第29話 涼 29歳 秋 オーディションにて

 涼は日本にいるときから、すでにある程度オーディションの情報を集めており、ニューヨークで順番にオーディションを受ける日々を送っていた。

 東洋人である涼が演じられる役割は限られている。日本ですでに有名だからといって、それでなにか加点があるわけでもない。そんな状況は、逆に涼の気持ちを奮い立たせた。


 その日、涼が受けたオーディションは、都会から離れた田舎にある大きな屋敷のような会場で行われていた。午前は歌、午後は演技のオーディションがあり、長めの休憩時間があった。オーディション参加者がリラックスし、本来の才能を出せるようにするためなのだという。屋敷内も庭も散策自由と伝えられた。アメリカという国は、いろいろ面白いことがあるな、と思いながら、涼は広い屋敷内を自由に歩いて散策していた。

 上階に上がってみると、広々と開けた大きなバルコニーがあった。鳥たちがたくさん集ってピーッピーッと鳴き声をあげながら飛び交っていた。

 午前中の歌は自由選曲だった。自分のもっとも得意な歌を選び、涼の意識はいつものように澄み渡っていた。歌ったあとはいつも、選ばれる、選ばれないは天が決めること、という開かれた意識になる。もっとも演技のときは、そこまでの境地には達せないことが多い。いま、涼の意識は、歌のあとのしんと鎮まった意識になっていた。

 鳴き声をあげている鳥たちを眺めながら、涼は、ロウが鳥たちと声を通じて心を通じ合わせていた場面をありありと思い出していた。

 鳥たちは楽しそうに歌い交わしている。自分も鳥たちの歌に参加できるだろうか、ロウのように?ふと、やってみよう、と涼は思い立った。


 ピューイ、涼がそうやって音を発すると、ピーッと声をあげて鳥が一羽舞い降りてきた。ロウのようにこちらが差し出す腕に止まったりはしなかったが、目の前の柵に止まり、小首をかしげて涼を見ている。お前は誰だ?なんだ?と言っているように感じられた。

 涼はさらにピーッと音を発してみた。鳥もピッ、ピッ、と音を返してくる。しばらく続けた後、やがて鳥は羽を広げて飛び去った。


「驚いたな」

 背後から声がした。振り返ると、扉のところにプロデューサーのジュリアンが腕組みをして立っていた。

「どうも不思議な声だとは思ったんだが、アニマルテレパシストか」

 涼はどう答えていいかわからず、黙っていた。ロウの真似をしてやってみたが、今はじめて成功したばかりで、テレパシストとはとても言えない。


 ジュリアンはそのまま近づいてきて、涼の隣から外の景色を見下ろして言った。

「君さ、舞台じゃなくて映画のほうに興味ないかい?」

「映画ですか?」

 突然に話をふられて、涼はどう答えていいかわからなかった。

「この舞台で探している役者には、君は合致しないよ。いい歌だったが、君はこのオーディションには落ちる。さっきから、君の歌のことを考えていたんだが・・・いま、思いついた」

 そう言って、ジュリアンは涼のほうを見た。

「突然のことですが、考えてみます」

「じゃぁ、また連絡してよ」

 ジュリアンはそう言い、ポケットから連絡先を書いた紙を取り出して涼に渡した。

「君はJapaneseだったっけ」

「いえ、Koreanです」

「あ、そうなの」

 ジュリアンはどっちでもあまり興味はなさそうだった。きっと自分がスウェーデン人?と聞いてノルウェー人だよ、と返されるようなものだな、と涼は思った。別にどっちでも印象に違いはない。ただ北欧の人、というだけの印象だ。


 ジュリアンは、連絡先だけを渡すとあっさり行ってしまった。


 家に帰ると、ジュリアンの経歴を調べてみたが、たしかに舞台より映画に比重をおいて仕事をしている人のようだった。涼は、日本の事務所との契約はまだ切っていない。日本の事務所にも問い合わせておいた。日本の事務所は、それはそれでいい話なのではないか、と言っていたが、きちんと調べてくれるそうだ。


 涼は映画にも出たことはある。ただ自分としては、観客の反応がダイレクトに感じられる舞台が好きだが、かといって映画が嫌だというわけではない。ロウのことを思い出して、ロウの真似をしてみたところを偶然にも見られてしまったのは、何かの縁なのかな、と感じた。縁、という考え方は日本的なのかもしれないが。



 日本の事務所からも、正式に返事がきて、改めて涼はジュリアンに連絡を取ってみた。

 ジュリアンは、ああ、君か、と昔からの知り合いであったかのように言い、打合せには家にきてくれないか?と言った。

 涼は、アメリカ人はこんなに簡単に初対面の人間を信用するのかな、と不思議に思いながら、ジュリアンの家を訪問する日時を決めた。



 ジュリアンの家は、涼が住んでいる家から二時間ほどかかる郊外にあった。電車とバスを乗り継いで、最後は徒歩でジュリアンの家に向かう。呼び鈴を押すと、ジュリアンその人が出てきて、よく来たね、さぁ入って、と歓迎してくれた。

 ジュリアンはパートナーと住んでいるが、パートナーは出かけていていないのだと言う。ジュリアン自身がコーヒーを入れてくれた。


「君はこっちに来てからまだ日が浅いの?」

 ジュリアンが尋ねた。

「そうですね、まだ二か月です」

「僕が簡単に家に招待したからびっくりしているだろう」

「ええと、正直にいうと、びっくりしています」

 ジュリアンは、はは、と笑った。

「アメリカではスピードが勝負なんだよ。いかにテンポよく依頼に対して、適格な商品を差し出せるか、それに尽きる。それができれば信頼される。僕は一応、プロデューサーということになっているが、実際には人探しの名人なのさ」

「人探し?」

「監督の依頼に対して、適格な俳優を送り出すことの名人だよ。僕は監督から依頼を受ける。完全にその役に合致した人間が、僕の人生の中に現れる。

 ふたりの人間という点を、線にしてつなぐのが僕の役割だ。

 僕はこの自分の能力に自信を持っているし、ゆるぎはない。これは神から授かった僕の能力だから、僕はただ神を信じているにすぎない。君を信用するかどうかなんて関係ないのさ」

 涼は涼で、見えない意図を感じていた。結局、ここアメリカの土地でも、神というものに指し示される道を行くことになるのか。それは必然なことに思えた。

「君は神を信じる?」

 ジュリアンは涼に聞いた。

「信じています」

 涼はそう答えた。

「じゃぁ話は早いな。ま、だからといって、契約しなくてはいけない、ということはないよ。これからいろいろ話を聞いて、判断していけばいいから」

「わかりました」

「ところで君は馬に乗れる?」

「乗れますが・・・」

 涼は内心、少し驚きながら答えた。ロウに言われたことがつながった、と思いながら。

「それはよかった。動物に感性があるみたいだから、乗れるだろうとは思ったが、確認しなかったからね。監督はアメディオ・グラツィアーニ監督だよ」


 涼はもちろん、アメディオ・グラツィアーニ監督を知っていた。監督は四十代、若い年齢ではないが、七十代、八十代でも監督を続けている人も多いのだから監督の中では若手になるのだろう。名前が示すようにイタリア系移民になる。イタリア系移民でアメリカで映画を撮っているのは、マーティン・スコセッシ監督と同じだ。

 

 監督は日本を舞台にした映画を撮ったことがあった。それは日本とイタリアをつなぐ映画で、イタリアの少年が祖父の家に飾ってある日本刀に興味を持つところから始まる。L’anema mij:我が魂とナポリ語で彫られた銅版が添えられた日本刀。少年は、いつか日本へ行ってこの日本刀の謎を解きたいと思い立つ。

 その日本刀は、西日本一と言われながら、大洪水により刀匠もその家族も鍛刀場もすべてが流されてしまった悲劇の名刀:備前長船の刀だった。数奇な運命を経て、イタリアにたどり着いたその刀には、アレッサンドロ・ヴァリニャーノというナポリ王国出身のイエスズ会の神父が関わっていた。神父は戦国時代の日本へキリスト教の布教にたどり着き、外国との交流に積極的であった戦国大名、織田信長と親交を持っていた。信長が神父に従者を譲ってくれるよう懇願した話が日本の記録にあった。従者は信長が、裏切りによって悲劇の死を遂げる本能寺の変まで寄り添い、そのまま日本で生涯を終えている。

 少年は遠い日本で、サムライになったイタリア人がいたことを知るのだった。


 日本刀の探求、日本の歴史の探求、少年の精神的成長とあわせて、「魔を近づけない」という言い伝えを持つ、不思議な日本刀の力が交差して物語は進行する。この作品は、東洋文化に惹かれる西洋人だけでなく、日本人にも日本刀のすばらしさを思い出させるきっかけになったと言われていた。ちょうど日本刀をテーマにした日本アニメが同時期に流行ったことが追い風になり、この映画はヒットしたため、日本ではグラツィアーニ監督を知る人は多かった。


 ジュリアンは涼に白い用紙を手渡した。

「テーマは、というと、若くもない年齢ですべてを失った男は再び立ち上がれるのか?というところだ。監督は、単純に再成功の物語にはしたくない、と考えていてね。いまのところ、こういうプロットなんだよ、読んでみて」


 主人公の役柄は、すでに成功した映画監督だ。だが、撮影中の不幸な事故により、死者を出してしまう。そこから運勢は坂道を転がるように悪くなり、事故を起こしながら作った映画は売れず、スポンサーには見限られ、愛人からはセクハラで訴えられた上に、妻と娘には出ていかれる。

 仕事、名誉、家族、恋、すべてを失ったうえに、有名で顔だけは世間に知られている男。男は、誰も自分を知っていないところに行きたい、と願う。男は自殺を考えながら、モンゴルの人知れぬ聖地、西洋からシャンバラと呼ばれる土地を訪れるのだ。もちろん、心の中では起死回生のチャンスがあるのかどうかを探していた。砂漠の中にあり、現代の文明機器がなにひとつ役立たない未開のこの聖地で、さらに強盗にあい身ぐるみはがされ、文字通りなにもなくなってしまった男の前に、馬に乗ったモンゴル遊牧民の青年が現れる。

 この青年は、砂漠の中から水をみつけ、動物を使って異世界と交流する。この青年は、砂漠の中でも自分一人で生きていける能力を持っているのだ。


 涼は、このモンゴルの青年の役、ということか、と思って読んだ。

 砂漠、馬、聖地。

 前世のキーワードと同じだ、と思った。


「だいたいのプロットは決まっているが、台本はまだだよ。ちなみに監督は、この映画のラストをどうするかまだ決めていないんだ。主人公はもう一度映画監督に戻るのか、そのままモンゴルで暮らすのか、それともまったく新しい道を探すのか。ラストだけがまだ決まっていない。君がその役をするのであれば、鳥を呼ぶシーンも入れられるし、歌を歌うシーンも入れられる。君の歌が砂漠に広がれば、なにか不思議なことが起きそうだからな。そういうイメージが大事なんだ。予告編には、君が広大な砂漠の中を、馬に乗って登場するシーンを入れよう」


 ジュリアンの中では、すでに物語が動き出したようだった。断ってもいい、とは言ったが、断るとは思っていないようだった。ジュリアンはできればすぐに監督に会わせたいのだが、と言い、涼は承諾した。これは魅力的な話かもしれない、この映画が僕を呼んでいたのかもしれない、と感じていた。

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