デバッグ&デバッファー
「いったい何が起こってるんだ?」
「暴走、だね」
「そんなことは見れば分かる」
キリト13の大暴れは続いていた。テーブルが倒れ、椅子が飛ばされ、窓が割れ、店が破壊されていく。止めようと果敢に飛びかかった
店内にいては危険なので、ガルシアと月夜は店主に頼み込んで、カウンターの裏に避難させて貰った。ちなみに店主は慌てた素振りをまるで見せず、マイペースにグラスを磨いている。
カウンターから頭を出して、キリト13を観察する。
キリト13の破壊行為には、意志を感じなかった。壁や床には血が飛び散っていた。キリト自身も傷ついているのだ。意図しての行為とは思えない。そもそも店を壊すのが目的ならば、背負っている二振りの剣を使えばいい。
泥酔して千鳥足で歩いて、知らずに花壇を踏み荒らすかのような行為。それが超高速になったような感じだ。
「破壊、というよりは徘徊だな」
「だから暴走だって言ってるだろう。
「キリト達には原作にちなんでスピードを強化したがる傾向があるが、彼は某伝奇活劇にもかぶれているらしくてね。神様から貰ったのは、体感時間を加速させる
事前に受けていた連絡では、発動すると意識が飛んでしまうそうなんだ。居眠り運転ならぬ、居眠りクロックアップだね。
日常生活における歩行速度は時速4km程度。物件探しでよくある徒歩5分ってのも、1分80m、時速4.8kmで計算されてるそうだ。ロードバイクくらいの速度は出てそうだから、5〜6倍ってとこかな」
この
「……ちなみに、本気を出せば100倍まで加速できるそうだ。ただの散歩がリニアモーターカー並のスピードになるわけだ。そんなことになったら、店どころか町ごと崩壊だな。実際あのキリトは、小さくない街を一つ、
ガルシアは、この田舎町が瓦礫の山と化すところを想像した。この町は、たまたま疎開先に選んだに過ぎず、特段の愛着はない。無くなれば他の町に流れるだけだ。
しかし、この店が無くなっては困る。来訪者達の文化や物品が広く流布した今でも、日本酒が飲める店は他に知らないのだ。
とはいえ、原住民であるガルシアに出来ることは何もない。不本意ながら、来訪者に頼るほかに手は無さそうだった。
「なんとかならないのか?君も来訪者なら、何か
ところが月夜はお手上げとばかりに、小さく両手を上げた。
「ボクには使えない。あんな不安定なものは、使いたくもない」
ガルシアは舌打ちした。せめて酒瓶だけでも守って逃げよう。ガルシアがそんな考えに囚われている時、月夜が言った。
「キミこそどうなんだ。何か手は無いのかい?」
何を馬鹿なことを、とガルシアは思った。
「飲んだくれの僕にあれが止められるとでも」
「それが本職じゃあないのかい?キミがいつも持ち歩いているボディバッグからは、ガラスがカチャカチャぶつかる音がする。キミは『デバッファー』だろう?」
弱体化使いは、治癒術師や薬師と同等の知識や技術を持ちながら、その能力を味方ではなく、敵に向かって行使する。
しかし、全ては過去の話だ。
その力が、久しぶりに求められている。
「この店がなくなったらお互い困るだろう?キミにとっては日本酒が飲める貴重な店だし、ボクにとっては住む家だ」
ガルシアは、記憶を辿った。冒険者としての数多の経験と、そこから培った観察。それこそが、弱体化師であるガルシア最大の武器である。
思索の末、一つの仮説に行き当たり、ガルシアは口を開いた。
「アイデアは、ある。だが手持ちの素材であれを沈めるのは困難だ」
「困難、ということは、不可能じゃ無いということだな。何が必要だい?」
「魔力だ」
魔力とは、この
魔力自体はこの世界の住人なら誰にでも備わっている。だが、その力の強弱はその場のエーテル濃度と、あとは生まれつきの才能に大部分を依存している。
そしてガルシアにはその才器がまるで備わっていなかった。パーティを組んでいれば仲間の助けを借りられたが、今はソロだ。どうしようもない。
従ってガルシアにとってその発言は、遠回しなお手上げ宣言である。
しかし月夜は、そうは取らなかった。
「たったそれだけか。よし、なんとかしてみよう」
そう言って月夜がガルシアの背に触れた。
半透明の枠が、空中に浮かんでいた。
「これは……僕のステータスか……!?」
その枠は、来訪者たちが「
「
少しくすぐったいぞ。辛抱したまえ」
そう言って月夜が、ガルシアの背中を右手で強く押しこむ。
「……ッ!!??」
くすぐったい、どころではなかった。わずかな時間の出来事ではあったが、突き刺されたような痛みの後に、内臓を抉られるような不快な感覚が走る。動機がして、息が苦しくなり、思わず手を付き、蹲った。
呼吸を整え、そして見上げる。
ステータスウィンドウが、見たことのない幾何学模様で埋め尽くされていた。月夜の左手の指が鍵盤楽器でも弾くかのように動き、そしてその動きに連動して、端から無数の幾何学模様が現れ、枠を塗りつぶしていく。
何か、されている。もはや痛みも違和感も消えていたが、そのせいでかえって不気味だった。
「僕に何をしてる!?」
「黙って見ていたまえ、もうすぐ終わる」
月夜がガルシアの背から手を離す。
すると、体の中心――ちょうど心臓のあたりに、熱を感じた。その熱は徐々に広がり、四肢を伝わり、そして指先にまで満ちた。それは魔力の奔流が体内を駆け巡る感覚。魔術の作用が乏しいガルシアには、初めての経験であった。
「このボクがお膳立てしてあげたんだから、早く手を動かさないか。そう長くは持続しないぞ」
ガルシアの手は自然に動いた。バッグを開け、小さめのポケットに挿してある薬品の入った試験管を取り出した。頻用の材質なので、取り出しやすいところに仕舞っていたのだ。
取り出したるは、エトロの葉。
この
しかし、如何なる薬草にも多かれ少なかれ副作用はある。それはポーションの原料とて例外ではない。
エトロの葉の場合、眠気を誘うのだ。
特にエーテルを豊富に含んだ池や湖に自生するそれは、回復作用と共に催眠作用も強化される。外敵に刈り尽くされないための、植物なりの自衛策なのだろう。
通常の調合であれば、軽度の覚醒作用のある素材を混ぜることで、副作用を相殺して回復作用のみを利用する。回復効果の高いポーションほど高価になるのは、エーテル含有量の高いエトロの葉と、副作用止めの調達に費用が嵩むためだ。
ではもし、エトロの葉を単身で使ったらどうなるだろうか。
ガルシアは葉を両手で柔らかく包み、そして体の熱が浸透していく様をイメージした。増幅された魔力が注ぎこまれ、葉脈が青白く発光し、そして光は葉全体に染まった。
葉をフラスコに突っ込み、溶媒と混ぜる。通常であれば蒸留水と混ぜるところ、アルコール――不本意ながら飲みかけの日本酒を転用した――と反応させることで、揮発性をもたせた。そしてフラスコごと店の中心に投げつける。
フラスコが割れると、青い煙が立ち上って、そして
「これ、ボク達も危ないんじゃないか?」
「平気だ。ポーションはそもそもが水薬の意だ。どれだけ濃度を高めたって、吸入では効果が薄い……よほど大量に吸い込まない限りは」
ガルシアがそう言い終わる前に、キリトはその場に崩れ落ちた。
「全てが加速しているというなら、呼吸数も増えているはずだ。毒を当てることも踏ませることも現実的でないが、ガスは効くのでは――という仮説だった。どうやら、上手くいったらしい」
「なるほどな。某漫画第六部でも描かれた、時間加速能力者への伝統的対処法じゃあないか。たった一つの冴えたやり方を、無知な
僕を誉めているのか原住民を貶しているのかどっちなんだ――ガルシアはそう言ってやろうとしたが、言葉は出なかった。
何故かガルシア自身も、その場に崩れ落ちた。
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