本当の気持ち

「やっぱり、嫌だったか」

 甲斐田は心配そうに俺の顔を覗く。

「……違う」

 俺の声は震えていた。

「何でそんな風に言うんだよ」

「何でってお前が訊いたからじゃろ」

「違う、そういうことじゃない」

「じゃあどういうことだ」

 鈍い甲斐田が恨めしかった。怒鳴ってやりたい。でも、彼にそんなことはできない。そんなことはしてはいけない。

「おかしいだろ。自分が死んだときのことだぞ。大したことじゃないみたいな」

「もうしばらく経っとるからのう。今じゃ気にしとらんよ」

「そんな軽々しく――」

「じゃあ」

 俺がキレかけたところで、甲斐田は声を張って俺の発言を制した。大声ではあったのに、怒鳴っているわけではなくて、でも怖いという印象を受けた。それは霊的な力だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

 意外な反応に俺はもう一度、ちゃんと彼の顔を見た。彼は虚しそうに、なのに口角を上げていて、何というか、表情を歪ませていたのだ。俺はやっと、自分が酷いことを言ったと自覚した。

「散々嘆いて、平和な時代を生きとるお前らを呪い倒せばいいんか」

 先程と違い静かに抑えた声だった。なのに俺を制した言葉よりもずっと恐ろしかった。甲斐田の肩は力が入って小さく震えている。

「そんなのはわしの身が持たん」

 甲斐田は冗談めいて言う。俺は何も言えず、ただ突っ立っているだけだ。そんな中で俺よりも背の低い痩せた少年は続ける。

「わしだってなあ、兄ちゃんを、家族を救うために軍人になりたかった。でもな、そんなこと言ってられん世ん中じゃ、せめて国に尽くして死にたかった。なのにホントんとこはどうじゃ、こんな中途半端なところで死んで、何もでけん自分が情けなくってしょうがない。……今でもな、思い出す。あん時の激痛、苦しさも無念も……だから笑っとるんじゃ。笑っとらんといかんのじゃ」

 甲斐田は今にも泣き崩れそうな顔で、涙一つも流さなかった。

 俺はそこでようやく彼が笑顔を携え、涙を落とさない理由に気がついた。……余りに遅すぎた。

 甲斐田は悲嘆する訳にはいかなかったのだ。

 何も救えず何も残さなかった。最後まで足掻かずに日本人がまだ耐え忍んでいるうちに死んでしまった。最後まで死なずに苦しんだ人々を置いて闘いを『離脱』してしまった。

 彼にしてみれば、図らずともそんな卑怯な真似をしてしまったことは酷な罪なのだろう。だから彼は泣けない。何も恨めない。

「ごめん」

 やっと俺は謝った。

「いや謝らんでいい。わしこそ、変な話ししてすまんかったのう」

 甲斐田はケロッとして言う。

 そうしたらもう何を言えばいいか検討つかなくなって、折角重苦しい雰囲気から抜け出したにも関わらず双方黙ってしまった。

 そんな訳はないが、沈黙が10分くらい続いたように感じる。でも多分、本当は1分くらいなんだと思う。

 そんな沈黙を甲斐田が破ってくれた。

「マア、そもそも生きとる若いもんが死について考えんなんてのは早すぎるってもんじゃ。死ぬことなんて、考えんで良いなら考えん方が良いんじゃよ」

「そうなのか……」

 よくよく考えれば、この頃、死のことばかり考えている気がする。確かにそれは健全ではない……のかも今の俺には分からない。だから中途半端な返事になってしまった。

「というか、もうこんな時間じゃないか」

 甲斐田が急に話を変えてきた。無理矢理な感じもするが、反射的に甲斐田が視線を向けた時計を見上げてしまった。

 時計の分針は7を指そうとしていた。

「じゃ、わしはここいらで」

「……は?」

 え、え……?唐突に話を終わらせようとし出したぞ。まだ話は終わってないにも関わらずだ!

 しかし、だからといって何を言えばいいのかも分からない。

「そいじゃあ、もうこんな遅くに残ってんじゃないぞ」

「えっあ、え、ま、また」

「もー会わんよ阿呆が。じゃあな、暗うなる前にはよ帰るんじゃぞー」

「ちょっと待てって」

 俺は焦って言葉足らずながらも止めようと試みる。甲斐田の方に手を伸ばすが勿論届かない。甲斐田は窓の外の藍の空をバックに幼く無邪気な笑顔を浮かべる。

 そうして最後に言った言葉に、俺は一言

「……無粋だ」

 それだけ呟いた。

 悪態は俺しかいない仄暗い教室に行き場なく響いた。

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