幕間 鼓動

 私は今、リビングにある大きな鏡で自分を見ている。


 黒いチューブトップの上に葉梨の青いリンガータンクを着て、ショートパンツを履いた姿を鏡に映して見ているのだが、リンガータンクが大きくてショートパンツが見えず困惑している。


 ――ショートパンツを履く意味はあるのだろうか。


 今年一月、『初エッチで男性が彼女に着て欲しいランジェリー』をネットで見たものの、皆思い思いの事を言っていて参考にならないと葉梨へ言ったが、葉梨はその後、『薄いピンクのベビードールが良い』と耳を赤くして言っていた。

 私はそんな葉梨が可愛いと思いながら、「葉梨が選んだものを着るから買ってきて。お金払うから」と言うと、少しだけ眉根を寄せて真っ直ぐ見つめられた。

 私はその顔が好きで、葉梨はカッコいいなと、私は思っている。


 それから私は、葉梨はどんな服が好きなのか、どんな髪型が好きなのかを聞いた。

 だが葉梨は今のままで良いと言う。

 女教師モノとジャージが一番好きだが、ワンピースを着た清楚系も好きだし、Tシャツとジーンズ姿も好きだと言う。

 それでは困るのだが、私が先輩だからそう言うのかと思った。


 ならばと葉梨と私のマンションで過ごす時のルームウェアを選んでもらうことにした。

 普段はジャージで過ごしている。葉梨は何も気にしていないようだが、本当は可愛いルームウェアの方が嬉しいのではと思ったのだ。


 そして私は、どんなルームウェアを私が着ていたら嬉しいか聞いた。聞いたのだが、想定外の答えだった。


 葉梨は耳を赤くしながらショートパンツだと言ったのだ。色はライトグレーだと指定された。

 言われてみれば、男性向けエロ漫画の女の子はだいたいショートパンツを履いている。あんな布面積の少ないショートパンツなど履く女がいるのだろうかと常々思っていたが、あれは男の願望を具現化したものなのかと知った。

 私はあんなショートパンツを履くくらいならパンイチで良いじゃないかと思っていたが、葉梨が望むのなら履こうと思った。


 葉梨にショートパンツの上は何が良いのか聞くとタンクトップだと言った。

 私はなるほど、と思った。

 タンクトップにショートパンツの女の子が反り腰で髪の毛を纏めようとして、男をちらりと振り向く姿――。

 それは確かに良いものだと思った。


 その時、葉梨はリンガータンクを思い出して、上はタンクトップではなくリンガータンクが良いと言った。だが私は、リンガータンクは大きいからチチが丸出しになると指摘すると、葉梨は悩んだ。私がその姿になった所を想像したのだろう。眉根を寄せて悩んでいた。恋人がただの痴女だ、と。


 私は中にチューブトップを着れば良いと言った。葉梨はチューブトップがどんなものか分からなかったようで、私は腹巻きだと答えておいた。間違ってはいないだろう。


 そして今、葉梨の青いリンガータンクがワンピース状態で、そのショートパンツが隠れている。

 ショートパンツの中にリンガータンクを入れてみたが、裾からリンガータンクが出てしまう。

 私はどうすれば良いのだろうか。


 今日は六時十五分頃に葉梨が来る。

 私は葉梨の希望通りのルームウェアを着ているが、ショートパンツは見えないから後でまた相談してみようと思う。

 葉梨は私の姿を見て喜んでくれるだろうか。葉梨の笑顔を思い浮かべて、私は頬が緩んだ。


 ◇


 午後六時二十九分


 私と葉梨は今、ヨガマットの上で正座をしている。


 葉梨を迎えた時、私がチューブトップにリンガータンクを着ている姿を見て、葉梨は眉根を寄せて目を閉じた。ショートパンツが隠れているから不満なのかと思っていると、後ろから玲緒奈さんが現れたのだ。


 驚く私を見た玲緒奈さんは笑いながら、「へえ、葉梨はこういうのが好きなんだー」と言った。

 葉梨は唇を噛んでいた。


 なぜ玲緒奈さんがいるのか、なぜ葉梨はそれを教えてくれなかったのか、いろいろと言いたい事はあったが、玲緒奈さんをもてなさなければと思い、リビングに通した。


 玲緒奈さんは何度か家に来たことがある。だがサンドバッグを買ってからは来ていない。

 サンドバッグを見つけた玲緒奈さんは子供のようにはしゃぎながらグーパンし始めた。


 そして私たちはヨガマットの上で正座をしながら、それを眺めている。


 ――あ、蹴りが入った。


 一度、玲緒奈さんから相澤と松永さんの官舎で蹴りを入れられた事はあるが、とても効いて涙が出て来た思い出が蘇ってきた。


 ◇


 午後六時五十五分


 玲緒奈さんはサンドバッグに飽きるとケトルベルを振り回し、今は懸垂マシンで懸垂している。

 ワイドグリップでバーに顎をつけている玲緒奈さんを相変わらず私たちは正座をしながら眺めているが、葉梨はトレーニングをする玲緒奈さんを初めて見るからなのか、呆然とした表情だ。


「葉梨、今何時?」

「六時五十五分です!」

「ありがとー」


 そう言うと玲緒奈さんは懸垂マシンから手を離し、「帰るね」と言った。


 ――何をしに来たんだ。


 ◇


 午後六時五十九分


「二人が仲良くしてて嬉しいよ」

「……はい」


 玄関ではなく、せめてエントランスまで見送らせてくれと申し出たが、「あんた、その格好で外に出る気なの?」の一言で見送りは無しになった。


 葉梨は玄関ドアを閉じ、鍵を掛け、チェーンロックもした。葉梨が必死に抵抗している。


 振り向いた葉梨に私はもたれ掛かった。

 葉梨の腕の中で、「なんで連絡してくれなかったの」と言うと、葉梨は「不可抗力です」と言った。


「じゃ、しょうがないね」

「すみませんでした」


 仕事ではほぼ毎日一緒だが、こうして会うのは二ヶ月ぶりだ。会いたかった。明日の朝まで一緒にいられる。葉梨の匂いに包まれて、この瞬間が永遠に続けば良いと思った。


 ◇


「リンガータンクだとショートパンツが隠れる」

「良いと思いま……思う、よ」


 葉梨が私のマンションに来るのも、会うのも四回目だ。

 仕事では先輩後輩だからもちろん葉梨は敬語で話すが、プライベートではまだ敬語で話してしまう時がある。葉梨は私と二人きりで、なんとなくイイ雰囲気になった時は私の名を呼び捨てにするが、それ以外は仕事の時と変わらない。慣れないのだろう。


 葉梨を一人掛けソファに座らせて、私が葉梨の足の間に立ってリンガータンクの裾を上げたり下げたりしていると、葉梨の腕が伸びて来た。

 私を左脚に乗せて、左腕を腰に回し、右手は私の左脚に置いた。


「……したい?」

「は……うん、したい。奈緒は?」

「したいよ」


 腰を抱く腕に力を込めて私を引き寄せた葉梨は、軽くキスをして、首すじに唇を這わせて、左脚に置いた手をショートパンツに動かした。


 葉梨の指先が右脚の内腿をなぞる。そのままショートパンツの裾に指先を入れてショーツに触れた葉梨は何かに気づき、私の目を見た。


「……今日、も?」


 私は頷いた。

 葉梨は私の背中に腕を回して強く抱いた。


 ――タイミングが良いのか悪いのか。


 三回連続でおあずけが分かった前回、私は「ヤリたいだろうけど私は出来ないから帰る?」と言ったら葉梨にものすごく怒られたのだが、四回目の今日も出来ない。


 私たちはまだ一度も体を重ねていない。

 おそらく葉梨は、私がベビードールを着てビデオ通話したあの日、無理矢理にでも私のマンションへ行けば良かったと思っているだろう。マッチョしかいないジム行きはゴネれば良かった、と。

 葉梨は私を抱き締めながら、小さい声で「うーん」と言っている。可哀想に。

 私は葉梨の首筋に唇を這わせた。葉梨の汗ばむ肌の匂いと少しだけ香る香水に、私も我慢が出来なくなった。


「葉梨、あの、今日もさ、いい?」

「えっ、ああ、は……うん」

「ありがとう」


 私は葉梨のネクタイに手を伸ばして、外した。それからワイシャツのボタンを外して、ワイシャツをスラックスから引き出して、インナーをたくし上げた。

 葉梨は私を真っ直ぐに見つめている。

 私は葉梨の胸に手を置いて、心臓の音を確かめてみた。トクントクンと少し早いリズムを刻む葉梨の鼓動を感じると、心が落ち着く。

 そして手のひらで葉梨を感じながら耳元で囁いた。


っぱい」


 葉梨の鍛えた見事な大胸筋は、世界で一番カッコいいっぱいだと私は思っている。


「葉梨のっぱい、好きだよ」

「は……うん、ありがとう……」


 一人の女だけを夢中にさせる男は、いい男――。


 私はもう、葉梨のっぱいに夢中だ。

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