第26話:呪われた王子の帰国

 ジェイド・サン・エーデルシュタイン。

 クリスの実の兄であり、エーデルシュタイン第一王太子。かつてはクリスではなく、彼こそが「エーデルシュタインの太陽」と呼ばれていた。

 しかし、戴聖式でその身に呪われた魔法──黒炎魔法を宿したことにより、彼は王位継承権を辞退する。


 数百年前、クリスとジェイドの祖先が人間を滅そうとした魔族の王を倒した。その際、魔族の王はエーデルシュタイン家に呪いをかけたという。その呪いこそ、ジェイドが宿した黒炎魔法だ。エーデルシュタイン家の子供に定期的に宿る呪われた魔法。

 黒炎魔法を宿した者は内側から溢れる黒い炎を制御することができずに、孤独を強いられる。過去、その魔法を宿した王子の中には孤独と絶望から自殺した者もいるという。


 そんな呪いを受けたジェイドは現在、隣国の魔法研究施設「イオジック」に留学という建前で保護されていた。

 しかし今日、そんなジェイドがエーデルシュタインに帰ってくる。


 久々の兄との再会に、クリスは緊張した面持ちで王城の門前で待っていた。ちなみに国王はジェイドから逃げるように他国の視察に向かった。きっと例の戴聖式から、ジェイドに向ける顔がないと思っているのだろう。


 ふと、空から馬の嘶きが響く。上を向けば、二頭の天馬が引く空飛ぶ馬車が王城に向かって飛んできていた。イオジックの紋章が馬車の側面に堂々と掲げられている。あれにジェイドが乗っている。

 クリスの背後で、出迎えるために待機していた兵士の誰かがゴクリと唾を飲みこんだのが分かった。その場に緊張が走っているのが分かる。


 馬車が到着した。すぐに馬車のドアが開く。コツリと革靴の音をたて、黒髪の美青年が出てきた。ヴィエルジュ家とは違い、後天的な彼の黒髪はどこか吸い込まれそうな闇を宿しているように見える。目だけがクリスと同じ碧を宿しており、唯一クリスとジェイドが兄弟であることを象徴していた。

 ジェイドの碧が、クリスを見つめる。クリスはその瞬間、胸が昂るのを感じた。


「ひ、久しぶりだね! 兄さ──」

「クリス。お前の婚約者には今回の俺の帰国は告げていないな?」


 挨拶を返そうともしないジェイドにクリスの表情が曇る。


「あぁ。兄さんに言われたように最低限の人間にしか伝えていないよ。勿論、ディアにも言っていない。でも兄さん、どうして急にそんなことを?」

「事前に手回しをされたくなかったのでな。あとクリス。俺のことを兄さんと呼ぶな。何度も言っているだろう」

「……っ!」


 ジェイドの冷たい言葉にクリスがぐっと拳を握る。しかし、すぐにそれは解き、顔を俯いた。


「……分かったよ、ジェイド」

「それでいい。おい、テルキス。行くぞ」

「はい、ジェイド様」


 テルキス。それはジェイドが唯一傍に控えることを許した彼の従者の名前だ。彼は丁度今日みたいな青空をそのまま写したような美しい長髪を一つに束ねた凛々しい青年である。

 そんなテルキスが馬車のドアを開け、ジェイドは再びそちらに入っていくではないか。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、ジェイド! 一体どこに?」

「お前には関係ない。ただ、この国に用事があっただけで、ここに寄ったのはただのついでだ。お前も忙しいのだろう?」

「そうだけど、ジェイドとお茶を飲む時間くらいはあるさ!」

「……喉は乾いていない」


 ジェイドはそれだけ言い残し、──そのまま空飛ぶ馬車で去っていった。

 クリスは周囲の張りつめた緊張の糸が解けていくのが肌で感じる。


「殿下……」


 ジークと同じく傍に控えていたカインがクリスを呼ぶ。

 だが、クリスは自らの情けない顔を見せたくなくて、振り向かなかった。


「大丈夫だ。心配してくれてありがとう。やはり僕は、兄さんに嫌われているみたいだね」


 そう言って、眉を下げて笑うクリスはとても寂しそうだった。

 カインは胸が締め付けられ、何も言うこともできなかった……。




***




「今日もいいお天気ね! やっぱり魔法の特訓は青空の下で行うのが一番だわ」

「そうですね、ディア様」


 一方その頃、ヴィエルジュ家ではディアとホープが魔法の特訓に精を出していた。

 ホープもまだまだ魔法に関しては初心者であるので、魔花法を用いて魔力を出力する特訓をしなければならなかったからだ。

 ディアが魔花法で生み出した魔花はやはり全て混じりけのない青。対してホープは黒色の魔花を咲かせていた。


「ホープの魔花は黒色なのね」


 ホープの周りに咲く魔花を見ながら、ディアはポツリと呟く。ホープの顔がほんのりと桃色に染まる。


「私はヴィエルジュ家に仕えている身ですからね。リオン様もディア様も美しい夜空色の髪をお持ちですから」


 それだけ言うと、ホープは顔を背けた。傍で見守っていたリンの「そうであれば、ヴィエルジュ家を示す紺色になるはずでは?」という呟きは聞こえなかったフリをして。

 ディアはそんなホープの言葉に嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう、ホープ。貴方が私の騎士になってくれて本当に嬉しいわ」

「っ、」


 その笑顔にホープは石のように固まる。


「でも、その口調はやっぱり慣れないわね。キタス村の時のようにもっと軽い口調でいいのよ?」

「いえ、それはいけません。主を敬うのは騎士の原則ですから」


 きっぱりとそう返されたディアは少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。それを見て、ホープは「ふ、二人きりの時だけなら」とディアを甘やかしそうになったが、リンの鋭い視線にその言葉を喉の奥に飲み込む。


 その時だ。ヴィエルジュ家の庭師が慌ててディア達の下へ走ってきたのは。


「ディア様、ディア様! 大変です! 王太子様がいらっしゃいました!!」

「えぇ!? クリス様が!? 今日は約束なんて何もなかったはずだけれど……」

「いえ、クリス殿下ではありません!」


 庭師の言葉にディアはコテンと首を傾げる。

 その時、ヴィエルジュ家の庭に闇が現れた。吸い込まれそうな不気味なオーラを宿すその青年にディアは呼吸と心臓が止まる。


「────、」

「お前が、ディア・ムーン・ヴィエルジュか」

「っ、ディア様。私の後ろに!」


 青年──ジェイドの怒りを含んだ表情にホープが危険を察し、ディアを護ろうとする。

 ジェイドはそんな彼の態度に舌打ちをした。


「邪魔だ、どけ」


 ジェイドの手から黒炎が伸びる。伸びた黒炎はホープの剣から腕に伝わった。ホープが激痛でその場に崩れる。


「ホープ!」


 ホープの声を聞いて我に返ったディアはすぐにホープの元へ向かおうとするが、その前にジェイドが立ちはだかった。

 身長の高い彼に見下ろされ、ディアは思わずブルリと身体が震える。


「お前に用がある、ディア・ムーン・ヴィエルジュ。俺と来てもらおうか。お前の騎士がこのまま俺の炎で燃えつくされたくなければな」


 そう言われてしまえば、ディアの選択は一つしかないに決まっている。

 ディアは「分かりました」と消え入る声で返し、ジェイドに従うことにした……。

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