非常事態

第43話

 元来た道を疾走する。こう言う時に空を飛べるのは便利だ。だが、ワタルも速い。元々運動神経が良い奴だけど、今は本気だからか凄く速い。俺はワタルの運動神経に舌を巻きながら空を滑っていく。あっという間に学校が見えて来た。ワタルは玄関にぶつかる程の勢いで中に入ると途端に叫んだ。

「コウキ!」

 その場にいる全ての人がワタルの方を振り向いた。だが、この中にコウキの顔は無かった。ワタルも直ぐにそれに気付くと駆け出した。となればやはり部室棟か? ワタルは明らかにそこを目指している。部室棟にいる保証は無いけど、今はそれ以外考えられない。

 入り組んだ校舎の中を直走る。途中すれ違う人がみんな驚いて振り返るが、もうそんな事構ってられない。一号館から二号館に移る。その二号館を真っ直ぐに突っ切ると人一人通れる程度の扉がある。やけに重たい扉を全身でぶつかるようにワタルが開けた。瞬間、腥い臭いと粘つくような重たい空気が身体を包んだ。

「げぇ、何だこれ」

「何があったの?」

「めっちゃ臭いし空気が重い。ワタルは大丈夫なのか?」

「うん、全然」

 やっぱりワタルは霊感が無いのか。それなのに俺の事だけ見えるのは何でなんだろう。

 俺は余計な思考を振り切って部室棟を見た。そして息を呑んだ。木造の旧校舎を使っている部室棟はそこそこデカい。さっきまで一室から立ち昇っているだけだった黒い靄は、今では建物全体を覆っている。

「何か見える?」

 俺の様子を見てワタルが聞いてくる。俺は頷いて今見えるモノを伝えた。

「……もしあの中にコウキがいたら、と言うかあの中にいる人みんなヤバい、気がする」

「……やっぱり、ユータはこれ以上行ったら駄目だよ」

「お前なぁ、さっきその話はしただろうが」

「したよ? でもそんな中に突っ込んで行ったら、ユータはどうなるか分からないんだよ?」

 ワタルの真剣な目が俺を見据える。でも、俺は意見を変える気は無かった。

「それでも俺は行く。今ここで誰かを、コウキを見捨てたら、俺に生き返る資格なんか無い」

 そう言い切って俺は表情を和らげると、ワタルの頭を撫でた。実際には触れないから撫でられないけど。ワタルは自分の頭に手を添えると、悲しそうな表情をした。

「……俺はユータが後悔しないなら、それでいいんだよ。でもね、これだけは分かって。俺にはユータのいない世界に価値なんて無いんだよ」

 そんな事言うなよ、そう言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。代わりに俺は頷く。今はきっとそれしか出来る事は無いと思った。

「急ごう」

 ワタルがそう言うと部室棟へと走る。長い外廊下を無言で進む。相変わらず部室棟は禍々しい靄が覆っている。近付くと靄に顔がある事が分かった。今にも叫び出しそうに大きく口を開け、苦悶の表情を浮かべている。臭いや嫌な感じも、近付けば近付く程に強くなっていく。中に入ってはいけない、体全体で拒否しているのが分かる。でも、もう後には引けない。引く気も無い。

 ワタルが部室棟の入り口に飛び付いた。ドアノブを右に回すが扉が開かない。左に回す。やはり開かない。

「鍵が掛かってる」

 ワタルがドアノブを何度もガチャガチャと回してドアに無理矢理体を押し付けるがどうやっても開く気配が無い。

「なら、俺が先に入って……」

「待って! 中に何があるか分からないんだよ? 俺が見える所には居て」

「そんな事言ってる場合じゃないだろ!」

 俺が声を荒げた時だった。

「あ、あの……」

 小さく声が聞こえた。見ると、そこにはタクマちゃんが立っていた。俺達二人が見つめてるせいか、タクマちゃんは目をキョロキョロさせると少し俯いた。

「あ、あの、中に入りたいんですけど……」

「中、入れるの?」

 ワタルがタクマちゃんの両肩をがっしり掴んだ。タクマちゃんの顔がみるみる赤くなっていく。

「俺達も中に入りたいんだけど、入り口に鍵が掛かってて開かないんだよ」

「は、はい。部室棟、最初の人が鍵を開けて、さ、最後の人が締める決まりだから……」

 タクマちゃんの言葉に俺とワタルは顔を見合わせた。

「それが、多分中に人がいる筈なんだ」

「え? そんな筈……」

 驚くタクマちゃんの肩からワタルが手を離す。タクマちゃんがドアノブに手を掛けるが、やはり鍵が掛かっている。それに小さく首を傾げると、ジーンズのポケットから鍵を取り出した。赤いプラスチック製のネームタグが付いている。見るからに学校の共用の物だ。それを鍵穴に入れると、すんなりと鍵が開いた。タクマちゃんがドアノブに手を掛ける。瞬間、ワタルがその手を掴んだ。

「ちょっと待って」

「え?……あの……」

 タクマちゃんが困惑の表情でワタルを見返す。ワタルが目だけ動かして俺を見た。タクマちゃんに言うべきか否か悩んでいるんだ。知らないならその方が幸せなんじゃないか?

「あの……」

 俺等が答えに迷っていると、タクマちゃんから声が上がった。

「な、何か、あったんですか?」

「それは……」

「だ、大丈夫、です。だって、私、協力するって、約束したんです……」

 そう言ってぎこちなく微笑んだ。

「……そっか、ありがとう」

 ワタルは強く頷くと状況を説明した。

 それにしても驚いた。あんな脅しのように取り付けた約束だと思っていたのに、タクマちゃんはちゃんと納得してくれていたのか。

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