第12話 彼女の心情
恵茉からの絶交を言い渡される覚悟すら決めた小桜だったが、その口から出た言葉は予想を裏切って宣言ではなく質問だった。
「私がなんで小桜
「……自分、変人の自覚はあります。距離をおかれても仕方ないです」
その答えに、恵茉は深々とため息をついた。
「あのね、中学の時、私、登校拒否の一歩手前までいっていたんだよ」
「うん、それはうすうす気がついてた」
「同じクラスに20人近く女子がいるのに、誰とも話が合わないって、それはもう本当に辛い。他のクラスの河西莉子まで話しにも行けないし。だけどね、一歩手前で済んだのは、小桜さんがいてくれて、小桜さんだけは私の話を理解してくれたし……。小桜さんだけが、私に理解できない話もしてくれたからなんだよ。
だけど、本当にくだらないことなんだけど、中学校で私が小桜さんとばかり話していたら、なにを言われるか、なんだ。女子間で7割の時間を使い、小桜さんとはどんなに多くても2割に抑えないと、結果として小桜さんと話すこともできなくなる。あー、本当にくだらない」
恵茉の口調は抑えたものだったが、込められた怒りは本物だった。
小桜の脳裏には、「思い出し笑い」という単語に比べて、なぜ「思い出し怒り」は一般的ではないのかと疑問が浮かんだ。それほど恵茉の見せる怒りは激しく、背に青白い炎が見えるようだった。
恵茉は、中学校女子のつきあいの陰湿さ自体には耐えられても、それによって自分の行動が縛られるのには耐えられなかったのだろう。恵茉の行動を縛るのは、恵茉自身の自律のみなのだ。今の小桜にはそれがよく分かる。
「……つまり?」
「小桜さんだけは、私の中で大人に見えた。だから、『さん』付けで呼んだの。
あ、言っておくけど、だからって小桜さんが特別というわけじゃない。あくまで、唯一の話せる相手だったということだからね。だから、私が小桜さんを好きというのとは違うんだよ」
恵茉のあまりの言葉の積み重ねに、小桜はテーブルに突っ伏した。
「3段重ねって、普通、そこまで念入りに人を除外するか?」
「否定はしてないよ。One of them だと言っているだけで」
「同じだ、同じ!」
小桜のツッコミに、恵茉は平然と返した。
「言っとくけど私、鳥の卵と朧月の話、忘れてないからね」
「……まだ恨んでいるのかよ。それはもう、忘れてくれよ」
突っ伏したまま、小桜は答える。
やはりこれ、相当に根に持たれているらしい。
ラテン語で「ovoro」は、「卵を産んでいる」という意味だ。それを知った途端、小桜のなかで以下の作り話が形作られた。
日本語の「朧」は、「ぼんやりとかすんでいるさま。はっきりしないさま」であり、つまりは「不確かなさま」だ。ここまでは古語辞典に載っている。
シルクロードを伝わってきた「ovoro」という単語が、産まれたての卵の「不確かなさま」から、そのままその意で日本語に定着したと。
小桜は、その作り話で恵茉をかついだ。
でもって、産みたての卵の「不確かなさま」についてはこう付け加えた。
産まれたての卵は殻が柔らかくふわふわで、親鳥が満遍なく転がすことで丸い卵の形に固まるのだと。「でなきゃ、鶏だってあの身体で、あんな大きな玉子を産めるはずないだろ。ヒトの比率で玉子の大きさを考えてみろよ」、と。
親鳥が産んですぐの卵など見たこともない恵茉は、この説明を完全に信じ込んだ。
小桜の得意科目は理科ということを知っていたし、ネットで調べてもラテン語から古語まで意味は間違っていない。シルクロード云々以降がデマカセなのだが、そこから生まれたての卵の殻はふわふわだというところまで恵茉は疑わなかったのである。
恵茉が、これが小桜の嘘だと気がつくまで2ヶ月掛かった。その間、小桜はひたすらに待った。
法事のとき、幼いいとこに「産まれたての卵は殻が柔らかて、親鳥が転がすことで卵の形になるんだよ。すごーく上手に転がすんだよ」と教えた恵茉は、親戚中から笑われた。そして、むきになって反論して、さらに傷を深めた。
そして翌日、憤然として学校に来た恵茉は、「小桜さんの冗談には悪意があるっ!」と、小桜を追い回してぽかぽか叩いたのだ。
※
その際、中学の時のクラスの連中はなにごとかと思ったのだが、恵茉の話を誰も最後まで聞きなどしなかったのだ。なぜならば、ラテン語なんてもんが出てきた段階で、さっさと逃げ出したからである。
……あれっ、クラスで恵茉が浮いた理由の一端は、小桜にもあるのではないか?
……君の罪は案外深いぞ、小桜っ。
「本当に悪かったよ。ごめん」
「2ヶ月間、さぞや楽しかったでしょうね。私が10倍返しで2年くらい怒りを持続したっていいよね?」
「はい、仰るとおりです」
小桜は白旗を掲げる。
10倍返しなら、20ヶ月じゃないか? とも思ったが、賢明にも口には出さない小桜である。なんせ、恵茉の怒りは小桜の嘘に対してではない。このことについて恵茉は、騙された方が悪いとさえ思っているだろう。だが、2ヶ月間も小桜が楽しんだことは許せない。これには小桜も反論の余地がない。
「つまり、あの、政木女子高で話が合う人がたくさんいるから、『もうお前は用無しだ』ということでしょうか?」
小桜のおそるおそるの問いに、恵茉は大きく頷いて大きな目を瞠って言う。
「小桜さんがそう思うなら、そうなんじゃない?」
と。
「だいたいさぁ、私にだって恋人ができるかなんて先のことはわからないよ。で、小桜さんのは告白でもないし、言いたいことは私も実感しているから本当によくわかるけど、だからってどうしようもない。それに、話が合うからって、大して熱もないのに付き合った挙げ句、小桜さんに『好きな女の子ができた』なんて言われた日には、私だって立つ瀬がないよね?」
筋が通っている。通り過ぎている。
そして、小桜の言いたいことを汲んだ上で、自分の立場を話している。
結局、今回もいつもどおりだ。
恵茉は小桜自身を映し出す鏡なのだ。
つまり、話すことで、自分のアイデンティティや悩みを確認できる相手。
「じゃあ、お互い恋人ができるまでは、こうやって話すことは……」
「なにか問題あるの?」
「……ない」
逆に恵茉に聞き返されて、小桜はそう答えるしかない。
それでも、小桜は話せてよかったと思う。少なくとも、中学校時代と同じように話す機会を持つこと自体は確保されたのだから。
そして、ここまでの共通認識が持てたのなら、恵茉とのこの関係の先になにがあるのか、それはもう成り行きに任せるしかない。あとは、時の流れが否応なく結果を出すはずである。
※
恵茉の心情を知り、恋に落ちる前に互いの存在意義と大切さを知ってしまった小桜なのである。
その知ってしまった意義をも心の底で共有した結果、この2人はどうなってしまうのか……。恋愛たるだけの熱を持つことはあるのか。
次話、「中間試験」。勉強こそが高校生の本分であるっ!
あとがき
本日分の表紙だけ、掌編小説(140字)@縦読み漫画(原案)配信中@l3osQbTDUSKbInn さまからいただいた第二弾に変更です。
ありがとうございますー。
https://kakuyomu.jp/users/komirin/news/16817330666866030363
そして、その後、第三弾にまで変更なのですっ。
もう、感謝しかありません。
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