第58話 戦闘開始


 政木高にたどり着くとすでに昼飯時が近い。

 駅前のパフォーマンスの成果か、ぽつぽつと人の流れができている。14時の断崖宙乱闘が始まる頃には、さらに多くの人たちがこちらに向かってくるだろう。

 小桜は、案の定、朴歯の鼻緒でできてしまった足の親指の豆の痛みに耐えながら、昼食を取るかどうか悩んだ。


 満腹では戦えない。

 身体を軽くしておくためにも、空腹であるべきだろう。朝食はしっかり取ったのだから。


 ふと興味をそそられた小桜は、3階に向かう。

 いつもは3年生教室だから、入るに入れないし恐ろしい場所というイメージがある。だが、今日はどの教室も展示会場だからその気遣いはない。

 写真部の展示の脇から、小桜は3階のベランダに出ることができた。校庭は眼下に広がっている。


 目を凝らすと、校庭の一角に折りたたみ椅子が用意され、敷間高の面々は意気衝天の勢いである。駅前のパフォーマンスのときより、人数は倍以上に増えている。その中に、今田の姿もあった。

 他の敷間高の生徒に混じり、腕を振り上げ威勢のよい姿を見せているが、きっとその内心は小桜と同じように不安でいっぱいだろう。その姿を呆と眺めているうちに、今田に対して小桜は果てしない共感を覚えていた。

 たしかに今は敵同士だ。だが、今の小桜の心情を一番理解してくれるのは、今田以外にはいようはずもない。そしてまた、逆も真であろう。


 勝負まであと1時間ほどなのだが、小桜は時間を持て余していた。

 部活に入ってはいないから、どこかの部室には行けない。生徒会室も憚られる。行ったら、気を使われるのがわかりきっているからだ。ふと、皇帝を頼って生物学準備室とも思ったが、それはそれでハードルが高い。

 今、ここは、一皮剥けば共学化を防ぐための戦いの場である。小桜の持ち場は、現役生徒の戦いの最前線である。きっと、皇帝は皇帝で、教職員の戦いの最前線に立っているはずだ。それを、単なる不安感から邪魔はできない。


 とつおいつ考えながら祭りのにぎわいを眺めていると、不意に人の流れが変わった。

 小桜のほぼ真下で、応援団と生徒会の面々が大量の折りたたみ椅子を運んで来て、それを校舎の前の通路に半円形に並べだしているのだ。

 また、青藍祭実行委員が5人ほどで、高跳びのときのマットを運んできている。椅子でできた半円の真ん中に置くのだろう。

 小桜と今田のバトルフィールドが作られているのだ。


 それを上から眺めながら、小桜は納得がいく。

 高い位置での戦いを、座るという低い位置から見上げさせることで迫力を演出できる。また、前の見物人の頭で全容が見えないということも防げる。椅子エリアの外は立ち見になるだろうが、それでも椅子があることで見物できる人数は遥かに増えるはずだ。


 いよいよその時が迫ってきたのだ。

 こうなってくるともう、恐怖もなにもない。ただ、覚悟とどこまでも透明な心象風景があるだけだ。包丁が自らの身に入ることを知っていながら、どうにも抵抗できぬ俎上の魚の意識である。


 ふと視線を上げ、敷間高の方を眺めると、その中の今田がこちらを見ているのに気がついた。小桜はマントを羽織ったままだ。おそらくは遠目でも今田は小桜に気がついたのだろう。


 小桜は右手を軽く上げた。

 今田も周囲の敷間高の生徒の目を盗み、同じように片手を軽く上げた。

 たったこれだけのことだったが、小桜は同志を得た気持ちになった。1匹なら無理でも、2匹であれば俎上の魚なりの意地も見せられようというものだ。


 案内放送が入った。

 30分後、政木高と敷間高の威信を賭けた戦いが始まる、と。

 小桜はマントを翻して校舎内に戻った。

 恥ずかしくないものを見せるためにも、トイレだけは行っておかないと、だ。



 ※

 高校受験で小桜は戦った経験がある。

 受験とは、逃げることが許されぬ、人生を左右する勝負の鉄火場である。その経験が、小桜をして勝負の場に足を運ばせている。

 だが、その本質は勝負にあるのではない。

「1度目は勝った。2度目だってきっと勝てる」、「1度目は負けた。だが2度目こそ勝つ」と、そのどちらであろうと、1度目に続いて2度目の勝負の場に立とうとする意志こそが本質である。「勝てそうだから戦う」などという不純なものは、すでに小桜からも今田からも削ぎ落とされているのだ。

 


 小桜は1階に降り、校舎を出てバトルフィールドに向かう。

 椅子はすでに、歳を取ったOBや他校の女子高生などですべて埋まっている。そしてその外側には、来場者と政木高と敷間高の生徒たちが取り巻いている。

 ふと見上げれば、2階と3階のベランダにもみっしりと政木高の生徒が詰めかけていた。


 来場者たちが、小桜のことを知っているはずがない。だが、駅前のパフォーマンスで、マントを羽織った生徒が戦うということだけは知られているのだろう。小桜が歩を進めると拍手が湧いた。

 そして照れくさいことに、Y0uTubeのどこかのチャンネルのカメラが小桜を至近距離から追う。そして、一番良くバトルフィールドを眺められるところに、テレビカメラの取材陣がいた。


 そういった状況に、落ち着いていたはずの小桜の視野は、緊張のあまり限りなく狭まった。だが、そんな中でも今田が歩いてくるのが見えた。敷間高の生徒の生徒が拍手を始め、それによって今田を小桜の対戦相手と認識した観客の拍手が湧く。


 そこへ、小桜が今まで話したことのない3年生がマイクを持って現れた。

「今こそ、政木高と敷間高の威信を賭けた戦いが始まる!

 80年に及んだ不倶戴天の両校の因縁に、ケリをつける時が来たのだ!

 戦いの方法は断崖宙乱闘。ロープに掴まりながら戦い、落ちた方が負けとなる。決着が着くまで、勝負は永遠に続くっ!」

 その声と同時に、3階のベランダからロープが投げ落とされた。

 なかなかに上手いマイクパフォーマンスで、ライブ感はたっぷりしだ。


 だが、観客の拍手は稀であった。状況がわかっていないのである。

 当然だ。「両校の80年の因縁」などと、いきなり言われたからといって共感できるものではない。ただ、面白そうだから来ただけなのだから。


「まずは、武器の選択を。敷間高から」

 そう促されて、今田がスポーツチャンバラの武器が並べられた中から刀を選んだ。

「敷間高1年、今田開司。敷間高を代表する、根性では誰にも負けない男。両校の因縁を消し去るに、間違っても役者不足とは言わせないっ!」

 小桜は内心で、「プロレスか?」と毒づく。


 小桜も、今田と同じ武器を手に取った。

「政木高1年、小桜将司。政木高を代表する、なんとかする男。正直、役者不足ではあるが、なんとかするはずっ!」

 観客の中から笑いが起きる。まぁ、敷間高の今田はイジれないだろう。こうなるのもしかたない。


 脚立が2つ用意され、地上2mほどのところまで垂れているロープに、小桜と今田は掴まった。

 司会役がさらになにか言っているが、頭には入ってこない。だが、「戦闘開始っ!」との声に、脚立は取り払われた。


 ※

 マイクパフォーマンスさえも偽装のうち。

 次話、「戦闘」。小桜、耐えろ。そして、戦え。

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