注がれた。
灰色の深衣を纏っていることから、彼女は李徳妃の侍女だと分かる。彼女は顔を俯け、肩をすぼめて小さくなっていた。
少し離れた紅林達のところからでも、彼女が顔色を失っているのがハッキリと見てとれる。紅を塗っているはずの唇まで白くなっている。恐らく何度も唇を噛んだのだろう。
「
振り返った李徳妃の静かな問いは、騒然としていた辺りを、水を打ったように静まりかえらせた。
「ゎ、私じゃ、な……なくて……」
蚊の鳴くような侍女の声は震え、ただでさえ聞き取りづらいのに、どんどんと尻すぼみしていく。
「お主でない? だが、この商人はお主だとはっきり言っているが」
「……な、なぃ……、か……が……」
「ない…かん…? 聞き取れぬわ、はっきり延べ――」
「おいおい、これは一体なんの騒ぎだ」
突然の尊大な声が、あっという間に皆の注目を侍女からさらった。
「……
李徳妃は内侍省の方角からやってきた五、六人の集団を見て、隠す気のない舌打ちをした。腕を組み、「よくも邪魔をしたな」とばかりに先頭に立つ内侍長官の
「李徳妃様、何もこんな日に騒ぎを起こすこともないでしょう。せっかく皆が楽しみしていた市なのですから」
「元は、お主ら内侍省がしっかりこの件を調査していれば、このような騒ぎにはならなかったのだがな……なあ、腑抜け共の大将殿」
円仁は額を押さえて、はあ、とこれ見よがしな溜息を吐くと、背後に向かって顎をしゃくった。
「とりあえず、お前達はそこの侍女と店主を連れて行け。話を聞く」
背後からぬるりと出てきた内侍官達が、固まっている侍女と商人を素早く拘束していく。
「円仁殿!」
すると、その中の一人、顔の左半分だけを黒い面体で覆った、中年の内侍官が声を上げた。その風体だけでなく、喉が焼けたようなしわがれた声音も相まって、彼だけ異様さが際立っている。
「どうした、
「侍女の帯の間からこのような物が……」
順安と呼ばれた内侍官が高らかに掲げた手には、抜けるような緑色の歩揺が握られていた。
「それは、わらわの歩揺!」
たちまち李徳妃が声を上げる。
「お主……っ、玉環だけでは飽き足らず歩揺までも……っ」
李徳妃の鋭い睥睨に、侍女はこの状況を理解したくないのか、「違う」と拒むように首を左右に振っていた。
「これは……話を聞くまでもなさそうだ。とにもかくにも、この件は内侍省で片付けますから……いいですね、李徳妃様」
順安から受け取った歩揺を、円仁が李徳妃の手に乗せてやれば、彼女は鼻で一笑し踵を返した。勝手にしろということなのだろう。
李徳妃の後を、灰色の侍女達が足早に追いかけていったことで、この件は一旦の終わりを見せたのだが、この状況を完璧に把握していた者など誰もいなかっただろう。
一人を除いては。
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