父親

はるより

本文

 三十になったフォルクマー・ハウンドはその日、『次のハウンド』となる子供を探すために東部暗黒街イーストエンドを訪れていた。

 この地に足を踏み入れるのは、十五年前に育ての父に拾われたあの時以来である。


 手癖が悪く喧嘩っ早い少年だったフォルクマーは自身を顧みて、当時に比べれば随分と丸くなったものだと、しみじみ思う。


 養父であった『先代ハウンド』は、病で三年前に亡くなっていた。

 落ち着きもなく暴れ回るフォルクマーに手綱をつけた彼は、元は東部暗黒街に生きていた者とは思えない程に聡明で、また虚弱な人間であった。

 それ故にというべきなのかは分からないが、衛兵というよりは学者気質であった彼を、フォルクマーは十八の頃に打ち倒してしまったのである。

 気は合わないが嫌いではない養父の面子を潰してしまったのでは、と当時は心苦しく思っていたが、フォルクマーが正式に霧の女王の居室前警備兵として配備される事になった日に、彼から心底安心したという声で『肩の荷が降りた』と告げられたことをよく覚えている。

 若いフォルクマーは「この親父はそんなに早く仕事を辞めたかったのか」と少々呆れたものだったが……今は彼が、家名により担わざるを得なかった大役に自身の力量が見合っていない事を、とても心苦しく感じていたのだと理解していた。


 そんな彼はある日、心の臓を蝕む病で倒れてしまった。

 治療法の確立されていなかったその病は、瞬く間に養父から正気を奪っていった。

 最後には骨と薄皮一枚になってしまった彼を見て普段は少々の事があろうとも、大抵はあっけらかんとしているフォルクマーも珍しく悲嘆に暮れたものだ。


「陛下の手が届かぬところは、お前が守りなさい。」


 最後にそう言い残して逝ってしまった養父は、女王の忠臣であるハウンドに名を連ねた彼らしくはあったのだと思う。


「陛下の手が届かぬところ、ねぇ」


 と言っても、自分の基本的な仕事は宮殿の中にある女王の居室前の警備だ。

 遠く離れるわけにはいかない以上、そんな大層なことが出来るとも思えない。


 フォルクマーはスキンヘッドにした頭をガリガリと掻きながら、ゴミの放置された路地を歩く。

 薄暗く狭い通りには、当然のように浮浪者や孤児が力無く足を放り出して座っていた。


 そんな子供達を、フォルクマーは品定めするように眺めて回った。

 皆痩せっぽちで、希望などどこにも無いと言わんばかりの昏い目をしている。

 この辺りに住んでいた頃の自分はもう少し元気があったものだが。

 どいつもこいつも、剣の訓練の前に気力と栄養を付けてやらなきゃなぁ、などと考えながら歩いた。


「……ん?」


 ふと路地の隅に放置された新聞紙の束の上に、何か布の塊のようなものが乗せられているのが目に入った。

 布はさほど汚れておらず、比較的新しい物のようだ。少なくとも、長い間雨ざらしになっていた様子はない。

 明らかに周りの風景からは浮いているそれに、ふと興味を惹かれたフォルクマーは、布を一枚捲ってみる。


「ぬぉぉ!?」


 中から現れたものに驚き、フォルクマーは背中が路地の壁にぶつかるまで後ずさった。

 薄布の下に隠されていたのは、まだ産まれて間もないであろう赤ん坊の顔であった。

 フォルクマーは少しの間、そのまま呆然としていたが……先ほど目にしたものをもう一度確かめる為に、恐る恐る赤ん坊の元へと戻る。


 頭に生えたポヤポヤの産毛。

 まだろくに開いてもいない眼と、ふくふくとした頬。

 フォルクマーは目を瞬かせて赤ん坊を見つめていた。


「お前、母ちゃんは……って喋れるわけねぇよなぁ……。」


 周りを見渡してみるが、人の気配はない。

 表の通りからも目がつかない場所であり、その赤ん坊が捨てられた子供である、というのは誰の目から見ても明白であった。


 フォルクマーはもう一度赤ん坊を見る。

 赤ん坊は泣きもせずその場に寝かされており、時折もにゅもにゅと小さな口が動いていた。

 弱々しいそれは、その辺の野良猫にでも見つかれば、そのまま食い殺されてしまいそうに思えた。


「……。いやいやいや……。」


 フォルクマーは頭を抱える。

 どう考えても目の前の『これ』は新生児だ。

 まともに動けるようになるまで、あと十五年はかかるだろう。

 そんなに長い間、子供の面倒を見ながら仕事をしていられるか?

 自分への問いかけに返ってきた心の声は、N Oであった。


「悪ぃな、小僧。自分が探してるのは即戦力になりそうなヤツなんだ。」


 ぶわっと湧き上がってきた罪悪感を何とか抑えつけ、フォルクマーは赤ん坊に背を向けた。

 そもそも、自分は子育てを続けられるようなタマじゃない。

 連れて帰るべきなのは、ちょうどよく手がかからず、戦いに飢えていて、フォルクマーの寝首を掻かんと常日頃から狙ってくるようなハングリー精神の強いガキンチョだ。


 そう自身に言い聞かせるフォルクマー。

 しかし彼がその場から立ち去ろうとするタイミングを見計らったかのように、赤ん坊の「ほにゃ、ほにゃあ」というか細い泣き声が聞こえてくる。


「ぐ、ぐぅぅ〜〜……!!」


 ギリギリと奥歯を噛み締めるフォルクマー。

 怒っているわけでもないのに、そのこめかみには青筋が浮いていた。


 *****


 いつも通り、持ち場について警備を行うフォルクマー。

 いつも通りの強面で、いつも通りの輝くスキンヘッドである。

 しかしそんな彼の前を過ぎる人々は、皆一様に彼のことを二度見三度見して行くのであった。


 何を隠そう、彼は今抱っこ紐をしたまま女王の居室前に佇んでいる。

 キリッと口を結んだ男の胸元には、すやすやと安らかな眠りに落ちる赤ん坊の姿があった。


「な〜〜んで連れて帰っちまうんだ、俺は!!!」


 時折、発作のように頭を抱えて呻くフォルクマー。

 結構な声のボリュームだったが、赤ん坊は余程眠りが深いのか、それとも肝が据わっているのか、起きる様子はない。


 本当はこの赤ん坊は孤児院にでも預けて、再び別の孤児を物色しに行くつもりであった。

 しかし新生児、それも東部暗黒街に棄てられていた子供を引き取ってくれる孤児院は見つからなかったのだ。

 世の中というのは世知辛いものらしく、何処の施設も今いる子供たちの面倒を見るので精一杯らしい。


 確かにそんなに易々と引き取り手が見つかるのであればスラムに子供が溢れることはないわな、とフォルクマーは納得した。

 納得はしてしまったのだが……腕の中の赤ん坊がそれで消えてなくなるわけではない。

 一度拾ってしまった以上、まさかもう一度捨てに行くわけにもいかず……こうして、フォルクマー自身が面倒を見る事になってしまったのであった。


 しかし、良くも悪くもハウンド家のフォルクマーは宮廷でも有名人であり、その彼が赤ん坊を拾ってきたという噂は瞬く間に広まったらしい。

 ひょうきん者のフォルクマーは、侍女や他の騎士たちとも広く交流を持っていた為、さまざまな人間が様子を見にきてくれた。

 子育てに関して全く知識のなかったフォルクマーだったが、周りの人々の助けを借りてなんとか赤ん坊の面倒を見ることが出来ていた。


 やがてフォルクマーは赤ん坊に、良き女王の守護者となるように、と願いを込めた『ヴィリアム』という名を与える。

 ヴィリアムは出来すぎた赤ん坊で、夜泣きもせず、腹が減った時とおしめが汚れた時以外は黙ってフォルクマーに抱かれたまま眠っていた。


「お前、赤ん坊の頃から職場見学なんぞしてるんだから、将来しっかりした騎士になれよ?」


 フォルクマーは、いつも通り平穏に時間が流れる中で、赤ん坊の鼻先を指でくすぐりながらそんなふうに言葉をかける。

 赤ん坊は養父の声を聞いているのかいないのか、小さくくしゃみをしていた。


「ハウンド殿」

「……うん?ああ。これはこれは、一番隊隊長殿。ご機嫌麗しゅう。」


 フォルクマーが顔を上げると目の前に佇んでいたのは、大柄な彼が見上げるほどの長身を持つ男であった。

 宮廷騎士団の甲冑に身を包んでおり、胸元には霧の女王の紋章があしらわれたバッヂを付けている。


「他人行儀はやめてください、いつも通りの砕けた言葉遣いで大丈夫ですから。」

「お、そうか。ならそうさせて貰おう。」

「相変わらず、実直な人だ。」


 男は途端に表情を崩すフォルクマーを見て、可笑しそうに笑った。

 研がれた鉄のような燻んだ銀髪に、蕩けるような蜂蜜色の瞳。

 彼はキール=クラノフ。この霧の都を守る宮廷騎士団の、一番隊隊長を務める若き武人だ。

 クラノフは代々宮廷騎士団に所属する正当な騎士の一族として名高いが、若干二十五歳の若さで隊長の座に着いたのは、少なくともこの数百年間では異例の事態だと言われている。


「それで、この子が噂の……。」

「ああ。名はヴィリアム。ヴィルって呼んでやってくれ」

「ヴィリアム。良い名だ。」


 キールはガントレットをしたままの指でそっとヴィルの頬を撫でる。

 ヴィルは鉄の冷たさにびっくりしたように目を見開いて、小さく身震いした。


「この子も、いずれはハウンドの騎士として陛下に仕えるようになるかと思うと、少し感慨深いものがありますね。」

「そうだな……だが、それ以上に思うこともある。」

「何か?」

「自分はこいつの意思を確認せずに連れて来ちまった。自分も親父も、多分これまでのハウンドは全員……自らの意思で陛下に忠誠を誓ったっていうのに。」


 例えば、物心ついた時にこの子供が夢抱いたとする。

 しかしフォルクマーに拾われたという過去が存在する以上、その夢を自身のものにすることはできない。

 ハウンドの名を背負った者は女王を守る剣として生き、盾となり死ぬ。それがこの一族に伝わる定めであった。

 だからフォルクマーがヴィリアムを拾ったというのは、ある意味では赤ん坊の未来を奪ったという事にもなる。


「そうですね。しかし現実的に考えて、あのスラムに棄てられた赤ん坊が、親もなく育つとは思えません。餓死するか、臓器の売人に売り捌かれるか……きっと貴方が拾わなかった場合の未来は、そんな所だったでしょう。」

「それは分かってる。けどよ……。」

「何にしろ、赤ん坊は放っておいて勝手に育つというものではない。ヴィリアムには、ハウンド殿が必要だ。」


 キールはそう言って、赤ん坊のブルーグレーの瞳を覗き込んだ。

 どこまでも澄み渡り、この都を満たす清廉なる霧を思わせるような、きらきらと輝く瞳だった。


「貴方にもこの子にも、助けになってくれる人は沢山いる。だからきっと、大丈夫です。」

「痛み入るぜ」


 そう言って微笑むキールに、フォルクマーは有り難く思いながら、口の端を上げて返してみせた。


「ところで、陛下がハウンド殿に御用事の様子ですが。」

「ちょっ……しー!言わなくて良いですから!」


 背後から聞こえてきた少女の声に、フォルクマーは振り返る。

 見ると、薄く開いた扉の隙間から、よく見知った顔が覗いていた。

 このあどけない少女のような彼女こそ、フォルクマーが忠誠を誓った女王である。


「陛下、お仕事中では?」

「今さっき、一息ついたところです。」


 そう言った女王の視線は、ヴィルに注がれているようだった。

 赤ん坊が見慣れないのか、気になって仕方ないという様子である。


「……あー、自分はちょっと疲れたので。良かったら、代わりに抱っこしてやってくれます?」

「良いの!?」


 気を利かせたフォルクマーがそう言うと、女王は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 彼女は扉を押し開いて外に出て来ると、早く赤子を抱いてみたい、と言いたげに両手を前に差し出し広げて見せた。

 キールが興味深げな視線を送る中、フォルクマーは先日覚えたばかりの赤ん坊の抱きかたを伝え、小さなヴィルの体を女王へと引き渡す。

 女王は緊張した面持ちながらも、小さな命を愛おしげに見つめていた。


「女王陛下にまで祝福されて。この子の人生は、きっととても素晴らしい物になるでしょうね。」

「……だと良いな。」


 敬愛する主君と、その腕に抱かれた自分の息子と呼ぶべき存在。

 そんな愛すべき光景を眺めながら、フォルクマーは小さく穏やかな笑みを浮かべるのであった。

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父親 はるより @haruyori

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