第3話
クマが暖炉を羨望のまなざしで見つめている事に、リョウは気付いていた。
唇の端をピクピクさせながら、言おうか止めようか迷っていたらしいクマが、ついに口を開く。
「なぁなぁ。暖炉に火は入れないの?」
「なんだクマ、暖炉が珍しいのか?」
クマの問いに問いで返したリョウだったが、相手はそんなことに気付きもせずにウンウンとうなずいている。
無駄にかわいい。
「初めてだから、使うトコが見たい」
「でも、まだ暖炉に火を入れるには時期が早いよ? 暑くなっちゃうかもよ?」
ワクワクしながらねだるクマに、リョウは釘を刺した。
「いや、だって初めてだから。それに寒いし。十分、寒いし。ねぇねぇ、火、点けてよ」
「まぁ、クマがどうしてもって言うなら点けるけど。暑くなっても知らないよ~」
リョウはそう言いながら、慣れた手つきで暖炉に火を入れた。
それをキラキラした目で、毛むくじゃらの大男が見ている。
暖炉に火がともると、肌寒かった室内は次第に暖かくなっていく。
「あったかーい」
と、はしゃぐクマを、リョウは生暖かい目で見守った。
はしゃげるのは今の内だけだ。
早い時期の暖炉は、無駄に暖かい。
暖か過ぎて、暑くなるのは時間の問題だ。
現に、クマは上着を一枚、また一枚と脱いでいく。
–– 何枚着てたんだクマ…… ––
リョウが引くほど、クマは重ね着をしていた。
そして。
重ねに重ねた衣類を、それ以上脱ぐと下着になるくらいまで脱いだ。
それでもクマが、暑い、と、文句を言う事はなかった。
そんな所も無駄にかわいいと、リョウは思った。
しばらくして室温とクマの服装のバランスが整った頃。
クマは、リョウを振り返り言った。
「腹へった。オレ、シチュー持ってきたんだけど、食う?」
「うん、食べる、食べる」
クマはバカでかいリュックの中をゴソゴソ漁る。
リョウは横から、その中を覗いた。
思っていたよりも質・量ともに凄い中身だ。
が、あえてそこは触れないことにしたリョウであった。
「これなんだけど…」
と、言いつつクマが取りだしたのは、お高そうな牛シチューのパウチだった。
パウチは三つもあるし、リュックの中にはフランスパンも一本、収まっていた。
飯盒要らなかったのでは、とか、お腹が空いたのならフランスパンをかじれば良かったのでは、とか、色々と思わないでもなかったリョウであったが。
–– まったくシティーボーイってヤツは! ––
と、いう一言で片づけ、パンもシチューも美味しそうだったので有り難くいただくことにした。
シチューを鍋で温めている間に、クマが暖炉を使ってフランスパンを焼こうとして一切れムダにしたのはご愛嬌だ。
無事にトースターの中で焼けたフランスパンと共に、2人でシチューを平らげた。
暖かい部屋で暖かい食べ物を食べた二人は、とても温まった。
温まりすぎて汗が止まらないくらいだ。
「お風呂沸かすけど、入る?」
「入る!」
我が幼馴染に遠慮は無い。
リョウは風呂の支度をしつつ、クマの着替えを見繕った。
無駄にデカいから、サイズの合うものが見つかるかどうか不安ではあったが。
–– 父さんは大きめの服が好きだったな。 ––
衣装ケースの中をゴソゴソと荒らす。
–– コレならクマでも着られるだろう。 ––
見つけたのは、シンプルなグレーのスエットの上下。
それを眺めながらリョウは、父がよく着ていたことを思い出した。
過去になってしまったモノは、いくら身近な光景でも再び手が届くことはない。
いま手の届くことを大事にしなければ。
そんなことを思いながらリョウは、パジャマに出来そうなスウェットの上下を脱衣所に置いた。
「クマ、お風呂どうぞ。タオルはたっぷりあるから、後はテキトーに自分でやって。」
「おー、ありがとう」
リョウが声をかけると、クマはホクホク顔で風呂場に消えていった。
–– アイツは絶対、山男にはなれないだろ。 ––
リョウは心の中で突っ込みつつ、鼻歌まじりに後片付けをするのだった。
クマに引き続き風呂に入ったリョウが汗を拭きながら部屋に戻ると、彼はボウッと外を見ていた。
灯りの少ない山からは、街の灯りがよく見える。
リョウはこの眺めが好きだった。
色とりどりの灯りが広がる足元を眺めていると、自分がどこか知らない天上の世界にでも来たような気分になる。
実際に山の上という高い場所に居るわけだが。
そのような意味での高い場所というのではなくて。
もっと高くて、もっと気分が良くなる場所に居る気分がする。
–– クマもそんな気分になったのだろうか? ––
「気に入った?」
リョウが背後から声をかけると、クマは何故かウンザリした表情で振り返った。
理由は分かっている。
上山さん家から聞こえるカラオケの音だ。
「コレ、毎晩聞こえるの?」
ウンザリした声でクマが言う。
「まぁね。オジサン、カラオケ好きだから」
クスクス笑いながらリョウは答えた。
「うげぇ。近所迷惑な」
「近所なんて、この家くらいしかないからね」
歌い手がオジサンからオバサンに変わった。
「ん…奥さんは上手いね。いい声だ」
「そうだね」
リョウはクスクス笑いながら、窓から見える景色に目をやった。
街の灯りは、いつもと変わらず綺麗だ。
この景色を、なぜクマと並んで見ているのか分からない。
けれど。
いつもより綺麗に見えた。
「喉乾いたね。何か飲む?ココアでも作ろうか?」
リョウの提案に、
「オレ、なんか冷たいもの飲みたい」
と、欲望に忠実なシティーボーイは答えた。
「甘いの?甘くないの?」
「甘くないやつ」
「あいよ」
リョウは冷蔵庫から炭酸水を出して、グラスに注いだ。
炭酸の泡がシュワシュワと昇る。
グラスをひとつクマに渡し、二人並んで夜の街を眺めながらシュワシュワするだけの冷たい水を飲んだ。
暖炉のせいだろうか。
体が熱い。
「熱いね」
と、リョウが言えば、
「そうでもないよ」
と、クマは答えた。
山の中は、それなりに賑やかで。
上山のオジサンの声に反応して、鳥たちが騒ぐ。
オバサンの歌には聞き惚れるように静かになり、オジサンの歌には異議でも唱えるように鳴く鳥たち。
それがツボにはまった2人は、声を合わせて笑った。
「こんなのって、いいね」
と、クマが言えば、
「そうだね」
と、リョウは答えた。
頭の芯がボウっとする。
上手く言えないけれど。
「暖炉はやっぱり早いよ」
と、リョウが言えば、
「そうでもないよ」
と、クマは答えた。
何度も父と過ごした別荘の山小屋に、父が存命中には招かなかった幼馴染がいる。
なのに、ひどく自然に思えるのは何故だろう。
「なぜ幼馴染くんが、ココに居る?」
と、リョウが問えば、
「それは、オレが来たからだよ」
と、クマは律儀に答える。
ああ、そうだ。
クマは、私が居て欲しいときに、側に居た。
いつだって、側に居た。
私は……クマに来て欲しかったのかな?
今の状況は、コトさんの思惑に乗っかったわけではなく。
私自身の望みだったのかな?
リョウは隣に並ぶ、ヒゲもじゃの大男を見上げた。
リョウの視線に気付いたクマが、こちらを見る。
「ずっと、こんな風に居られたらいいね」
と、クマが言えば、
「そうだね」
と、リョウは答える。
ふたりは顔を見合わせた。
黙ったまま。
見つめあった。
それだけで。
視線だけで会話が成立したみたいに。
どちらともなく顔を近づける。
重なり合う互いの唇。
その感触を少し不思議に思いながらも。
そうするのが当たり前みたいに唇を重ねた。
ああ、そうか。
コレか。
コレが当然の収まり処だったのか。
衝撃よりも、あまりの自然さにホッとする。
さんざっばら寄り道しておいて、辿り着いた先がココとは。
父が生きていたら、腹を抱えて笑い転げるに違いない。
リョウが感じていることをクマも感じていたのか、そこからの共同作業は笑ってしまうほど早かった。
世間様には見せられないようなことをするために。
ふたりで手分けしてテキパキと部屋のカーテンを閉めた。
この世に2人だけしか居ない空間を作る為に、窓という窓のカーテンを閉めて回った。
灯りは、落としたかどうかも忘れた。
互いは見えていた。
他の事は、どうでも良かった。
見せられない世界からは切り離したので。
他の事は、どうでも良かった。
で。
やることやって、寝た。
競うように大きなイビキをかいて、寝た。
麻酔でも打たれたように深く。
休日の朝に味わう二度目のまどろみのような幸福感に包まれながら。
二人並んで寝た。
山の朝は、早くて遅い。
それはまるで二人の辿った時間のように、早くて遅くて、希望に満ちていた。
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