第20話 転機


 小桜の下心といえば下心なのだが、1日脳を使ったあとの炭水化物は恵茉も欲していたのだろう。この提案にも素直に頷いてくれた。

 小桜と恵茉は店に入ってから相談し、店で焼いてくれるものを2種類と、自分たちで焼くのを1枚注文した。


 初めての2人きりでの食事である。小桜は自分の声に嬉しいという感情が籠もるのを必死で抑えていたが、恵茉には見え見えだっただろう。

 そして、それが恵茉に口火を切らせた。

「小桜さんが羨ましいよ」

 と。


「どういうこと?」

 自分で焼き始めたお好み焼きをなんとかひっくり返し、小桜は聞く。

 生徒会長の言葉である「自己完結」を思えば、ここは恵茉に任せず、小桜自身が焼くべきだと思って手を出したのだ。

 なんとか丸くまとまった形になって、内心では安堵している小桜である。


「小桜さんを見ていると、私には予備校の授業の本質が理解できていない。それが、歯痒くて悔しい。

 ごめんね。なんか悪い言い方になるけど、なんで小桜さんはいきなりそんなにできる人になっちゃったん?」

「できるもなにも……」

 小桜は口ごもる。


 それでもお好み焼きを半分に割り、ソースを塗って青海苔を掛けながら小桜は答える。

「例えばさ、方程式の答えは、=の左に文字、右に数字の答えを書くよね?

 x=3みたいにさ」

「うん」

 恵茉は素直に頷いた。


 小桜は説明を続ける。

「じゃあ、左に数字、右に文字だと間違いかな?」

「間違いではないと思う。でも、気持ちは悪いかな」

「その気持ち悪さを取っ払ったんだよ」

 そう言った小桜は、これが感情論になってしまうのを恐れて、補足の説明をした。


「x=3だけでなく、3=xでも問題なく正解と考えると、両辺の整理がものすごく楽かつ早くできるんだ。項をどっちに寄せてもいいんだから。で、その整理自体にも無意識のタブーがあって、中学の時に教わった順番みたいなものに囚われていた。文字は後回しにして、数字だけは早く計算しちゃえ、みたいな。これも今の俺にはないかな。

 あの数学の先生、最初にa=bのまとめ方を数限りなく書いたじゃん。つまり、あれを代入方法とも考えれば、解き方が一気に広がるんだ。そのときそのときで、最適な方法であれを応用すればいい。数学のルールにさえ従っていれば、こう解かなくちゃダメってのは一切ないんだよ。

 ただ、その上で、当然省力化と効率化ってのはあるし、そう考えると数学って美しい」

「わかんないよ」

 恵茉は悲しそうに答える。


 小桜は半分に割ったお好み焼きに鰹節をたっぷりかけ、1つを恵茉の方に押しやる。恵茉は箸を手に取った。

「あ、美味しっ。小桜さん、器用なんだね」

「料理くらいできないとだからね」

 生まれて初めて焼いたお好み焼きで、この偉そうな物言いである。でも、今言わずしていつ言うのか、なのだ。


「それでさ、小桜さんの言いたいことはわかるんだよ」

 恵茉は、そう話題を戻した。

「だけど、小桜さんの言うことは一般論で、具体的にそれぞれの問題にどう向き合うかという答えにはなっていないよね?」

「えっ、そのものだと思うけどなぁ」

 と言った小桜は、ふと思いついてバッグをかき回した。


 引っ張り出したのは、罫線なしのキャンプスの計算用紙だ。

「今日の授業で出た問題を解いたもの。あくまで参考だけど見てみて」

 恵茉は箸を置くと、そのノートを開いた。

 小さなヘラも置いてあったが、慣れない食べ物を慣れない食べ方で口に入れるのはハードルが高く、小桜も恵茉も箸を使っている。そもそも、金属のヘラを使ったら、下唇に大やけどをしそうで怖いのだ。



 ※

 恵茉に数学を語る日が来るなど、小桜にとっては想定外なのである。

 教わることはあっても、教える立場になるだなんて。しかも、学内ブービーの自分が、である。この戸惑いは、深い……w。



「なに、これ!?

 ……いきなり整理もせずに式で式を割るだなんて、しかも計算しないで最後まで放っておくって無法地帯すぎる。こんなんでいいの?」

「無法って言うけど、数学のルールは破ってないよ。単に、ラージXという考え方しているだけで。でも、そのやり方が最短距離なのは、その下の2行の収束具合を見ればわかるでしょ」

「それはたしかにそうだけど……。でも、その下の2行もここまで省力化しているだなんて……。移項もここまで省略しているだなんて……」

「試験ってのは、時間との勝負だろ」

 恵茉は呆れた顔になって、小桜にキャンプスの計算用紙を返した。


「私、ここまでは自由になれないかも……」

「らしくないぞ。数学の問題の解き方まで、自分を律するこたないだろ」

「小桜さん、言ってくれるわー」

 そこへ店員が、焼き上がったお好み焼きを持ってきた。


 2人とも、しばらくは箸を動かすのに忙しく、会話が途切れる。だが、腹が減っている中、暴力的なまでに食欲をそそるソースの香りを放置して話されても困るというのもあって、これはこれで小桜にとってはありがたい。

 頭を使うというのも、身体を動かす以上に空腹になるものなのだ。だから、恵茉も同じ考えのはずだ。

 ただ、残念なのは、当然のことながら店員さんの焼いたものの方が自分が焼いたものより遥かに美味しいという一点だ。恵茉に偉そうなことを言ってしまったのだから、なにかフォローを考えねばならない。


 だが、そのフォローはできなかった。

 その前に、食後のオレンジジュースを一口口に含み、恵茉が改めて話しだしたからだ。

「てかさ、なんかこの数日だけで、小桜さん、変わったよね?

 ずいぶん遠くに行っちゃった気がする」

「まさか、三城の方が近いって?」

 そうカマをかけた小桜の背中は、一瞬でじっとりと冷や汗をかいていた。


「あれはあれで、ああいう人でしょう。話は面白いけど、それだけかもしれない。

 そういうことじゃなくて……」

 恵茉はそこで口ごもった。

 小桜からしたら、聞き逃がせる話ではない。当然聞き返した。

「どういうこと?」


「ちょっと前から、視野の中に国まで含めた公ってのが入ってきたよね。その一方で、どんどん自信を失っていったように見えたけど、今はそれを取り返している。それに……。

 それだけじゃなくて、どこか中学の時に比べて大人になった感じがする」

 予想外に、恵茉は小桜のことを深く観察していた。


 ならば、その観察に応えねばならないだろう。

「……白状しようか」

「なにを?」

「正確に言うよ。

 俺、期末の校内順位、尻から3番目。で、実は1人欠席で試験受けていないから、実質ブービー」

「嘘でしょ!?

 小桜さんが、そんな……」

 恵茉は大きく目を見開いた。本気で驚いているのだ。


「嘘じゃない。数学では、零戦が墜落した。

 道を歩くときも、胸を張ってなんか歩けなくなっていた。なにをどうやってもうまく行かなくて、もうおしまいだと思っていたよ」

「……信じられない」

 恵茉の目は大きく見開かれたままだ。小桜のあまりの告白に、驚きの感情の波が静まらないのだ。



 ※

 恵茉にドン引きされかねない告白だっだ。

 だが、この告白ができるだけの自信を今の小桜は得ている。まだその実績はないのに、だ。

 この延長で小桜、走る。

 次話、「誘い」。ダメ元でも頑張れ、小桜。チャンスは今しかないぞ!




あとがき


「或る男子高の非日常」の扉絵ですが……。


本日分の表紙、掌編小説(140字)@縦読み漫画(原案)配信中@l3osQbTDUSKbInn さまからいただいた第V弾に変更です。


ありがとうございますー。本当に感謝なのです。


https://kakuyomu.jp/users/komirin/news/16817330667687299038

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