第60話 決着


 手が使えないので、小桜は身体を転がし、ようやく膝立ちになった。

 負けた。

 自分がどうなるのか、これからどうしたらよいのかもわからない。

 疲れ切った暗い視界の中で忸怩たる思いもまだ実感できぬまま、小桜はただただ項垂れた。


 だが……。

 今田のマメが潰れてずる剥けとなった手が小桜の手首を掴み、高く持ち上げた。

「勝者、小桜!」

「勝者、今田!」

 2つの異なる結果が叫ばれている。


 だが……。

 ようやく五感を取り戻した小桜にとって、それはあまりに謎なものだった。政木高の生徒は口を揃えて、「勝者、今田!」と叫んでいる。なぜか敷間高の生徒は口を噤み、今田は必死の形相で「勝者、小桜!」と叫んでいる。そして、自分の首根っこには恵茉の腕が回っていた。

 なにが起きたのか、さっぱりわからない。


「みんな、静かにしてくれ。予想外のことが起きた。敷間高、今田君。君が小桜の勝ちだという根拠を教えたまえ」

 政木高の生徒会長の杉山の、マイクを通した声である。

 そして、別のマイクが今田の手に渡った。


「この勝負、政木高の勝ちだ。いや違う、政木高なんかどうでもいい。小桜君の勝ちだ。俺は負けた」

「だから、その理由を話せ」

「小桜君の顔を見ろ。手を見ろ」

 そう言う今田の息が荒い。やはり、疲れ切っているのだ。


「俺は容赦なく急所を狙って殴った。手も指も顔も、全部赤く腫れ上がっているだろう。だが、俺の顔と手を見ろ。小桜君は、急所を避けて俺を叩いた。叩いても、威力が殺されていた。

 待て、最後まで聞けっ!」

 これは、政木高の生徒から小桜に対して生じたブーイングを止めたのである。


「それだけなら俺も、小桜君の甘さを嘲笑わらいこそすれ、その勝利を認めることなどない。だが、最後の瞬間、この政木女子高の生徒が乱入してきた。聞いた者もいるだろう。『私のせいで小桜さんが負けちゃう』と叫びながらだ。小桜の下敷きになる覚悟が見えたので、俺は落ちながら小桜君にドロップキックを放って、その落下の軌道を変えた。そして、この女子に、我らの勝負を汚した理由を聞いた。

 小桜君は昨夜、この女子の家族のために緊急献血をして、夜中まで付き添ったそうだ。だが、そんなことはおくびにも出さず、彼は俺と互角に戦い抜いた。公正のために勝負の詳細を知らされず、ゆえに代役も頼めない。そんな中ですら、自分で自分にハンデを与えながらだ。

 俺は、小桜君の優しさは優柔不断ではなく、筋金入りのものだと思う!

 結果として、コンマ数秒、俺の方が落ちるのが遅かったかもしれない。だが、俺は敗北感に満ちている。小桜君が万全だったら、俺は手加減された上で負けたのがわかるからだ。その自覚の上で、形だけ勝利を与えられても、俺には屈辱でしかない」

「それがどうした?」

 これが、杉山の返答だった。


「勝負に徹することができず、小桜は政木高を敗北に導いた。どう見ても、戦いのルール上では敷間高、今田君の勝利ではないか!」

「……今田は、屈辱に満ちた勝利など不要だと言っている!」

 新たな声が響く。

 敷間高の鈴村だ。


 鈴村はさらに言葉を続けた。

「政木高の皆が『勝者、今田!』と叫ぶのは、自らの行いに対する矜持のためだろう。過去の定期戦でも、どれほどのことがあろうと勝負は常に公正だったのだ。同じく今田が勝利を受け入れられないのは、やはり矜持のためだ。共に、自らの矜持は汚せないということだな。

 さすがは政木高」

「不本意だが仕方ない。矜持を持ち出されたら、勝利の無駄強いもできまい。決着は次の定期戦に持ち越しだ。さすがは敷間高。代々の先輩が決着をつけられず、80年も戦い続けるわけだ」

 杉山はそう返す。


 その声の終わりに合わせるように、椅子に座ったOBたちから拍手が湧いた。

 その拍手は、他の観客にも広がり、最後には両校の生徒すべてが手を叩いていた。


 小桜は再び恵茉によってマントを羽織らされているが、その全身がぼろぼろなのは一目でわかる。もう恵茉は数歩の距離に離れているが、恥ずかしそう身悶えしてその両手で顔を覆っていた。ようやく、無我夢中になって取ってしまった自分の行動を自覚したのだろう。


 だが、小桜はそんな中、今田に右手を差し出す。

 今田も右手を差し出し、がっちりと握手を交わした。

 もちろん、にこやかにとは行かない。共に、ずる剥けになった手のひらの痛みに顔を歪めながらである。だがこれで、周囲の拍手は最高潮に達し、見事に揃ったものになった。そして……。


「アンコール!」

「アンコール!」

「アンコール!!」

「アンコール!!」

 政木高のベランダからの合唱に、小桜は負けじと叫んだ。

「テメエら、俺を殺す気か!!?」

 拍手は一瞬で爆笑に変わり、その場は一瞬で学園祭の雰囲気に戻ったのだった。


 ※

 もちろん、恵茉の乱入は計画されたものではない。恵茉の父が意識を取り戻し、取る物も取り敢えず駆けつけた政木高で、瀕死の小桜を見た瞬間に恵茉から理性が吹き飛んだのだ。

 本気の対立と融和、それを彩る「根性」による感動の演出を狙っていた両校の生徒会長は、すかさずこの想定外の事態に乗った。より効果的と判断したのである。出番を奪われたマイクパフォーマンスの担当の3年生には可哀想なことをしたが、チャンスを逃がさず利用できるものはなんでも利用するという意味では、杉山と鈴村、極めて甘くない男子たちであった。



 その夜。

 同時並行して、あちこちでさまざまなことが話されていた。


「すごいぞ、配信のコメント欄、『男子高はスゲー』とか、『やっぱり、共学とは違う』とか、肯定的なものが多いぞ」

「否定も肯定もせずに持ち上げておけ。それだけで、男子高維持の味方になってくれる。くれぐれも、『男子高だから……』というようなレスは返すな」

「わかっていますよ」


「上手く行った?」

「取材局のニュース番組の中で、特集で放送されることが決まったって。Y0uTubeを見たらしい他局からも問い合わせが来ているそうよ」

「なら、Y0uTubeに極めて短時間でいいから、今の小桜と今田の笑顔の動画を上げるよう要請して。『怪我しているのに強行させられた』なんて批判を封じる必要がある。今は尊敬し合っているとかなんとか語らせておいて」


「アメリカのIT企業にいるOB、最前列で見て大喜びだ。これで黙っていても知事へのプレッシャー、掛けられる。ま、ツーカーだから、黙っていてもいなくても同じなんだけどな」

「小桜が痛い目にあったおかげで、戦いの主語が学校でなくて世論や経済に持ち込めた。我ら4校は知事とは戦わない、血を流さない体を取れる」

「OB、OGたちも、格段に動きやすくなった。不自然でないどころか、話し相手の方からこの話題を振ってくるからな。戦わない反骨どころか、我々の方が主流になっている」


「前倒しして、トドメを刺してもいいタイミングじゃない?」

「うん。敷間女子高の文化祭は最終保険として、1回トドメを刺しに行くべきかもね」


 ※

 不穏な話が4校で交わされ、計画は仕上げに入る。

 小桜、君に与えられた任務は勝敗ではなかった。そして、その任務を君は十全に果たしたのだ。

 次話、「トドメ」。祭が終わると、仕上げがされるのだ。





 あとがき

先が見えてきましたね。


終りが近い……。

第二部書こうかなwww

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