魔王はバグに冒されて

コール・キャット/Call-Cat

魔王はバグに冒されて


‐1‐

「――これで終わりだ、魔王!」

 どこか陰鬱とした、息詰まるような重苦しさすら感じる城内に凛とした声が響き渡る。

 そしてその声に劣らぬ研ぎ澄まされた一閃が、遂にこの城の主を捉えた。

「ぐ、ぉぉおおお――!」

 銀色の髪に血のように赤い瞳。この城の主は苦悶に満ちたその表情にされど己の敗北を認める気配はなく。獣の如き獰猛な笑みを浮かべると予言めいた言葉を仄めかした。

「決して忘れるな。例え私が滅びても、第二・第三の私がいずれ現れるだろう!」

「なら、その悉くをわたしは止めてみせる!」

 男の言葉に負けじと吼え返すは凛とした女の声。その手に握りしめられた聖剣が一際強く輝くと、男の体は光の粒子と散った。

 ――かくして、魔王の支配によって暗黒に満ちた世界は、終わりエンディングを迎えた……――




‐2‐

「――……まったく、本当に反省してるのかな、君は?」

 光に満ちた城内。そこには汗に濡れた額を拭う金髪碧眼の少女と、そんな少女から説教を受ける銀髪赤目の魔王というなんともシュールな姿があった。

「してるしてる。もう二度と国中の猫を誘拐なんてしないって」

「そう言って前回は国中の犬を誘拐してたよね? 次はなに、伝書鳩でも攫う気?」

「なるほど鳩か。でも誘拐するのに苦労しそうだな」

「魔王!」

「あー、はいはい。本当に反省してますしておりますしてました。今度悪事を働く時は国中のケーキを盗むことにしますー」

「何故盗むこと自体をやめないのさ?」

 全く反省の色が見られない魔王に少女のこめかみがピクピクと痙攣する。さらには聖剣を握る手が細かく震えてる様子からして、彼女がいつまたその剣を抜いてもおかしくない程には怒っているのは明白。だというのに全く警戒する様子がない魔王に今まで沈黙を保っていた第三者が口を挟んだ。

「何故ケーキなのです?」

「『ケーキがなければパンを食べればいいだろ』って一度言ってみたいんだよね。それに城の連中はケーキとか滅多にお目にかかれないだろ? 魔王からの褒美ってやつ? あ、お前もなんか食いたいもんがあるなら言えよ? 次の計画に使えるかもしれん」

「不肖ヴェロニカ、美食とされる物に関しては疎く――ではなく。勇者様の堪忍袋の緒がそろそろ切れそうなのですがよろしいのですか?」

「うん?」

 そう言われてようやく魔王は少女の様子に気付いたらしい。彼は額からだらだらと汗を垂れ流すと、わたわたと手をばたつかせながら必死に弁明を始めた。

「あ、いや! 本当に反省してる! 反省してるからそう怒るな! ほら良い子だからその聖剣しまおう? 聖剣はしまっちゃおうね? あ、だめ、人に切っ先を向けちゃいけませんって言われてるでしょいや言われてなくても倫理的にアウトでしょストップストップへい人類皆兄弟、ユウシャ・マイ・フレンド!」

「はぁ~~~~~~……」

 最早何を言っているのか訳が分からない。そう言わんばかりに大きなため息を吐くと少女は魔王の弁明の最中に引き抜いていた聖剣を再び鞘へと収めた。それでも柄に触れる手は決して離れる気配がないのだから、これ以上ふざけるような真似をすれば今度こそ少女は自分の首を斬り落としにかかるだろう。魔王は何も言わず、くるりと身を翻してツカツカと規則的な靴音を響かせながら玉座の間を去っていく少女の背を見送った。その少女は去り際にちらりとだけ振り返ると

「とにかく。下らないことで皆を巻き込まないで、魔王。付き合わされる勇者わたしの身にもなってよ」

 それだけ言い残して城を去っていった。それをしばしの間見送っていた魔王は、「はぁ~~~~~」と長い長い溜息を吐くと、どこか疲弊したように玉座にもたれかかりながら天を仰いだ。

「あぁ、尊い……」

 感極まった声音であった。どことなく、市井の者が熱狂的なまでにハマり込んでいる踊り子に対して向けるような熱すら感じる絶妙な気持ちわる──もとい畏敬の念が込められた呟きを聞こえなかったように振舞いながら、ヴェロニカは「また始まったか」と肩を竦めた。

「いや今日も凄かったな!? 見たか、あの剣筋! 一切の迷いも無駄もない洗練された技の冴え! 人間という存在が到達出来るその極地たるや! 技も技ならこんな薄暗い城の中でもキラキラ光る金髪とか、サファイアみたいに煌めく蒼い目とか、まるで腕利きの人形細工師が終生に作り上げた最高傑作とでも言わんばかりに白く透き通る華奢な体、そんなみてくれからはおおよそ想像も出来ない力強さとか! あぁ尊い……尊すぎる……てぇてぇ……」

「はいはい、そうでございますね」

「分かるか! さすが我が右腕と称されるだけはあるなヴェロニカよ! では早速相談なんだが、次はどのような悪事を働くべきだと思う!?」

「おや。反省されていたのでは?」

「それはそれ、これはこれ。そもそも私は魔王だぞ? 悪事を働かぬ魔王がどこにいる」

「なるほど、それは確かに。では近隣の村にドラゴンを送り込むのはどうでしょう。一晩もすれば焼け野原に出来るかと」

「やだよ悪者みたいじゃないか。勇者に嫌われたらどうしてくれるんだお前は」

「いや勇者に嫌われるのが魔王あなたの役目でしょう」

 魔王の横暴に過ぎる返答に頬をぴくぴくと痙攣させるヴェロニカ。しかしそんな側近にはお構いなしに魔王は玉座の上で頭を悩ませる。

「いやしかしだな、さすがにドラゴンを消しかけるのはやりすぎではなかろうか……無難にスライムとかを遣わせた方がよいのでは?」

「スライムに村を壊滅させるほどの力はありませんが? せいぜい粘っこく纏わりついては禁書館の蔵書が増える程度でしょう」

「ハッ! だめだ! だめだぞ、勇者を粘っこく攻めるなど私は許さんぞスライム! ええいやめだ! 直属の軍隊を差し向けるか!」

「では直ちに四天王に通達、部隊の準備を致しましょう」

「いや待て。差し向けるのはイーストウッドだけでいい」

「は? またですか。そろそろな悪事を働きになさってもよろしいかと思われますが」

「いや駄目だ。災禍の先駆けはイーストウッドだからこそ成り立つ。何故なら奴は――」

「──四天王の中で最弱、だからですか」

「そうだ。何事も楽しくあらねばつまらぬだろう?」

「と申されますがすでに我らが悪事も打ち砕かれて通算12度目。互いの実力差を差し引いてもレベルが違いすぎます」

「むぅ。ではせめてで妥協しよう。イーストウッドには此度の任務では手を抜かぬよう伝えよ」

「仰せの通りに」

 そう言ってヴェロニカは臣下の礼を取るや淀みない――どころか開放感に満ちた軽い足取りで玉座の間を後にするのであった。それを玉座より見送っていた魔王の目はすでにそう遠くない未来を見据えているのか、

「うむ、此度は魔王らしい悪事を働くことだし、勇者も呆れはせんだろう。ふふ、きっと勇者のやつも『君も魔王らしいことがちゃんと出来るんじゃないか』と多少は私の事を見直してくれることであろう。――っ?」

 くつくつと笑っていた魔王の顔から不意に表情が消える。その眼は何かを見咎めるように己の右腕を見つめていた。その手は何が起きているというのか、時折モザイクがかったように霞んでは何事もなかったように元の日常を取り繕っていた。

「……」

 ふと、魔王がその赤い瞳を閉ざした。閉ざし、長い長い息を吐きだし……何か意を決したようにその双眸を開く。

 ――その眼は、すでにそう遠くない未来結末を見据えているようだった。




‐3‐

 『猫誘拐事件』からしばらくしてのことである。

「――そこをぉぉぉぉおおお、どけぇぇぇええええ!」

 暗澹とした魔王城に勇者の怒号が響き渡る。いつになく昂ぶった様子の彼女にしかし、城の魔物達は怯んだ様子を見せない。どころかいつもならば何かを察したように道を開けていく魔物達はまるで血に飢えた獣のような執念で彼女に食い下がっていた。

「くっ、この!」

 忌々しそうに唸りながら聖剣を振り抜く。洗練された一撃に大口を開けて迫っていたオルトロスの上顎が宙を舞っては霞となって消える。

 だがどういったわけか魔物達は同胞の死などお構いなしに飛びかかってくる。本当に、今までにはなかった異常な様子にさすがの勇者も驚愕に目を見開く。

「うわ!?」

 圧倒的な物量による雪崩とも津波とも呼べそうな魔物の猛攻に勇者は力ずくでの突破は困難と判断するや軽い身のこなしで殺到する魔物達の群れから距離を取っていく。時に魔物の頭を、牙を、振るわれた武骨な得物を踏みつけ宙を駆けていく。そうしながらその口元はブツブツと何事かを呟く。

「そこを――開けろ!」

 詠唱を終えるやグッと握りしめた拳を魔物達の群れへと叩き込むように振り下ろす。すると見えない巨人の腕が落ちてきたかのような凄まじい衝撃音と共に勇者の行き先を埋め尽くしていた魔物の群れが次々に地面へ捻じ伏せられていく。

 頭上から叩き込まれた風の魔法に圧殺された魔物達の姿が黒い霧として解け、風に散ってゆく。そんな戦闘の余韻に浸ることもこの異常な有り様に逡巡する余裕もなく、勇者は魔王城の門を突き破る勢いで城内をその最奥へ向けて駆け抜けていく。目指すは魔王の玉座。そこにいるいつもふざけたことばかりしている魔王。

 自身に身体強化の魔法を施しながらさんざん見慣れた城内を進んでいく勇者。

 その青い眼はまるで地獄の炎を宿しているかのように怒りに満ちている。その怒りを叩きつけるように立ち塞がる魔物を次々に切り伏せながら進むこと数刻。魔王が待ち構えているであろう玉座の間は目と鼻の先。そう認識し、グッと聖剣を握る手に力を入れた、その直後だった。

「っ!?」

 鞭のようにしなる刃が足元の床を舐める。殺意こそは感じられないそれはしかし、怒りで我を失いかけていた勇者をその場に留まらせ、乱れかけていた心を落ち着かせるのには幾分か役に立ったようだ。勇者はゆっくりと振り返ると自分の行く手を阻むようにして佇む女へと言葉を放った。

「ヴェロニカさん、そこを退いてください」

「それは聞けぬ相談でございます。なにせわたくし達は貴女の敵、相容れる謂れはありません」

「なっ」

 にべもなく吐き捨てられた言葉にさすがの勇者も面食らったようだ。彼女は衝撃のあまり手から滑り落とすところだった聖剣を握り直すと蛇腹剣を手に一歩も退く気のないヴェロニカへと聞き返した。

「聞き間違えたかな? そこを通して」

「ではもう一度──いえ、何度でもお答えしましょう。それは出来ぬ相談だと」

「どうして――ッ!」

「くどい」

 ガキィイン!

 目にも留まらぬ速さで振り抜かれた蛇腹剣が聖剣を打ちすえる。見かけ以上のパワーに体を押される勇者へ、更に容赦ない一撃が襲い掛かる。

「あっぶな!」

 まるで意志を持っているかのように自在にしなり牙をむく蛇腹剣、その切っ先を風魔法で撃ち落とす。だがそれも次の瞬間には視界から消え、死角から喉笛を食い破らんと襲い掛かってくる。

「こっんの!」

 だが勇者も熟達した戦士である。その数瞬の内に態勢を立て直すと今度は真っ向から蛇腹剣の猛攻をいなしていった。

 そして幾度目かの応酬の果てに空隙が生じる。勇者はその空隙を射抜くように疾走、ヴェロニカを飛び越え最奥への突破を試みる。――が。

「させません!」

「っ!」

 まるでそれが狙いであったかのようにヴェロニカも動き出していた。彼女の対応力の速さから物の見事に誘い込まれていたことを悟った勇者は疾走の勢いを無理に殺そうとはせず、身を翻し遠心力を増す形で彼女へと回し蹴りを叩き込んでみせた。

「くぅう!?」

 身体強化による疾走からの回し蹴りの一撃はさすがのヴェロニカも予想外だったのだろう、彼女の体は軽々と吹き飛ぶと鈍い音をたてながら城壁に激突した。咳き込む音に血が床を濡らす音が続く。

「……ごめんなさい」

 小さな声で謝りながら勇者が門扉に手をかける――その直前、美しく磨き上げられた扉越しに白刃が煌めいた。

「ッ!」

 咄嗟に身を翻し迫る白刃を危うくも叩き落とす。しかし撃ち落された刃はその首を引っ込めるように下がっていったかと思いきや再び牙を剥いて襲い掛かってきた。

 その続く二撃目も打ち返す勇者に、荒い息を吐きながらもよろよろと起き上がってくるヴェロニカが口の端から血を垂らしながらほくそ笑んだ。

「な、舐められたものですね。トドメを刺さぬとは」

「さすがにそんなことは」

「出来ない、と申されますか。

「それは……」

 ここにきて初めて勇者の目に動揺の色が浮かんだ。ここまで駆け抜けてきた彼女の原動力、復讐心と言って差し支えない炎を宿したその瞳が。

「その真意を問うためにここまで来たのでしょう? その真意を糾すために駆けてきたのでしょう? であれば、我らは敵。討たれるべくして在る存在。そんなモノに温情をかけるとは――我らが矜持を愚弄するでない、小娘が!」

「ヅッ!?」

 神速。勇者のそれすら上回る蛇腹剣の牙が勇者の体を捉えた。しかし勇者の身を震わせたのはそんな刃の鋭さではなく、普段の彼女には見られない憤怒にこそ。

 震える勇者など露知らず、その顔に怒りの色を滲ませたヴェロニカが腕を一閃。彼女に寄り添うように蛇腹剣がとぐろを巻く。

「立ちなさい。立てぬと言うならば己が非力さを呪いながら死ぬがよい」

「は、はは。随分きっついこと言うね。魔王よりよっぽど魔王っぽいよ」

 ヴェロニカから向けられる言葉に勇者は聖剣を支えに向き合ってみせた。そんな彼女の姿をよくよく見てみれば弱々しい笑みを浮かべたその顔にも華奢な体にもいくつもの傷が見て取れた。事あるごとに魔王が褒め称えた白磁のような肌に混ざる赤を見たのはいつぶりであったろうか。ここへ至るまでのその道中が如何に過酷なものであったのかは、ヴェロニカですら想像に余る。

「本当に、だめ、なんだね?」

「無論」

 縋るような勇者の言葉にヴェロニカは吐き捨てるように答える。それを受けながらも勇者は「そっか……」と何かを悟ったように双眸を閉ざした。そして、その眼がゆっくりと開かれた後に宿るは決意の焔。

「じゃあ――本気で行かせてもらうからね」

「上等。それでこそ勇者というものです」

 直後、ヴェロニカが蛇腹剣を振るう。彼女の剣技はかの四天王をも凌ぐという。その技巧の極致が、今ここに織り成されんとしていた。

「さらばです、勇者」

 それは幾重にも張り巡らされた白刃の檻。勇者を取り囲むようにしなる蛇腹剣が瞬刻、鳥かごのように形を成したかと思った次の瞬間。それらはヴェロニカの言葉に導かれるようにしてその包囲網を急激に狭めていく。

 迫る白刃、逃れ得ぬその包囲網に勇者は――

「ごめん、ヴェロニカさん」

 ――その言葉はヴェロニカの遥か後方から。神速と呼ぶに相応しい身のこなしで迫る白刃の檻を脱した勇者は、最早後ろを振り返らない。そのまま最奥へと続く門扉を押し開けるとそのまま走り去っていった。

「……実に良き眼でした、勇者様。であればこそ、どうかあの方を――」

 その口元に笑みすら浮かべ、ヴェロニカは腕ごと切り裂かれた胸を見つめながらどこか満足げに散っていった。

 まるで、自分がこうして敗北することを望んでいたかのように。




‐4‐

「魔王!」

「くっくっくっ。ようやく来たか。待ちくたびれたぞ、勇者よ」

 玉座の間。聖剣を手に飛び込んできた勇者を、魔王ははるか高みに聳える玉座より見下ろしていた。その顔はまさに悪の親玉、魔物の王、悪魔の如き王――魔王と呼ぶに相応しい嗜虐的な笑みに歪んでいた。

「今回のこれは一体どういうことだ!? いくら君との戦いが終われば全部元通りになるからって、やっていいことと悪いことがあるでしょ!」

「下らないことで皆を巻き込むな、とはお前の言葉だったろう? 私はそれに従ったまで。どうだ? 実に魔王らしいだろう?」

「なっ──っにが、『らしい』だこの馬鹿!」

「ふむ。口うるさい勇者だ。お前との言葉の応酬には飽いた。我らの語らいはで十分。そうであろう?」

「っ! それは……」

魔剣これを抜くのも久しいものでな。そのせいか、此度の魔剣は血に飢えているようだ」

 そう言って魔王が掲げるは世界を滅ぼす魔剣。勇者の聖剣と対を成す業物であった。

 ――正気なのか、魔王。

 そんな言葉がつい口をついて出そうになるも、勇者は魔王に対を成す者としての矜持を以って辛うじて唾と共に飲み下した。そう、辛うじて。それほどまでに目の前にいる男には──いつもの軽薄にすら思える遊びが見えなかった。

 きっと、問うまでもなく彼は本気なのだろう。本気で、全てを壊そうとしている。

 なら、彼の言う通り自分達に言葉はいらないのだろう。

 ――何故なら彼らは勇者と魔王。正義と悪。決して相容れぬ存在なのだから。

「来い。最期まで私を愉しませてみろ」

「とにかく、今回ばかりはボッコボコにして反省させてやるから。覚悟しろ、魔王!」

 くつくつと笑う魔王に吐き捨て、勇者は短く唱えた身体強化の魔法で一息に玉座の魔王目掛けて真っすぐに距離を詰める。

 最短。最速。ただ一点、その心臓を貫くためだけに最適化された勇者の剣技、その極地たる一突きに──

「ボコボコに、か」

「っ!?」

 ──魔王はまるで騎士が祈りを捧げるような、剣を正中線に構えた状態から絶妙な力加減でその一撃を受け止めていた。

 必殺の一撃を呆気なく受け止められ、瞠目する勇者と魔王の距離はこれまでになく近く、どちらかが手を伸ばせば相手の頬に触れられるほど。

 だがそんなことは起こり得ない。これはじゃれあいではなく殺し合いであるが故に。

「笑わせる」

 その言葉と共に魔王が勇者を突き飛ばすように魔剣を振るう。身体能力を強化しているにもかかわらず、勇者の体は羽のような軽さで吹き飛び、壁面に叩きつけられた。

「ぐっ!」

 背中に迸る鈍い痛みに苦悶に喘ぐ勇者。だがその瞳は即座に魔王に向けられる。その青い瞳が捉えたのはその視界を埋め尽くすように迫る靴底。先程の勇者の一撃に対する意趣返しと言わんばかりの速度で距離を詰めてきた魔王の、頭蓋を砕かんとする一撃であった。

「うわ!?」

 間一髪、勇者は首を傾けることでその直撃をかわすことに成功するも、踏み抜かれた髪が痛みを感じることもないほどバッサリと切断されていく。

「……かわしたつもりか?」

「っ! 《  」

 魔王の言葉に新たな攻撃の予兆を察し、勇者が魔法を唱える。

 魔王を中心に膨大な焔が生まれるのと、勇者を守るように嵐が吹き荒れたのはほぼ同時だった。

 繭のように勇者を覆う風の結界は暴虐の炎を周囲へ吹き散らすことでその主を守り抜いてみせた。その代わりに風のあおりを受けた焔は玉座の間の至る場所にその爪痕を刻みつけていた。歪なまでにその一角だけが黒く焦げついた、爆心地と呼ぶべきそこに勇者と魔王が向き直る。

 吹き散らされた炎の残滓がそうさせたのか、揺らめく大気によって勇者の瞳に映る魔王の姿に一瞬ノイズじみた歪みが生じる。

(魔王?)

 その違和感に勇者が眉をしかめていると魔王は何かを訝るようにして表情に翳りを見せるものの、次の瞬間には獣のような笑みを浮かべてみせた。

「覚えているか勇者よ。私達が初めて出逢った時のことを」

「やけに突然だね? でもまぁ、あえて答えてやるなら覚えてるとも。忘れるもんか」

「だろうとも」

 動き出したのは同時。互いに相手の首を狙った一閃はまるで示し合わせたようにその刃を打ち合った。

 そこからさらに二度、三度と応酬を繰り広げる。互いに相手の手の内を理解しているからか、はたまた互いに相手を仕留めるに至る最適解を導き出しているからか、なんにせよ対極にあるはずの存在である二者はまるで舞踏のように戦地を舞った。

 時にそんな千日手な局面を切り崩さんと魔法を放つもそれすら互いの魔法がぶつかり合って相殺される始末である。

 そして、その魔法のぶつかり合いによって生じた煙に勇者は身を隠すようにして距離を詰め、剣を振るうも──拮抗。刃と刃が交じり合い、またもやお互いに触れられるほどの距離にまで近付く。

 なんとなく、魔王が初めて出逢った時のことを持ち出してきた理由が勇者にも分かったような気がした。

 一週目はじまり。まだ自分が『勇者』という自覚もない、ただの村娘だった時の悲劇の記憶。

 魔王軍の襲撃から命からがら逃げた先で聖剣を手に入れた。

 失ったモノを取り戻してエンディングを迎えてみせると心に決めて長い長い旅が始まった。

 その果てに辿り着いた終着点――玉座の間ラストステージ

 そこで相見えた『勇者わたし』に対する『魔王』。

 必死に戦って戦って戦い抜いた全ての始まり。

 あの時も確かに、自分達は今みたいにお互いの実力が拮抗する程だった。

 決して狙っていたわけではないが、この身に刻まれた経験があの日と同じような戦いを演じさせていたとでもいうのだろうか?

 あるいは……魔王にそう仕組まれていたのか?

 だが、それは何故?

「あの時私は確信したぞ、『あぁ、こいつとは相容れぬのだ』と」

「それはこっちの台詞!」

 殺し合いの最中でありながら、どこか懐かしむように言ってのける魔王に苛立ちを込めた蹴りの一発を見舞う。

「あの時のことを思い出して余計むかついてきた。つまりはあの時のことを繰り返してるってだけなんだね。なんでそんなことに思い至ったのかは分かんないけど、それは君をボコしてから問い詰めるから」

「くっくっくっ。言葉遣いだけは変わり果ててしまったなぁ。あの頃はいかにも生娘といった風情で愉快な言葉遣いだったというのに」

「いかにもってなんだ!? いかにもって!」

 人を小馬鹿にした態度に思わず声音を荒げながら、勇者は魔王の態勢を突き崩すように体を押し込んだ。押し込み、その一瞬で詠唱を終えた身体強化で後方へ飛び退りつつ、さらに詠唱を重ねる。

 前方の魔王を真っすぐに見据えつつ、両手を叩くようにして打ち合わせる。その動きに倣うように壁のように圧縮された空気の塊が左右から魔王の体を叩き潰す。

 ここへ来る道中で魔物の群れにも使われた、大気を操る魔法を。

 その一撃はさすがの魔王も予測していなかったのか、魔剣をまるで杖のようにしてふらつく体を支えながら、この最大の好機を逃さないであろう勇者への対策を施す。

「地よ!」

 その一言で自身と勇者の間に広がる床が無数の杭へと変じていく。さしもの勇者も距離を詰めるために疾走しているのであれば突如として生み出された杭を避けれようはずもなく、その華奢な体を投じて──などいなかった。

 そこにあるだろう勇者の骸が見当たらないことに気付き、魔王はただ直感的に、あの少女ならそうするであろうという確信を以って頭上を見上げた。

「上か!」

「ご名答!」

 見上げた先、そこには聖剣を両手に掲げた勇者が弾丸の如き勢いで魔王へと迫っていた。

 自由落下による速さだけじゃない、間違いなく魔法による補助を受けたその速度にさすがの魔王も一手が間に合わなかった。

「くっ!」

 咄嗟に掲げた魔剣が押し負ける。ミシミシと骨が軋み悲鳴を上げるのを魔王としての矜持で気にも留めずに反撃を試みる。

 だがそうして生み出した杭の一撃を勇者はひらりと飛んで躱すとその先端へ華麗に着地。

 そしてその杭の根本へ──未だ態勢を立て直せていない魔王へと駆ける。

「魔王──ッ!」

「──ッ!」

 衝撃。魔王の胸に飛び込んだ勇者の聖剣はここに至り魔王の身を深く深く貫いていた。

 そして、それで決着がついたことを証明するように、魔王の手から魔剣が滑り落ちる。

「ふっ、ふふ。見事。見事なり、勇者よ」

 ごふっと口の端から血を流しながら魔王が勝者を褒め称える。

 そして褒め称えられた側、勇者は魔王の胸に顔を埋めるようにして何も応えない。

 全てが決した以上、自分が語るべき言葉はないと言わんばかりに、彼女は魔王の負け口上に耳を傾けていた。

「あぁ、本当に。本当に見事の一言に尽きる。

「え?」

 しかし魔王の口から紡がれたのは幾度となく聞いてきたものとは異なっていた。

 それ故に勇者は自分の聞き間違いかと彼の顔を見上げる。

「魔、王? 今、なんって?」

 見上げた先、そこにはどこか満ち足りたように微笑む魔王の顔があった。それが余計に勇者を混乱させる。

「おい、いつもの台詞はどうした? いつもはそんな湿っぽいことなんて言わなかっただろう」

 何故、彼はお決まりとなっている言葉を口にしないのか?

 あの、憎ったらしい表情を何故浮かべない?

 何故。何故、

『──例え私が滅びても、第二・第三の私がいずれ現れるだろう──』

 あの台詞とは程遠い、今生の別れを思わせることを言うんだ?

 それじゃ、まるで──

「何を驚いている、勇者よ」

「な、なにがおかしいんだよ」

 そんな勇者の様子に彼女の胸の内を察したのか、魔王はくっくっと笑い出した。

 それがなんだかいつものバカばかりやっている、見慣れた魔王のように感じられて勇者も思わず頬を膨らませて抗議の声を上げた。

 それだけで今までの殺伐とした空気が一気に霧散していく。

 そのことを魔王も感じているようで、魔王は真っすぐに勇者の顔を見返すとその笑みをより深くしていく。

「いやいや。お前みたいな女でもそんな呆けた顔をするのだなと思ってな。とことん、お前は私を愉しませてくれる」

「はぁ!? なにそれ!? ふざけてる!? っていうか、まだ今回の件許してないんだからな! なんかずっとおかしかったけど、なんか悪い物でも食べたわけ? いつものお決まりの台詞だって忘れてるし。あの憎たらしい捨て台詞はどうしたのさ?」

「捨て台詞、なぁ……まぁ、なんというか……」

 ちらり。魔王の視線が先ほどまで魔剣を握りしめていた右手へと向けられるのに気付いて勇者もつられるように彼の右腕へ視線を向ける。

 そこにはヂリヂリと炎に炙られた羊皮紙のように消えていく魔王の右腕があった。

「っ!? ちょっ、なんだそれ!? ――ってうわ!?」

 たまらず彼を突き飛ばしてしまった勇者の表情がさらに驚愕の色に染まる。突き飛ばされた魔王はモザイクがかった半顔を気にも留めず、へらへらと笑いながら頬を掻く。

「見ての通り、バグだよ。いや私もこうして見る――体感? するのは初めてなんだがな」

「ば、バッ、バグ? それって、あの、バグ?」

「そう、そのバグだ」

 ――バグ。

 それは全てを取り戻せばエンディングを迎えれば何もかもが元通りになるこの世界において、唯一絶対の死を意味する事象である。

 曰く、己の『役目』を果たせなくなる病魔の類。

 曰く、それは何者にも治せぬ不死の病。

 曰く、バグに冒された者はこの世界に在ったのだという痕跡を残すこともなく消滅する。

 つまり、彼は――『魔王』として振る舞えない状態にあるということで――

「でも、そんな、一体なんで――」

「お前を愛してしまったからだろうな」

 キッパリと。魔王は真剣そのものの表情でそんなことを言ってのけた。

 そこにはいつものふざけた気配はなく、つい今しがたお互いに命を奪いあっていた時以上の迫力があった。

 だからこそ、その言葉を勇者は信じられなかった。

「そんな、バカな。だって、今回の魔王は今まで以上に『魔王』だったじゃないか……あんな、こっちを本気で殺すつもりできといて、なんで、そんな」

「そこを問うか。答えてやるのも悪くはないが、あいにく私も長くはないらしい。詳細は我が右腕に問いたまえ。では、勇者よ――」

 魔王が何かを悟ったように笑みを浮かべる。それは今までにないほどに晴れやかで――だからこそ不吉な予感しか抱かせない。

「待っ――」

 手を伸ばす。今まで敵に向かって伸ばしたことのない、守るべきもの、失いたくないもの──かけがえのない大切なものに伸ばし続けてきたその腕を。

 だが勇者の咄嗟の行動も虚しく、その手は空を切る。

 魔王は光の粒子となって散り、後には虚空に向かって滑稽なほどに手を伸ばした姿の勇者だけが残された。やがてその伸ばした手も力なく、ゆらりと垂れ下がる。手だけでなく、足からも力が抜け膝が折れ、その頭すらやるせなさに項垂れる。

「――もう、逝かれましたか」

「……ヴェロニカさん」

 背後からかけられた声に力なくその名を口にする。わざわざ問うまでもないほど顔なじみになってしまった、つい今しがた死闘を繰り広げたばかりの魔王の右腕の名を。

 そしてその名を呼ばれたヴェロニカは既に亡き主君を想うように静々と佇んでいた。その声音に隠しきれない哀憫の色だけがその静かな佇まいとは対照的に熱を孕んでいた。

「ねぇ。どういうこと? 魔王が、わたしのことをす……バグに冒されてたなんて。だって、今まで見たことないぐらい立派に『魔王』だったじゃんか。腹立つぐらいに、『魔王』だったじゃん」

「最期故に、ですよ」

 そう言ってヴェロニカは事の顛末を語る。

 先の『猫誘拐事件』の後、魔王は自らがバグに冒されていること、そしてその命がもう長くはないだろうことを配下の魔物達に告白したこと。

 バグに冒されたのは勇者を愛してしまったからであること。

 だからこそ最期は愛する勇者の手で迎えたいこと。

 どうせなら、勇者と本気で戦って終わりたいと願ったこと。

 そう告げた魔王に魔物達は誰も彼もが協力を惜しまなかったこと。

 それもすべては――


『叶うなら。私が恋に落ち、愛に病んだあの日にもう一度戻りたい』


 ――勇者を愛するがため。

「なんだよそれ。バッカみたい」

 全てを聞かされ、まず最初に出た言葉はぶつけるべき相手のいない罵倒だった。

 勇者に恋をした?

 しかも、初めてわたし達が戦った時から?

 だから、最後は恋に落ちたあの日のように命懸けで戦って死にたい。

 そんなことのためにわざとわたしを激怒させるほどの悪逆の限りを尽くしてまで。

 そして自分だけが何も知らずに戦って、戦って、戦って。

 そして――


『お前を愛してしまったからだろうな』


 魔王が最後に見せた笑顔が脳裏を過ぎる。あの屈託のない笑顔。あれは間違いなく本心からのものだったのだろう。後悔なんてなかった顔だ。

 でも、そんな。本当にそれで後悔はなかったのか?

 だって、自分はまだ、向けられた言葉に答えを返していないのに。

 なのに、勝手にこの世界から居なくなって。

 いずれ忘れられる存在として、去っていくなんて。

「例え『私』が滅びても……」

 不意に聞き慣れた言葉が自分の口から零れだす。

 あぁ、そうだ。わたしはまだ答えてすらいない。

 ゆらり、と勇者が立ち上がる。そこに快活な少女の姿はなく、その瞳はどこか遠い場所を見つめているようだった。

 その口から、まるで誰かに誓いを立てるように朗々と言葉が溢れ出してくる。

「第二・第三の『わたし』がいずれ現れるだろう……」

 その瞳に、その声音に、その姿に。かつて『勇者』と呼ばれた少女の面影はなく。

 ただそこには――

「ヴェロニカ」

「……なんでしょう、

 ヴェロニカも彼女の意志を、彼女の『応え』を察したのだろう、恭しく頭を垂れると次の言葉を待った。

 きっと、ここには見えぬ城内のいたる場所でも、何かを感じ取った魔物達が頭を垂れていることだろう。

 そして、彼女は――『勇者』と謳われた少女は告げる。

 世界の終わりを。

 新たな始まりを。


「この世界に『魔王』有り。この世界に忘れられぬ悪逆の限りを刻むとしよう。いつまでも、いつまでも。──いつまでも!」


 かくして。

 かくして、ここに新たな『魔王』が誕生した。

 その頬を伝う涙をもうこの世にはいない魔王への手向けとして。


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