第27話 再びの東京散策6


 それにしても、と小桜は思う。

 恵茉の物言いは、取りようによっては友人や恋人というより、母親からのものに近いような気がする。息子の成長を無条件に信じ楽しむと同時に、その身を案じているようなものだ。

 これもまた、女性というものがここまで慈愛に満ちたものなのか、坂井恵茉のパーソナリティなのか、小桜にとってはよくわからないことだった。



「そろそろ、仙厓を見に行ってみようか?」

 恵茉の言葉に小桜は頷く。

 2人は、仙厓の水墨画を見ようと立ち上がった。そして、恵茉は明らかにうきうきと歩き出し……。打ちのめされることとなった。

 この美術館では、収蔵品の常設展示はというのだ。企画展は焼きものの展示で、それ自体は見ごたえがあったが、仙厓については空振りである。

 ミュージアムショップで、仙厓の作品がデザインされたお土産が売っていたが、当然それで満足できるというものでもない。


 文字どおりのしょんぼりとしてしまった恵茉に、さすがに小桜は言葉が見つからなかった。「もっと調べておけばよかったね」などという慰めは逆効果だ。一番恵茉自身が思っていることだからだ。


 美術館を出て、エレベータで降りながらようやく小桜は口を開いた。

「次の機会なんかいくらでもあるし、また来ればいいじゃん。秋に仙厓展は予定されているし、ね」

「私の下調べが甘かったん……」

 恵茉の言葉に、小桜は先ほどミュージアムショップで仕入れた言葉を恵茉に投げる。


「祖死父死子死孫死、順当に行くのが幸せ。でもって今回、仙厓が見られなかったことは、順当ではないと言うほどのことじゃない」

「……さっき、ミュージアムショップに置いてあった本で知った言葉だよね?」

「もちろん。それがなにか?」

 小桜はそう言い返す。


 小桜は、たった今覚えた仙厓の言葉を、そのまま恵茉に投げたのである。

 その昔、「なにかめでたい言葉を書いて欲しい」と頼まれた仙厓は「祖死父死子死孫死」と書いたという。頼んだ人は、「これはひどい。縁起でもない」と怒り出した。

 すると、仙厓はこう言った。「まず祖父が死ぬ。次に父が死ぬ。次に子が死んで、そのあとに孫が死ぬ。順序正しく死ぬということは、家族に若死する者がいないということだ。だから、こんなめでたいことはない」、と。


「俺たちには、まだまだ時間があるよ。もう一度ここへ来たって、仙厓の言う順当でめでたいことはぴくとも動かないよ」

 小桜は、さらに言葉を足した。

「そういうところ、なんだよなぁ」

 恵茉はそうつぶやく。


「なにがよ?」

 小桜の問いに、恵茉は首を振った。

 またもや怒らせたのかと小桜は不安になるが、恵茉の雰囲気に「怒り」はない。だが、先ほど白旗を掲げたばかりの小桜は、さらに問い詰める勇気は湧かなかった。


「……いや、別に。ありがとう。

 ……それよりお昼ごはん食べよ。お昼は私が持つから」

「えっ!? それはさすがに……」

 だが、恵茉は小桜に最後まで言わせなかった。


「2つ理由があるん。今日の交通費のお礼。それから、この間の電車が止まっちゃった日のお礼」

「えっ、でも……」

「父からも、なにかお返ししなさいと言われているから」

「……」

 さすがにそう言われると、小桜も断れない。


「好き嫌いなかったよね?

 お姉さんに任せなさい」

 恵茉に問われた小桜は、口籠った末に答える。

「……わかった」

 と。



 ※

 ご馳走されるとなると、とたんに弱気になる小桜なのだ。いくら恵茉の強さに慣れていてそこに屈託はなくとも、おごってもらうとなると話は別である。どういう顔をしていれば良いのかすらわからない。今の小桜に、「ご馳走になるときは堂々とご馳走になる」と腹を決めろと言うのは、やはり酷なのかもしれない。

 まぁ、女子の前でのええかっこしいは男子の本懐。それからしたら、ご馳走になるというのは真逆なのだ。

 これがなんとかなるのは、まぁ、早くて大学生、まぁ、社会人になってからでしょうかねぇ……。



「じゃ、ついてきて」

 恵茉にそう言われて、小桜は素直に従った。当然、小桜にもランチの腹案はあった。だが、ご馳走してもらえるとなると、甘えていい金額の設定がわからない。高くても申し訳ないし、安過ぎれば失礼だろう。だから、恵茉が「ついてきて」と言ってくれたのは救いだった。「なんでもいいよ」と丸投げされたら、詰んでいただろう。


 恵茉は東に向かってすたすたと歩き、小桜は後を追う。

「『お姉さん』って、ひと月だけじゃん」

 ようやく横に並び、異議を唱えると恵茉は小桜を見上げた。

「十分でしょ?」

 そう言われると、小桜はもうなにも言い返せない。


 さっきまでの、形ばかりかもしれないが、エスコートしていた関係が逆転している。大人しくエスコートされ続けはしない。これが坂井恵茉なのだ。

 小桜は、恵茉のあとをついて初めての銀座を歩いているうちに、不思議な可笑しみを感じていた。

 なぜか、「これも悪くない」と思ったのだ。


 恵茉の立つ位置は車道側である。歩いているうちに、いつの間にか恵茉が回り込んでそうなったのだ。

 普通なら、男子の小桜こそが立たねばならない位置である。だが、恵茉は意識してか無意識かはわからないが、自分からそちらを選んだ。

 もしかしたら、恵茉は母というより姉気質なのかもしれない。先ほどの「お姉さんに任せなさい」という言葉は、図らずも本音がこぼれたのかもしれない。恵茉は一人っ子のはずだが、小桜は架空の弟と同じ扱いをされているのかもしれなかった。

 思い返せば、恵茉との付き合いは弟扱いが多いのかもしれない。心配し、精一杯保護しようとしている姉、そう思うとなんとなくいろいろが腑に落ちる。これは、他の女子からでは得られない、得難い体験かもしれなかった。


「男子だもんね。しっかり食べたいよね?」

 そう言われて、小桜は曖昧に頷く。やはり、姉のようだ。

 ただ、それ自体は図星ではあったが、それでは申し訳ない。

「坂井さんが食べたいものが食べられないと、悪いよ」

 小桜がそう言うと恵茉は笑った。


「好きなお店の支店があるんだ」

 小桜は、恵茉にそう言われて安心した。

「東京に行きつけのお店があるの?」

 小桜の問いに恵茉は笑う。


「母が好きで、新宿のお店は行ったことがあったんだ。行きつけと言うほどじゃないよ」

「ふーん、そうなんだ。楽しみだなー」

 そう答えた小桜は、ふと疑問に思った。


 今回の東京行、恵茉は両親に全て話しているのではないか?

 父と母、すでに両方が話の中で出てきている。

 自分が親に言い難くて、話せずに来たのとは対称的だ。

 これがどういうことなのか、小桜の心の中に小さな疑問が生じたが、深く考える前に「着いたよ」という恵茉の言葉に引き戻されていた。



 ※

 さてさて、次回はご飯食べて、お茶してなのだが、小桜の中で恵茉ちゃんのこともいろいろと明らかになってきたのだ。

 小桜。この得難いデート相手は、予想外に難物だ。焦らず、少しずつ距離を詰めるのがよいだろうな。

 次話、「再びの東京散策7」。小桜、ドイツ料理を喰らうのだ。

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