第15話 遠足

 

 期末試験まであと20日を切ったあたり。

 年間のカリキュラムの計画で、そのあたりに遠足が入っているのは誰もが気がついていた。

 だが、中間試験後のある日の朝、担任がホームルームで伝えた当日の「予定」のシンプルさに、クラスの全員が一瞬とはいえ凍りついた。


「遠足の目的地は、上野動物園だ。当日の予定は、朝の9時半に動物園前で出席を取る。以上だ」

 担任が伝えた「予定」とは、これだけである。

 

「東京までの交通手段は?」

 佐々木が質問した。

「学校は用意しない。好きにしろ。ただ、遅刻は欠席として扱う」

 担任の答えは、再びあまりにシンプルである。


「えっと、上野で先生の引率とかはあるんですか?」

 と、これは白田の質問である。今までの担任のあまりにシンプルな答えに、白田は裏があるのを疑ったのだ。

 上野動物園で教師の引率のもとで動物を見ていたら、小学生の遠足と変わらない。さすがにこれは恥ずかしいではないか。


「9時半に動物園前で出席を取ったあとは、俺はそのまま時間休を取るから問題は起こすな。無事に帰れ。俺の休みを邪魔するな。動物園への入場券は、各々でなんとかしろ」

 担任の答えは、またまたあまりにシンプル、と言うより投げっぱなしである。

 つまり、上野動物園前まで勝手に来いと。で、出席を取ったあとは自由行動だと言っているのに等しい。そもそも目的地は上野動物園と言っているのに、そこに入るという選択肢すらまともに示されていない。


「遅刻が欠席ってのは、先生が休暇になるから出席を取れないってことですよね?」

 新村の確認に、担任は「当然だ」と答える。


「ええんか、これ」

 竹塚が後ろからこそこそと小桜に呟く。

「自由だなぁ。改めて感動するよ」

 小桜もささやき返す。

 小中学校でこんな遠足を企画をしたらそれこそ大騒ぎになるだろうし、担任は保護者から吊るし上げられるに違いない。


「……秋葉原でメイドさんに会うかな」

「スカイツリーに上るか?」

「どっか、安くて美味いものあるかな……」

「そのまま横浜に抜けてみるか」

 ひそひそと声が上がりだすのに、担任は声を被せた。

「目的地は上野動物園だ。忘れるな」

 クラスは、水を打ったように静まり返った。


 ……そんな中で、「パンダの名前って、今、なに?」という新村の独り言だけが全員の耳を打っていた。


 ※

 もちろん、素直に上野動物園に入るヤツなんか一握りだ。動物が好きなヤツも当然いるわけだからな。

 他の連中は、東京で自由行動ということになる。でも、それを公然と担任の前で言うヤツなんかいない。

 担任の最後の一言は、腹芸である。16歳にして、すでに彼らは皆、腹芸の達人なのだw



 その後、朝のホームルーム終了後、各自で電車の時刻表を調べ、そのまま班編成が始まった。もちろん、班と言ってもあまりにもゆるいものである。目的地が同じならつるんでも良し、つるまなくても良しだし、そもそも自分一人しか行きたくない場所であれば班になりようがない。


 それでも、結果としておおよその色分けはされていた。

 国立科学博物館、東京国立博物館、江戸東京博物館などに行く者たち。スカイツリー、秋葉原など観光地に行く者たち。相摩県に海はなく、普段見ることのできないそれを見ようと、三浦半島から江ノ島を目指す者たちのグループの3つで大多数が占められた。

 

 だが、小桜はどこにも属さなかった。同行を望む者がいなかったからだ。

 彼が目的地にしたのは上野の寄席である。一度、落語を生で聞いてみたかったのだ。

 博物館はすでに小学校、中学校の時にも行っているし、秋葉原も気が進まなかった。メイド喫茶など行っても、自分はまともに話せないという自覚がある。初対面の女性と、恵茉と話すように気楽になんでも話せるわけがない。

 かといって、いくら屈託なく話せるとはいえ、野郎と海に行ってなにが楽しいものか。

 だが、この選択が自分の人生に大きな影響を及ぼすことになることなど、小桜は知る由もなかった。


 なにはともあれ、その日の昼休みまででおおよその計画と下調べは終わり、あとは当日を待つのみとなった。




 遠足当日。

 なにも決めてはいなくとも、ほぼ全員が同じ電車にいた。集合時間が決まっているのだから、当然そうなる。そして、新幹線を使うには彼らは蛮カラが過ぎた。

 席が埋まるにつれ、年寄や女性に席を譲って彼らは立ちだす。学校が交通手段を用意しなかった以上、数百人分の混雑の割増の原因となっている自覚があるからだ。善意以前に、申し訳ないという思いが来ている。

 無言で立ち尽くし、上野で降り、そのまま出欠を取られる。

 そこで、小桜は開放された。


 その場を去る担任の背を見送り、他の先生も三々五々いなくなるのを確認した。現在、9時45分。上野の寄席は開場12時00分、開演12時30分なので、2時間半ほど時間が余る。

 小桜はしばらく悩んだあと、コインロッカーに制服を脱ぎ捨て、東京駅に向かった。

 皇居というより、江戸城を見ておきたかったのだ。中学校の修学旅行で大阪城は見ていた。豊臣の城とは言い難いが、それでも元々は豊臣の大阪城である。なので、豊臣家を滅ぼした徳川家康の城も見ておかねば、と思ったのだ。特に深い考えがあっての行動ではない。


 もちろん、今までも東京は何度も来たことがある。だが、新宿から中央線沿線ばかりで、こちらには来たことがない。

 考えてみれば、中学校の修学旅行で大阪京都と回り、かつての日本の都とその機能を果たす場所を見たのに、江戸から現代に至るまでの今の都を見ていないというのはあまりに可怪しい。こんなのも、知というジャンルは自力でなんとかするしかないと覚悟したからこそ、この可怪しさに気がつけたのかもしれなかった。


 東京駅の丸の内北口を出て歩き出した小桜は、すぐにお上りさんよろしく視線を上向きに奪われた。政木市では決して見ることのできない光景が広がっていたからだ。ビルは高く道は広く、だが、歩道を歩いていると人を拒絶する急峻な山の谷底にいるような気さえしてくる。

 とはいえ、そう歩かないうちに江戸城のお堀に行き当たり、一気に視界が開けた。そのお堀の水面はあまりに広く、小桜は城の堀に対する認識を大きく変えさせられていた。


 政木市も城下町で、市街地にはお堀が走っている。だが、長いはしごを使えば渡れてしまうほどの幅しかない。井伊直政ゆかりの城であるから、その主君の徳川家康の城はそれより大きかろうとは予想していた。だが、その予想は大きく外れていた。

「それより」などというレベルではない。

 堀も石垣の高さも、比較するのも烏滸がましいほど大きかったのである。


 ※

 たぶん、上野の寄席には間に合わないかもしれないな、小桜。だが、寄席には夜の部もあるぞ。

 ちなみにナレーター役の声は届かないとは思うが、寄席で落語を聞きながら弁当を食って晩ごはんというのもちと洒落ているかもしれないな。

 次回、「東京散策」。お上りさん出力全開。発進!!

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