第65話 小桜の答


 ついに小桜は、恵茉から思いを示す言葉を得ることはできなかった。

 だが、まだ駅までは歩く時間がある。だからといって、さらに追求するのは野暮というものだろう。押すというのは、ほどほどだから楽しいのだ。それに、実際には言ったも同じなのだから。


「ところでさ……。Y0uTube で、特定とかされなかった?」

「されないわけないし……。でも、小桜さんだっていろいろあったんじゃない?」

 恵茉は、例によってまずは小桜を心配した。


「そりゃあね。でも、呆気ないほどなにもなかった。男子ってのは、そういうとき得だと思うし、これから先なにか犯罪でも犯さない限り、デジタルタトゥーとして活性化することもないと思う。男子高での感動的案件なんて、ネット上じゃそれこそ一瞬で風化するからね。JKに比べたら、DKの情報なんかないと同じだから。

 それより坂井さんは……」

「……恵茉でいいよ」

 ここでまた小桜の脳はオーバーフローを起こしかけたが、本日2度目ということもあり、辛くも立ち直った。


「……恵茉さん」

 動かない口を強制的に動かして、そう言い直しはしたものの、小桜の心臓は再び内側から肋骨を乱打している。

 女性と付き合うというのは、実はとてつもなく身体に負担をかける不健康な行動なのかもしれない。そんな考えすら小桜の頭を過ぎる。


「はーい。やっぱり特になにもなかった」

「そうなん?」

 2つの意味で小桜は安堵する。

 1つ目は、名前呼びに返事をしてもらえたこと。

 2つ目は、今のところ、なにごともないことについてだ。


「今日日、小桜さんの特定が済んでいれば、同級生の私ももう逃げられないよ。ネットの地域板じゃ、中学の卒業アルバムがアップされてたし」

「マジ?

 やばいじゃん」

「問題ないよ」

「なんで?」

 さらっと流す恵茉に、小桜は聞く。


「政木女子高の生徒、表彰とかの対象にもなることも多いから、ネットで名前付きで顔が出ている例も多いんだよ。だけどね、そう問題にはならない」

「だから、なんで?」

 重ねて聞く小桜に、恵茉は笑った。


「決まっているじゃん。私たちほど、世の中のJKという『記号』を裏切っている存在はないからね。垢抜けた化粧っ気みたいのとは無縁だし、TlkT0kの動画みたいな可愛い仕草なんてまったくしないし、凝った髪型もなければ肌の露出もない。制服なんか、可愛いとの対極にある歴史ある重武装だからね。おかげで足なんか出そうにも、せいぜい膝下と靴下の間の5cmくらいだよ」

「……それがいいんだけどなぁ」

 小桜のため息交じりのフォローに、恵茉は大真面目で頷く。


「そう、それよ。それがいいという人は、おかしな夢は見ない。で、女子高生という『記号』に喜んで乗せられるような人たちは、がっかりしてそれで終わり。だから、あまり問題にならないんだと思う。

 女子高をどこかの夢の世界みたいに考えるなんて、本当は可怪しいんだよ。そこには生活があって、往々にしてむさくるしいその部分は男子高とすらまったく変わらないんだから」

「……なるほど」

 恵茉から聞く女子高というものに、小桜は頷くしかない。


 だが、その言っていることはよく理解できる。男子が1人もいない世界で、媚を売る必然から解放された女子の群れがどのようなものになるか、ちょっと考えれば誰にでもわかるというものだ。


「女子高に、女性はいてもオンナはいないんだよ。あ、もちろん、趣味にしているのはいるけどね」

「趣味!?」

 小桜がオウム返しに聞き返したのは、恵茉の言っていることがまったく想像できなかったからだ。小桜の、異性の生態に対する知識はあまりに乏しい。


「自分や友達をどこまでケバくできるか、求道の道に入っちゃったような子。でもねぇ、そういう子は成果をネットに上げたりはしないんだよ。そもそも、男子からの目を意識しての化粧ではないし、不毛な承認欲求とも無縁だから。だから、趣味」

「……なるほどねぇ。女子高っておもしろい」

 小桜は唸る。



 ※

 たぶんこれは、男子高で「男を磨く」なんて言い出す奴と同じなのだ。

 明らかに、意味ある追求ではない。だが、自分の属する性の属性文化を楽しむ。これは娯楽として極めて楽しいのだ。つまりほら、オトコ塾の面々が、オトコ塾名物油風呂にド根性で耐えている仲間の姿をY0uTube に上げたりしないだろ?

 つまり、このド根性だって、異性からのウケや承認欲求のためにやっていることじゃないのだ。



「あくまで小桜さん個人としてだけど、男子高にいる意味ってなに?」

 恵茉がそう聞くのは、「女子高っておもしろい」という小桜の感想を受けてのことだろう。


「やっぱり、おもしろいからかも……」

 改めて問われると、案外悩むことなく口からぽろぽろと流れ出していく。

 いろいろと聞き、自分でも考えていたことが、いつの間にか小桜の思考の底でなんらかの形を作っていたのかもしれない。


「俺個人で言うなら、なんかもうどうでもいいんだよ、理屈は。でもね、そのおもしろさは女子がいないことで得られるもので、極めて高レベルなものなんだ。

 ……きっとね、男子にとって女子は、無条件に許容しちゃうなにかなんだよ。だけど、それがおもしろさの純度を落とすんだ。つまり……」

 そう言って、小桜は一瞬考え込む。


「男子高のおもしろさを、女子高の話で例えるのも変なんだけどさ。さっきの恵茉さんの話だけど、男の歓心を得るための化粧はつまらないだろうね。だって、あっという間にそっちの目的は達成しちゃうだろうし、その結果、あとは維持と惰性と義務の化粧になっちゃう。でも、求道の趣味の化粧は、ハリウッド映画の特殊メイクにすら繋がっていく世界だと思う。こっちの方が絶対おもしろさの純度が高い。

 うん、そう考えると、一生の方向と目標を決める時期に、異性の存在は、それを矮小化して純度の高い楽しい世界への障碍にすらなりうる」

 小桜の納得に、恵茉は笑った。

「結局、それも理屈っぽい」

 と。


「うん。でも、それもまた、おもしろければそれでいい。

 俺は、なりふり構わず、先につながるおもしろさがあればそれでいいんだ」

「そうだね。行き着く先は、結局そこかもしれないね」

 恵茉は小桜にそう同意した。

 このとき、小桜はようやく肩の荷を下ろしたような気がしていた



 それから30分後。

 恵茉の自宅で、恵茉の両親に会った小桜は、居心地の悪さに耐えていた。

 小桜にしてみればあくまで当然のことをしただけで、それ以上でもそれ以下でもない。そこをありがたらがられても、ただ単に反応に困るだけである。


 とはいえ、恵茉の両親の立場からしたら感謝しかないというのもよくわかるから、この居心地の悪さは受け入れるしかない。

 だが、ありがたいことにこの状況からは短い時間で開放された。

 母あてのいくつかの紙の手提げ袋を辞退もできぬまま渡され、恵茉の両親と顔を合わせるという、小桜にとっては断崖宙乱闘に勝ると言ってもいい儀式が終わった。


 ※

 今、恵茉の両親と顔を会わせておく。これがあとでどう効いてくるのか?

 そう考えれば小桜、悪いことばかりじゃないぞ。

 そして、申し訳ない。前回予告の「日常」は次回に。最終話です。(ふっふっふ、書ききらなければ外伝にすればいいのだ)

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