第4話 電話
その夜、小桜はスマホを手の中で弄びながら、深く深く悩んでした。高校入学のお祝いに買ってもらったものである。
中学の時の同級生の女子、坂井
坂井とは気が合った。
もちろん恋人というような関係ではないが、どんな話題を振っても空振りにならない相手と話すのは楽しい。
でも、中学の卒業式以降、一度も顔を合わせていないし連絡もしていない。連絡しなければならないほどの用件が、今までは思いつかなかったのだ。
手の中のスマホは次第に重みを増し、小桜の手と心にのしかかる。
だが……。
今、20時40分。
21時を越えたら、さすがに遅い時間と取られるだろう。掛けるなら今しかない。
それでも、小桜の指は動かない。
20時55分。
ついに、追い詰められた小桜の指は動いた。
昼間の交流会のあと、全員で連絡先を交換し、そのメンバーへ情報を流す約束をした。それがなかったら、とても勇気が湧かなかった。いや、勇気とは言えない。これは義務感だ。
ようやく加西から教わった数字を11個並べ、通話、と。
呼び出し音を聞く小桜は、手や耳だけでなく、全身が緊張で汗ばんでいた。
とても座っていられず、自分の部屋の中を檻の中のクマよろしく徘徊する。
知らない番号からということで、通話にしてもらえないかもしれないし、いきなりの着信拒否もありうる。
だが、いっそ、この緊張感から開放されるならその方がマシかもしれない。
そんなことを考えるまで、小桜は追い詰められていた。
だが……。
「恵茉です」
「あ、あれっ、あの、えっ?」
動揺のあまり、挙動不審になった小桜を誰が責められよう。
「小桜さん?
加西さんから聞いたよ。電話があるかもって」
中学時代とまったく変わらない声に、小桜はそのまま床に座り込んだ。
懐かしいと感じるのは、「さん」呼びに、だ。
中学では男子は「君」、女子では「さん」付けが当たり前。というより、そう呼ぶよう学校から指導された。あだ名はいじめの元になるからと禁止である。高校に入ってからは一転して姓で呼び捨てが当たり前になった。そんな中で、中学時代、恵茉だけが小桜を一貫して「さん」付けで呼んだ。
※
ちなみに、この舞台の男子高では、クラスに同姓がいるときは、とりあえずは「1号」「2号」。
そのうちに「パジャマ」「鳥の糞」などと、姓で呼ばれるより酷いあだ名がつくのだ。
ちなみに「パジャマ」は、寝坊してパジャマの上に学ランを着て来たのを目ざとい奴に見破られたからだし、「鳥の糞」は街を歩いていて頭に大量の爆撃を食らったからだ!
一度の失敗で人生を失う良い例であるっ!
「あ、ああ、そうです。小桜です」
我ながらうわずっている声だと小桜は思う。
「どしたん?
久しぶりだね。元気?」
はきはきとした恵茉の声に、小桜は圧倒される。そして同時に、その乾いた声に異性として見られていないという確信まで得てしまう。
まあ、成績では1度も勝てなかったし、仕方がない。頼りがいがあるとは決して思われていないだろう。
だが、その確信は小桜の心を立て直させた。
「いや、実は変な噂を聞いたんだけど、坂井さんなら情報を持っているかもしれないって加西さんから聞いてさ。新聞部に入ったんだって?」
「そうだよ。で、なんの話だろ?」
「男子高、女子高がなくなるって話、知ってる?」
このあたりはもう、嘘も方便だ。
だが、万が一にも加西を悪者にしないためには、こう聞くしかなかった。
ただでさえアルトの恵茉の声が、さらに低くなった。警戒している証拠だ。
「誰から聞いたん?」
「ソースは明かせない」
すでに心を立て直した小桜は、平然と返した。
成績では最後まで勝てなかったが、担ぐことでは恵茉に負けたことがない。
良くも悪くも恵茉は真面目で真っ直ぐで、いいように小桜の手のひらの上で踊ってくれ続けてきたのだ。ネタがバレて、ぽかぽかと叩かれたのも懐かしい。
「そっか。そっちでもリークが起きているんだね。
こうなると、敷間の方とも連携取るって話になるねぇ。4校連携で戦うってことも視野に入れないと」
「そうだね。得た情報の摺合せしときたいんで、知っていること教えてよ」
そう小桜は畳み掛けた。
良心が痛まないと言ったら嘘になる。
だが、小桜の嘘を見破ったときと見破れなかったときで、恵茉の選択肢は変わらない。そもそもタイミングを測っているだけで、公開したい情報ではあるのだ。
だから、小桜はさらに押す。
「知事あたりらしいね、話の出どころ」
これで恵茉は、完全に小桜を信用した。
それはもう、知っていることをすべて話してくれるほどに。
元々そう量の多い情報ではない。5分の後には、小桜はすべて聞き出していた。そして、聞き出したのち、小桜は最後にこう言った。「うん、俺たちの得た情報とまったく同じだ」、と。
同時に口止めも忘れない。「こちらで得た情報があるってこと、まだ伏せておいて」、と。
「うん、当然」
恵茉の返事に、小桜の良心はさすがにちくちくと痛んだ。
結局は、小桜への信用を逆手に取ったことに変わりはない。友人としてならば、恵茉は小桜をきちんと認めてくれているのだ……。
「たださ、信用できる何人かには話を広げておきたい。だって、根回しも重要だよね」
「うん、それは互いにね」
恵茉もそう返す。
約束した9人には話さざるを得ないからだ。どこまで信用できるかわからないが、情報ソースの絶対の秘匿だけは約束させようと思う。
「なぁ、実際のところ、坂井さんはどうなん?
個人的な本音では、共学化した方がいいとは考えないの?」
そう話を続けたのは、その痛みを紛らわせるためだ。このまま通話を終わらせたら、それこそ恵茉を利用しただけになるという気がしたのだ。
もちろん、恵茉と話していたいという欲もある。もっともこちらの欲の方は、恵茉が同じように思ってくれていないと成立しないのだが……。
「私は思わないな」
「なぜ?」
「だって、3年間限定の『自由』でしょ?」
「ああ、なるほどな。それならわかる」
「共学に行った人たちにはなかなか理解してもらえないけど、ね。正しい言い方じゃないけど、私たちは自己肥大した『高貴な野蛮人』なのよ」
恵茉の声に、小桜は頷く。
こんな話がある。
自衛隊の潜水艦で女性自衛官が乗り組むようになったら、使用する水の量が増えた。女性が長い髪を洗うからだと当初は短絡的に考えられたが、実際は違った。自らの体臭を気にした男性自衛官が、念入りに身体を洗うようになったからだという。
それが自発的なものであったとしても、これは「自由」を自ら手放したことになる。自律したというには、若干不純でもあるし、マナーだと言うなら、女性自衛官が乗る前からそれだけの水量が使われていなければおかしい。
つまり、それだけ心が縛られたのだ。
自衛官としてどうのとかというより、人としてはあまりに当たり前な行動なのだが、自らの心に忍び込むその「不自由」さに恵茉は気がついている。
一生その「自由」に身を委ねる気はないが、今時点はそこから得られる尊厳の方を取り、その尊厳をもって受験を戦いたいのだろう。
同時にその尊厳と引き換えの男子高、女子高の持つ蛮カラさを、「高貴な野蛮人」と定義しているのだ。弊衣破帽は、学びのポーズであって、不良のファッションではない。
※
小桜君、今、君は大いなる機会に恵まれている。現時点でまともに話せる異性は、君にとって1人しかいないのだ。
それに気がつくかどうかで、君の人生は大きく変わるだろう。
もちろん、気がついた上でそれを行動に移せれば、だ!
次話、「斬撃」。刮目して待て!
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