メッセージアプリに潜む、悪意

猫正宗

メッセージアプリに潜む、悪意

 これは俺の学生時代の話だ。

 当時の俺は大学生で、塾講師のアルバイトをしていた。


 塾は少人数制で、生徒は1クラスに8人ほど。

 中学生から高校生を対象にしていて、俺は高校生のクラスを受け持っていた。


 今も昔も変わらないと思うのだが、高校生ってのはとかく大人ぶりたがって、大学生に憧れたりする。

 きっと、そういう年頃なんだろう。


 俺の担当クラスにいた高校二年生の女子も、御多分に漏れず背伸びがしたかったようで、大学生である俺に積極的にアピールをしてきた。

 その子は眼鏡をかけた大人しそうな見た目に反して、元気な女の子だった。


 彼女は塾の帰りしななんかに、よくメッセージアプリでのやり取りを強請ねだってきた。


「ねえねえ、先生。連絡先交換しようよぉ!」


 と、こんな具合だ。

 とはいえ相手はまだ高校生だし、仮にも教え子。


 俺は当初その願いを突っぱねていた。

 それでも彼女はめげすにアタックしてくる。

 まぁ俺も男だし、こうなると弱い。


 彼女は結構俺の好みな、可愛らしい容姿をしていたこともあって、結局押し切られる形で連絡先を交換してしまった。


 連絡先を交換した当日は、きっと彼女からのメッセージがわんさかやってくるだろうなんて、大変なような、少し楽しみなような、そんな気持ちを持て余しながら連絡を待った。

 けれどもその日、彼女からのメッセージは来なかった。


 俺は不思議に思った。

 でも納得もしていた。

 やっぱり彼女も、本気で俺なんかとメッセージのやり取りをするつもりはなく、連絡先を交換しようというそれ自体が、一種のコミュニケーションだったのだろう。

 俺はそう結論づけることにした。

 メッセージのやり取りはなくても、また明日からは、いつもの彼女に普段通り接しよう。


 ◆


 だが連絡先を交換したその日から、彼女の態度に少しずつ変化が訪れた。

 いつも塾では熱心に勉強をしていた彼女が、どこかうわの空なのである。

 俺と目を合わせようともしない。


 不審に思って、しばらくの間様子を見ていたのだけれど、彼女の様子は変わらない。

 それどころか日を追うごとに、どんどんとやつれていくようにすら見える。


 どうしたのだろう?

 堪りかねて、直接彼女に最近変わったことはないか尋ねてみたら、ビクッと震えて怯えられた。


 おかしい。

 特に避けられるような行為をした覚えはないし、こんな態度の彼女は見たことがない。

 とにかくこれからは、さらに注意深く彼女の様子を伺っておこう。

 そう考えて、その日は追求することを控えた。


 ◆


 彼女はどんどん衰弱していった。

 朗らかに笑っていた元気な姿は、もう見る影もない。


 頬はこけて目の下にはクマができ、かさかさになった唇がひび割れていた。

 髪もぼさぼさだ。

 以前の艶やかな黒髪からは、想像できないほどだ。

 このころには彼女は、塾を休む日も多くなっていた。


 ある日俺は、久しぶりに塾にやってきた彼女を講師控え室に呼ぶことにした。


 彼女の様子はあからさまにおかしい。

 バイト講師の身とは言えど、一応彼女は教え子なのだし、懐いてくれた相手でもある。

 これ以上、放っておくことはできない。


 授業が終わって誰もいない講師室で、彼女を待つ。

 時刻は21時を回っていた。

 窓の外はもう暗い。


 トントンとドアがノックされた。

 入室を促すと、恐る恐るという様子で彼女が入ってきた。

 椅子を差し出して着席を促す。

 彼女がのろのろとした緩慢な動作で腰を下ろすと、ギシッと椅子が軋んだ。

 硬質な音が、静まり返った室内に響く。


 座った彼女は、俯いて膝の上で携帯端末を握りしめ、それを見つめながらぶつぶつと呟いていた。

 その微かな声に耳を傾ける。


「……先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生出来ません先生――」


 ぞくりとして、身の毛がよだった。

 異常さに気づいた俺は、彼女の両肩を掴んで強く揺さぶった。

 それでも彼女は、懇願するように俺に謝り続ける。


 一体なんなのか、もう訳がわからない。

 彼女はどうしてしまったのか。

 根気強く尋ね続けると、さっきから呟いている「先生出来ません」とは、どうやら携帯端末のメッセージアプリに関する話らしいことがわかった。


 そういえば連絡先を交換してから、結局彼女からのメッセージは一通も来なかったな。

 そんなことを思い出しながら、とにかく一度見てみようと、半ば強引に彼女の手から携帯端末を奪った。


 メッセージアプリを起動する。

 そして俺はおかしなことに気がついた。

 彼女が誰かと、毎日のように大量のメッセージをやり取りをしている。


 その相手は……俺だった。


 俺は慌てて、自分の携帯端末のメッセージアプリを起動した。

 しかしそこには、彼女とやり取りをした形跡はない。


 なんだ?

 連絡先はたしかに俺だが、この相手は俺ではない。

 それは間違いない。

 彼女はいったい『なに』とやり取りをしている?


 事ここに至って、ようやく俺はある可能性に気づき始めていた。

 これは心霊現象の類だ。

 彼女はよからぬものに、憑かれているのかもしれない。

 ともかくメッセージのやり取りを追ってみよう。

 携帯端末の画面に目を落とす。


『先生、アドレス交換ありがとうございます! これから色々お話ししましょうね!』

『死 。ああ、よろ く。死ね』


 なんだこれは。

 日付はちょうど、彼女と連絡先を交換した日になっている。


『今日の授業も、わかりやすかったです! そうそう先生、大学って楽しいですか?』

『楽 いから、 ね。お前 、死 』


 彼女から一方的に、朗らかなメッセージが送られている。

 会話が成り立っていない。

 ところどころに挿入されている「死ね」の言葉が、薄気味悪くて仕方がない。


 不気味なやりとりは、その後もずっと続いている。

 だんだんと彼女のメッセージに元気が無くなってきた。

 なのに彼女はメッセージを送り続けている。

 なにかに誘われるように。


 メッセージを重ねるごとに、次第になにものかの返事の内容が変わり始めてきた。

 どんどんと悪意を表し始めたのだ。


『先生、こんばんは。最近体が重いんです……』

『首を吊 。楽に る。死ね』


『頭がぼーっとして……、なんだか眠いんです』

『 ね。飛び降り 。眠れ』


 確信した。

 俺に化けたこいつは、彼女を連れて行こうとしている。

 死へと誘おうとしている。

 そのとき、新しいメッセージが届いた。


『死ね。今夜 ね。自殺 ろ。死 』


 彼女を連れては行かせない。

 これは放置してはだめだ。

 放置するほど酷くなるやつだ。

 俺は反射的にメッセージを打ち返した。


『お前は誰だ!』


 返信のメッセージは、届いてこなかった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 あれからひと月が過ぎた。

 彼女はもう、すっかり元に戻っていた。


 どうやら憑かれていた間、俺を騙るなにものかとメッセージのやり取りをしていたことは、綺麗さっぱり忘れてしまっているらしい。


 でもきっと、その方がいいのだろう。

 あんなもの、覚えていても仕方がない。


 そうそう、少し前に彼女の携帯端末を無理やり見せてもらったことがある。

 メッセージアプリを確認したかったからだ。

 確認すると、一連のやりとりはどこかに消えていた。

 あのよくないものは、去ったんだと思う。


「ねえねえ、先生。連絡先交換しようよぉ!」


 元気を取り戻した彼女が、今日もそうねだってきた。

 首を振ってきっぱりと断ると、彼女が膨れっ面をした。

 けれどもこれが彼女のためなのだ。


「いいじゃないですかぁ。けちー!」


 なんと言われようとも、ダメなものはダメだ。

 俺はもう二度と、彼女と連絡先は交換しなかった。

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