たのしいじかん
何はともあれ、身体を清めた二人はマルクスに連れられて森の入口へとやってきた。目の前まで辿り着いても、鬱蒼と茂る暗い森の中の様子は一切分からなかった。
「見えないね……」
メビウスは目を凝らすが、三本目の木の辺りから認識できない。明らかに異常な場所だった。最初に迂回しておいて良かったと今更ながらメビウスは過去の己を褒めた。
「うん。それに広いから、今から入ると出る前に夜になると思う。と、いう訳で少し戻って、野宿をしようと思いまーす。いえーい!」
マルクスは軽快な足取りで最初に彼らが出会ったような虚のある大木の下へと二人を導いた。到着した頃に丁度日も沈み始めていた。彼女の完璧な計算にメビウスは舌を巻く。
「すごいね、計算得意なんだ」
「計算?よくわかんないけど自然に分かるよ」
「メビウスはわからないの?」
「う……分からない」
ステラもマルクスも、長年の生活で培われた直感を基に行動しているという点では似た者同士だった。
ステラは周囲に落ちている枝を集めて焚火の準備を始める。それを見たメビウスも馬に持たせた荷物の中から火打ち石を取り出し、落ち葉を集める。
「えーこの話もう終わりー?」
マルクスは不服そうに頬を膨らませながらも他の食材を求めて周囲を探索し始めた。
「このキノコ、食べられるよ。二つしかないからステラとメビウスの分ね」
二本の毒々しい色を帯びたキノコが魚の横に置かれた直後、ステラはそれを撥ね退けた。
「ステラ、野菜も食べなきゃダメだよ」
「食べない」
ステラは頑としてこのキノコを食べることを拒否するようだった。これも彼女が育ってきた生活環境のせいなのかと二人のやりとりを横目にメビウスは思う。
火を焚き、魚とキノコを焼いて、暖を取る三人。だが、ステラはメビウスの隣に陣取って離れようとしなかった。
「うーん。なんか物足りないなぁ……」
量なのか、質なのか、メビウスには今晩の食事はどうにも頼りなく思えた。
「これ掛けると味付くよ~!」
マルクスは懐から何かを砕いた粉末の入った小瓶を取り出し、魚に振りかけると、もしゃもしゃと頬張った。
ちなみに、ステラは素のまま頬張っている。
「メビウスも要る?」
「せっかくなら貰おうかな」
摩訶不思議な粉は魚の味に絶妙なアクセントを与え、メビウスの舌を唸らせる。旅先で美味不美味様々な料理を味わってきた彼としては自分の舌にはそれなりの自信があったのだが。
「すごい、おいしい……」
自然と口から言葉が零れていた。まさか材料に火を通しただけの食事に好評価を付けることになるとは。彼は自身の見識の狭さを罵った。
「でしょでしょー?」
マルクスは自慢げにむふー、と鼻を鳴らす。
子供らしい彼女の仕草にメビウスは自然と微笑みを漏らしていた。
彼は我が家に置いて来た二つ下の妹を思い出す。彼女も笑う時にはよく白い歯を見せたものだった。
「このキノコにも合うんだよー」
マルクスはサラサラと粉を掛けたキノコをメビウスへと差し出す。彼がステラの方へ目配せすると、彼女はいつものように黙ってこちらをジッと見ていた。
「ステラ、美味しそうだよ。食べない?」
ステラはぶんぶんと首を横に振る。
ここまでの旅の途中、幾度となく彼女は野草を勧めるメビウスの誘いを断って来た。
今回もその類だろうと思ったメビウスだが、彼女の傍らには小さな果実が数個置かれていた。
「好き嫌いはダメだよー」
「嫌。食べない」
どうもステラとマルクスは馬が合わないようだ。生まれ育った環境は同じように思えるのだが。
「そういえば、さ。僕らはまだマルクスのこと何も聞いてないよね。どうしてマルクスはここに一人で居るの?」
キノコを食べ終わったメビウスは、布で口を拭き、食事の後片付けを始めた。マルクスもその横で彼を手伝う。並んでみると、二人の雰囲気はまさしく兄弟のようだった。
「私?私は元々普通の……ううん、メビウスみたいな鎧を着た人達がいっぱい居るような家に住んでたんだ。でも、お父さんがサン・アルバートっていう偉い人を怒らせちゃったせいで家に居られなくなって……」
サン・アルバートの名を聞いて、メビウスの顔は一瞬で深刻なものに変わる。ステラも身を前に乗り出していた。
「話して」
「えっ、どうして……」
ステラはマルクスの手を掴んだ。
「話して。嘘なら、許さない」
真剣な表情のステラにマルクスは戸惑う。雑談程度に話し始めた昔話が、まさかここまで彼女の興味を引くとは思ってもみなかった。
「お父さんは国の事を決める会議みたいなものに出てたんだ。でも、サンって人が一番上に立ってから配置が変わったらしくて、お父さんもお母さんも忙しくなって……」
「一番、上……」
ぽつりと呟いたステラにメビウスはゴクリと唾を飲み込んだ。
サン・アルバートの正体は、現国の王。
それを知ったステラは今にも飛び出して行くかと思いきや、意外にも座ったまま、マルクスの話を聞き続けていた。
「私はしばらくおばあちゃんのところに預けられることになって、あの森の中を馬車で通ってたんだ。だけど、この平野に出た時に馬車が怖い人達に襲われて……」
そこから先は言葉を濁していた。きっと聞いてはいけない領域なのだろうとメビウスもステラも触れなかった。
「両親は探しに来てくれないの?連絡が無いなら探しに来てくれてもいいんじゃ……」
「そう、だよね……」
がっくりと項垂れるマルクスを見てメビウスはしまったと口を押さえる。
「まだ、遅くない」
口を滑らせた彼をフォローするように口を挟んだのはステラだった。
「探しに行けばいい。私も、お母さんを探してるから」
え……と、マルクスの動きが止まる。メビウスも心底驚いていた。彼女の母親が生きているとは到底思えなかったからだ。
「ステラはどうしてお母さんと離れちゃったの?」
「……色々あった」
かなり大雑把だった。だが、メビウスは彼女の瞳に籠った熱を見る。サン・アルバートに会う事と彼女の母親を見つけることには何か関係があるのだろうか。
「うん、色々あるよね。色々……」
炎に照らされるマルクスの顔には陰りが差していた。自分には到底分かりようが無い、とメビウスも理解っていた。
それでも他人に話すことで心が軽くなることを彼は知っていた。
「メビウスはどうなの?」
「えっ僕?」
マルクスに突然話を振られ、メビウスは情けない声を上げる。彼は自身の思う所、彼女ら二人のような深い業を背負っている訳ではなかった。
「メビウスのお母さんは、どんな人だった?」
二度も失言をするわけにはいかない。メビウスは火に温められながら、慎重に言葉を選んで話す。
「二人を僕の家に招待するよ。ここで話すより、見た方がきっと早いと思うよ」
この不幸な少女達を少しでも幸せにしてあげようと、メビウスは必死だった。メビウスの魅力的な提案にマルクスは目を輝かせる。
「メビウスの家に?いいの?」
「うん、それくらいしか僕には出来ないから。だから、僕達と一緒に来てくれないかな?」
この誘いはマルクスにとって救いの手としか言いようがなかった。だが、何故か彼女の表情は晴れなかった。
「ステラもいいよね?」
うん、うんとステラも頷く。当初の頃のような警戒心は最早取り除かれているようだった。温かい声を受けたマルクスの頬を涙が伝った。
「二人とも、ありがとう……!」
涙を袖で拭きながら、マルクスは照れ隠しのようにえへへと笑う。今夜は、それ以上は誰も何も求めなかった。
「ステラは木の上で寝るの?」
「……落ち着くから」
ステラはひょいひょいと猿のように木の上に登っていく。そして落ち着ける適当な場所を見つけるとそこに丸まった。まさしく猫のようだった。見ていると思わず微笑みが漏れてしまう。
「……マルクス」
背を向けたまま、ステラはマルクスを呼び止める。寝るために木の肌を整えていたマルクスは顔を上げる。
「なに?」
「おやすみ」
「……うん?どうしたの?」
マルクスの疑問にステラは答えなかった。
「(僕には言ってくれないのか……)」
メビウスはちょっぴりいじけながら、不思議な眠りに誘われて、意識を揺らがせていった。
しかして、夜がやってくる。
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