第30話 待ち合わせの前に

喫茶店を出ると、タイミングを見計らったかのように車が迎えに来ていた。奏さんは私を先に車に乗せて、その次に乗り込む、二人で並ぶ。

 二人が乗ったことを確認すると運転手は車を出した。次は何処に向かっているんだろう。行き先を聞いていない。


「奏さん、何処に向かっているんですか。」

「ある人と待ち合わせをしてるんだけど……ちょっと時間があるな。」


 腕時計に視線を落とすと、奏さんはそうだ、と何かひらめいたように手を合わせた。


「運転手さん。ちょっと寄りたいところがあるんだけど良いかな。」


 奏さんは運転手さんにこそこそと耳打ちをする。運転手は承知しました。と答えてハンドルを回した。車は方向を変えてどこかへ走り出す。


「せっかく琴ちゃんがこんなに可愛くなってるから形に残しておかないとね。」

「どういうことですか。」

「ついてからのお楽しみ。」


 奏さんは再び鼻歌を歌い出した。この前も鼻歌歌ってたし、歌うこと自体は嫌いじゃないはずだ。それにこの整った顔立ちだし、どうして歌劇団に入らないんだろうなんてぼんやり考えていると、車は目的地に到着したようで少しずつ減速して止まった。


「琴ちゃん着いたよ。」


 案内されるままに車から降りて、手を引かれて歩く。目の前には古びた小さな…


「写真屋さん?」

「そう。折角だから可愛い琴ちゃんの姿を写真に残しておこうと思ってね。」

「はい!?」


 写真?そんなの子どもの頃に数回撮ったくらいだ。七五三とかその程度だ。それに写真屋さんなんて何でもない日にふらっと撮りに行くものではないのでは。いや、もしかしたら奏さんみたいなお嬢様はしょっちゅう写真を撮ってるのかもしれないけれど。女学生って在学中にお見合いすることも多いって聞くし、奏さんもお見合い写真くらい撮ってるかも…ってそんなこと考えている場合じゃない。


「嫌ですよ!」

「どうして?」

「どうしてって、写真は人生の節目で撮るものであって、こんなに気軽に撮るものではなくてですね。」

「人生の節目で撮るものって誰が決めたの?」

「それは…。でも、大概の庶民はそういうものであってですね!」

「じゃあ、言い方を変えよう。今日、今、この時が私にとっての人生の節目だから写真撮ろう。」


 奏さんは問答無用で私の腕を引っ張って写真屋さんのドアを開けた。ギイっと鈍い音がなってドアが開く。外から見ても小さいお店だと思ったが、中もこじんまりとしていて、品の良さそうなお爺さんがずり落ちそうな眼鏡を支えながら新聞を読んでいた。


「おや、君は美羽家のお嬢さんだね。久しぶりだね。」

隼人はやとさん久しぶりです。」

「いつの間にか綺麗になったもんだね。前に会った時はこんなに小さかったのに。」

「隼人さん、そんなに小さかったら豆粒ですよ。」

「ほっほ、そうかそうか。それで君はいつから男になったんだ?私の記憶が正しければ女だったような気がするが。」

「恰好だけですよ。正真正銘の花も恥じらう可憐な乙女ですよ。」

「ほっほっほ。そうかそうか。それで、今日は何の用かな?」

「この子と写真撮って欲しいんです。」


 奏さんは後ろ向きになって顔を隠している私の両肩をもって自分の前にぐいっと出した。お爺さんは私を上から下までずずいーっと見た。


「ほうほう、良い目をしているね。この子はどうしたんだい?」

「私の彼女です。」

「ふむ。」

「は?奏さん?」


 また奏さんはそんなこと言って。お爺さんは真に受けたのか真に受けていないのか分からないが、そうかそうかと適当に相槌を打ちながら準備を始めた。


「ちょっと奏さん。」

「大丈夫大丈夫。隼人さんは話半分にしか聞いてないから。あ、でも腕は確かだよ。幼い頃からお世話になってるんだ。ここの写真屋さん。」


 店にはお爺さん一人しかいない。一人で切り盛りしているのだろう。店内を見渡せば、薄暗い部屋の壁には、今まで撮影した写真が飾られていた。お宮参り、七五三、入学、卒業、お見合い、結婚、家族写真……どの写真も幸せそうな笑顔で満ちていた。この写真の中に奏さんがいたりするのかな。


「それは花嫁の写真だね。西洋のドレスだね。」


 ふと私の横から顔をだす奏さん。


「琴ちゃんも着てみたい?」

「いえ、この花嫁さん幸せそうだなって。」

「そうだね。幸せそうだ。」


 よく見てみれば、その写真の花嫁はどことなく奏さんに似ているような気がした。奏さんはかっこいい顔立ちだけれど、この女性はそれをもう少し女性らしく穏やかさを足したようなでも芯の強さは感じられるようなそんな気がした。


「少し、奏さんに似ているような気もします。」

「私に?」


 奏さんは、そうかな?なんて言いながら写真をまじまじと見ていた。

 そんな私たちの姿をお爺さんは眺めていたことに私は気づかなかった。


「奏さんにも似合いそうですね。こんなドレス。」

「そうだねえ、私が着たら美しすぎて学校の子たちが倒れちゃうかもね。」

「もう、また適当な返事してますね。」

「いや、大真面目だよ。」


 良い頃合を見計らってくれたのか、お爺さんが声をかけてくれた。いつのまにか白い背景写真の前に、何の変哲もない椅子が用意されていた。


「君、えーと名前は。」

「あ、すみません。申し遅れました。日野琴子と申します。」

「琴子さんはこちらの椅子に。美羽のお嬢さんはその傍に立って。立ち方は…そう、言わなくても出来るじゃないか。」


 お爺さんは的確に指示を出していく。お爺さんは私の座り方や足の角度等細やかに指示をしていく。奏さんは一瞬でポーズが取れるのに私ばっかり時間を食ってしまっている。不安げに奏さんの顔を見上げると、奏さんはいつもみたいにふわっと笑った。


「大丈夫大丈夫。落ち着いて深呼吸。」


 ポン、と奏さんは私の肩に手を置いた。お爺さんはそれを見逃さなかった。


「美羽のお嬢さん、そのままその子の肩に手を置いて。もうあと一歩近づく。そう、はいこっち見てお嬢さん方、笑って。」


 パシャリ、とカメラが光る。


「あー。琴子さん、顔が強張ってる。もっと笑って。穏やかに。」

「おっ穏やかに笑う?こここここうですか。」

「うーん、それじゃあ不気味な笑みだ。」


 ……不気味な笑み、それはひどい。何とか笑おうと頑張ってみるがぎこちない顔にしかならない。


「琴ちゃん。」


 奏さんに名前を呼ばれて振り向く。そのまま奏さんは私の耳元でそっと囁いた。


「目を瞑って…昨日の庭を想像して。月の光に照らされた花と満天の星空。君はその真ん中で立っている。ふと風が吹く、花びらが一斉に空へ舞い上がる。その景色を見て、君はどう思う?」

「綺麗です…とても綺麗です。」

「そのまま目を開けて。」


 パシャリ、と再びカメラが光った。お爺さんは満足げな笑みを浮かべていた。


「今のはいい写真が撮れたと思うぞ。」

「良かった。」

「琴子さんも柔らかくていい表情だったよ。」


 やったね、琴ちゃん。奏さんは笑いかけた。なんだか乗せられてしまったみたいで照れくさい。そのまま奏さんは後ろから私をギュッと抱きしめた。


「なっ。」

「可愛い琴ちゃんとの写真楽しみだなー。隼人さんー!」

「はいはい。」


 隼人さんはもう一度カメラのレンズを覗き込む。

 奏さんは私を後ろから抱きしめたまま、耳元で次は悪戯っぽく囁いた。


「琴ちゃん、大好きだよ。」

「ふえっ!?」


 パシャリ、軽快な音を立ててカメラが光る。

 奏さんは満足気な笑みを浮かべた。


「よし、照れてる琴ちゃんの写真も撮れたし満足満足。隼人さん、今撮った写真二枚とも現像よろしくお願いします。また後日受け取りに伺います。」

「はいよ。」

「あとですね…。」


 何やら隼人さんと奏さんが話し込んでいる。私は火照った自分の顔を冷やすように手でパタパタと仰ぐのに必死だった。



「よし、琴ちゃん。そろそろ良い時間だから移動しよう。」

「はい?」

「じゃあ隼人さん、また今度店に来るねー。」


 ふと店をでる前に時計を見ると、時計の時刻は午後二時過ぎを指していた。今から学校へ戻っても授業は終わっているだろう。本格的に授業をサボってしまった…。ちょっとした罪悪感をもちつつも、この非日常を少し楽しんでしまっている自分がいた。


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