元平民の私には荷が重すぎる!

あんぬ

荷が重すぎる。


「イリーナとは婚約破棄をし、アクア、君と婚約をしたいと思っているんだ。」



最近ようやく覚えた貴族名簿を頭の中で必死に探る。


(イリーナ…ってえ、イリーナ様!?てことは…この人第一王子だったの!?第一王子が元平民の男爵令嬢私に婚約を申し込むなんて何考えてんの!?)


数年前まで平民だった私はさすがにこの時まで淑女のほほえみを浮かべることはできなかった。



事の発端は数年前、女手一つで私を育ててくれたお母さんが亡くなって数日。

とてもきれいな服を着た貴族と思しき夫婦が私のところにやってきた。


「…君がアクアかい?今日から君を引き取ろうと思うんだ。」


「旦那様!もっと言うことがあるでしょう!」


とてもきれいな服を着た女性の突然の声に思わず怯えてしまった。


「あぁ、ごめんなさいねアクアさん。驚かせてしまったよね。ここではなんですから、馬車の中で説明しますね。」


スパーンと小気味いい音で男性を叩いた女性は私にとても優しくしてくれた。

話を聞けば、この男の人は私のお父さんらしい。しかも男爵なんだって。そしてこの女の人は男爵夫人らしい。


「…じゃあお母さんは悪いことをしてたんですか…?」


「いいえ。悪いのは総てあなたの父であるこの人よ。本当にどうしようもない馬鹿なんだから。」


そういいながら夫人はお父さんの頭をはたいた。

それにも思わず驚いてしまう。


「この人ね、貴女のお母様には自分が男爵であることや私の存在は伝えていなかったの。だから貴女のお母様はなにも悪いことはしていないわ。むしろあなた達親子をほったらかしにしていたこの人がすべて悪いのよ。…いいえ、気付かずに死なせてしまった私も同罪だわ。ごめんなさい。」


よくわからないが、貴族では愛人や妾はよくある話らしい。

そして普通の愛人や妾なら大事に囲われており、貴族にとってそれほどに余裕があるといえる一つのステータスの様になっているらしい。

ただ、この父と言う人はそれを全くしていなかったそうだ。

生前の母にほれ込んだは良いものの、婚約者がいる身で不貞を働いたと怖気づいて逃げてしまったらしい。我が血縁者ながら紛れもないクズだ。


でもまぁ、お母さんのことは本当に愛していたから陰ながら生活に困らないようには手をまわしていたらしい。それにしたって本当に憎らしい。


「母の死は突発的なものだったとお医者様から聞いています。予測できるようなものではなかったとも。…私の母はいつかあなたが帰ってくると最後まで信じていました。それなのに結婚していたなんて。」


「本当に、なんといえばいいか…。」


「なにも言わないでください。貴族社会のことは私はよくわかりません。でも私たちの感覚で言えば浮気は許されないことです。私の母は知らなかったようですが、夫人にはご迷惑といらない心労をおかけしました。申し訳ございません。」


「いえ。…いいえ。あなたが頭を下げる必要はありません。でも、それでは気が済まないでしょうから受け入れます。」


この日から男爵夫婦は私の両親の代わりとなった。


夫人…お母様はとてもいい人だった。本当の子供ではない不義の証である私にもとても優しく時に厳しくしてくれた。第二のお母さんのように。


お父さんは…なんというか仕事ではそれなりに優秀らしいけどやっぱりどこか頼りなくてよくお母様に怒られている。



__________


あの日から三年。

私は16歳になった。


貴族の義務の一つでもあるらしい学園に通うことになった。

お母様のお陰で少しは貴族らしい立ち振る舞いや知識を身に着けることができた。

私みたいな立場は少なくはないらしいけど、やっぱりなかには婚外子が同じ学園にいるのが面白くないと思う人もいるようで差別的な扱いを受けることがあった。


「あら、あなた大丈夫?」


その日も私は他の令嬢たちにないことないことを責められて挙句には水をかけられ、(またお母様に心配をかけてしまう。どうしよう)と考えていた時に出会ったのがイリーナ侯爵令嬢だった。


イリーナ侯爵令嬢はとても素晴らしい人だった。

下級貴族にも優しく、婚外子も差別をしない。性格もさることながら学問にも秀でており、誰もが羨む未来の王太子妃。

そんなイリーナ侯爵令嬢は私にとても良くしてくださった。


「いつだったか夢のお告げがあったの。ピンクゴールドの髪にアクアマリンのような瞳をした女の子とは素敵な出会いになるって。そのような子がいればきっと良い友人になってくれるだろうって。だから貴女のことを一目見たときからずっと親しくしたいと思っていたのよ。あの日、ずぶ濡れにはなっていたけど貴女と話をするきっかけがあったのはきっと必然だわ。」


「婚外子だからなんだというんですか。子に生まれは選べません。それを本人が言うのはまだわかりますが、他人がとやかくいうべきではありません。…それにアクアさんはきちんと努力のできる人です。生まれはどうであろうとその地位に胡坐をかいてやるべきこともせず、ただ文句を言うだけの人に貴女は負けないわ。」


そう私の味方をしてくださる。

夢のお告げ?のお陰とはいえ、本当にいい友人に出会えたと思う。


イリーナ様のお陰もあって、あまり少なくなかった嫌がらせは今ではほとんどなくなった。

たまに嫌味を言われることはあるけれど、3年前まで平民だった私には貴族特有の遠回しな言い方はあまりダメージがない。


嫌がらせがなくなったお陰で楽しい学園生活を送れている。でも最近一つ新たに困ったことがある。


よくしらない煌びやかな見た目の男子生徒に声を掛けられるようになった。


知識として貴族の家系図などは見たが所詮下級貴族。かかわることもないだろうと名前くらいしか覚えていない。

そもそも下級貴族と高位貴族では夜会とかも参加するものが変わるし、同じ会場にいても交友がなければわざわざ話をしたりしない。身分が下の者から話しかけるのはご法度だしね。


学園は身分にかかわらず皆平等であるべきとは言われているけど、実際はきちんと身分差ではっきり区別されている。どれだけ優秀であってもクラスは大体同じ爵位の人で構成される。

同じ貴族でもマナーや作法にも違いがあるし同じクラスで粗相があってはならないから。

だから爵位が高いであろうその煌びやかな見た目の人が誰なのかよくわからなかった。


ただその人は「レイ」というらしい。

本名ではないことは確かだけど、呼べばちゃんと返事をしてくれるからきっと愛称とかなんだと思う。


「アクア、君はイリーナのことをどう思っているんだい?」


「イリーナ様?とても素敵で憧れの存在です。爵位の低い私にもとても親切にしていただいて、私のことを友人だと言ってくださるんですよ!本当に素敵な方です。」


「…そうか。」


レイは時々イリーナ様のことを聞いてきた。

どういう関係かは知らないけど、なんだか嫌な予感がした。


「イリーナ様、レイという名前の貴族令息を御存じですか?」


「…レイ?いいえ知らないわ。どうしたの?」


「イリーナ様でも知らないんですね…。最近よく声を掛けられるんです。ただ名前を聞いてもレイとしか答えてくださらなくて。爵位は高そうなんですけど。よくイリーナ様のことを聞きたがるので知り合いかなと思って。」


「私のことを?…そう。不思議な方がいるのね。」


この時のイリーナ様のどこか悲し気な微笑を私は追及することができなかった。

きちんと話を聞いていればこの未来は少しは違っていたのかもしれない。




時は戻って

なんで第一王子殿下が私に婚約の話を持ち掛けるのよ!

アクアはキレそうだった。

多分これが近所の子供だったり仲の良い友人相手だったなら確実に怒っていたと思う。


「あの…お言葉ですが。」


「どうしたんだ?アクア。そんな他人行儀な言葉を使うなんて。」


「いや、あの、そんなことよりですね?イリーナ様と婚約破棄ってなんですか?」


「耳にしたんだ。イリーナが君を虐げていると。」


「はぁ!?イリーナ様が!?私を!?誰にそんなこと聞いたんですか!イリーナ様はとても素敵な方です!いつも周りに目を向けてくれるし、高位貴族だからって偉ぶらない。もともと平民の私にも誰よりも良くしてくださっています!そんなイリーナ様を侮辱するようなこと言わないでください!…それになんですか!私と婚約!?できるわけないでしょう!私はしがない男爵令嬢ですよ!?王族と結婚なんてできるわけないじゃないですか!頭おかしいんじゃないですか!?私みたいな身の上の人間が本当に王妃とかになれると思ってます!?それとも妾ですか!?嫌なんですけど!ましてや廃嫡となるつもりですか!?そんなことして生活できると思ってます!?もう一度言いますよ!貴方頭おかしいんじゃないの!?」


相手が王族の第一王子殿下とわかってはいたが、ついイリーナ様のことを言われてカッとなってしまった。…半分愚痴も混ざってしまったけど。肩で息をしていると後ろから声がした。


「もう…アクアさんったら。口が達者なんだから。」


なんてこった。イリーナ様がコロコロと鈴を転がすように笑っているじゃないか。


「全く、アストレイ様は人が悪いわ?アクアさんは私の大事な友人だって言ったでしょう?」


「…でも。「でもじゃありませんわ?私言い訳は聞きたくありませんわ?ねぇ、アクアさん。聞きたいのは事の経緯と謝罪よね?」


「え…えぇ。」


聞けば、アストレイ第一王子殿下もイリーナ様と同じで不思議な夢に悩まされていたらしい。

その夢の中で、私が殿下に擦り寄ってイリーナ様からのいじめを捏造し、それを信じてしまった殿下はイリーナ様との婚約を破棄してしまうといったものだったらしい。

夢とは異なり、私は殿下に擦り寄る素振りもなければイリーナ様と親しくしている。なにか隠しているのではないか、敵国のスパイなんじゃないかと勘繰っていたらしい。だから鎌をかけられたみたい。


…全く迷惑な話だ。


「だから言いましたでしょう?アクアさんはそんな非道なことはしませんわ?私の話が正しかったでしょう?」


「あ、あぁ。すまない。アクアくん、君にもすまないことをした。」


「たかが男爵令嬢に頭を下げないでください!!!」


あぁ…。私には荷が重すぎる。

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