第35話

「ねぇ、ユータ。俺ね、ユータがいない間学校行ってないんだ」

 一頻り笑ったワタルが、ゆっくり吐き出すように話し始める。

「うん、だろうなと思ってる」

「その間にさ、探してたんだユータの事」

「そんな感じだったよな。俺が家に入った時に電話してただろ。アレ、ウチだよな?」

「そうだよ。あの日、資料取りに行ったユータが帰って来なくてさ、みんなで探しに行ったんだよ。でも何処にもいなかった。もう遅かったし明日警察行こうってなって」

 俺はただ頷いた。

「俺は家で待ってたんだけど、ユータは帰って来なかった。朝になって二人が会いに来てくれたけど、お互いに進展なくてだから予定通り警察行こうって話になった。だから二人に行ってもらったんだ。だって、俺が家を離れてる間にユータが帰って来るかもって思ったらここから動きたくなかったんだ」

 俺は小さく息を呑んだ。ワタルの表情は穏やかだ。まるで日常を語るような、そんな凪いだ雰囲気だ。こう言うワタルを俺は知ってる。

「それ以来外には出てないんだよ。みんなには本当に頼り切りだったから明日には学校に行きたいな」

 ワタルがニコリと笑う。俺は頷いた。ただ頷くしかなかった。

「俺はね、嬉しいんだよ? またユータに会えて、ユータが俺のとこに戻ってくれて。それに生き返る可能性も残ってるなんてこんな素晴らしい事はないよ」

 ワタルがゆっくりと腕を大きく広げる。まるで飛び込んで来いと言わんばかりに。俺はそれに首を横に振った。

「俺はワタルに触れない。ワタルも俺に触れない。それは最初に確認しただろ?」

「そうだね。そうだったね」

 ワタルは腕をゆっくり閉じた。

「まだこの世には俺からユータを奪った奴がのうのうと生きてるんだったね。こんなに素晴らしい世界に不必要なゴミがね」

 良い笑顔。何も知らない人間ならそう思う程にワタルの笑顔は綺麗だった。でも俺は知ってる。これは、笑顔なんかじゃない。あの日も、そうだった。ワタルの母さんが死んだ日もワタルは笑っていたんだ。

「ワタル……」

 俺はワタルの隣に回り込むとそこに座った。ワタルは目を細めると俺の肩に頭を預けた。無論、俺達は触り合えない。だから頭を預けているフリだ。ワタルから深い深い呼吸音が聞こえる。少しずつ落ち着いてきたのが分かる。

 ワタルは本当は結構激情型ですぐに無茶をする。だから、誰かが側にいてやる必要があるんだ。今まではそれが俺だった。けど、これからは、例え明日俺が生き返ったとしても、コイツの隣にいるのがいつまでも俺でいい筈が無い。

「ワタル?」

 俺が声を掛けるとワタルの頭がガクリと傾いだ。眠いんだ。もしかしたら、もしかしなくても、あんまり寝てないんだろう。

「ワータールー! もう寝るぞー自分の部屋行けー」

 直ぐ側にある頭に向けて大声を出す。だけど、ワタルは頭を横に振る。

「おーい、こんなとこで寝てたら風邪引くぞ」

「……ヤダ」

「何が嫌なんだよ。ホラ早く」

「……寝たらユータ消えちゃうかも」

 なんだ、そんな事心配してんのか。俺はワタルを残して立ち上がった。

「今一緒に来ないと置いてくぞ?」

 俺がそう言うとワタルが顔を上げた。そして俺が立ち上がってるのを見て慌てたように立ち上がった。

「ま、待ってー」

 眠そうに眼を擦ってヨロヨロと後ろを付いてくる。俺はワタルを誘導しながら二階へと上がった。二階は四畳間が三部屋ある。この内二部屋を俺とワタルの部屋にして、残りは物置として使っている。

 俺は階段を上がって右側の部屋の襖をすり抜けた。ベッドとデスクだけのシンプルな部屋だ。ここがワタルの部屋だが、いつ見ても殺風景だ。

「ホラ、早く来い」

 俺がベッドの脇に立つと、ワタルは襖を少しだけ開けて無理矢理体を押し込んだ。そしてそのまま倒れ込むようにベッドへと潜り込んだ。

「はい、お休みー」

 そう声を掛けて出て行こうとするとくぐもった声で、

「ユータ、ここにいて」

 と、言う声が聞こえて来た。後ろを振り返ると、ワタルは既に寝息を立てている。腕はベッドから投げ出されて掛布団も中途半端に掛けられている。俺は小さく溜息を吐いてワタルの手に触ろうとして出来ない事を思い出した。

 もう俺とワタルは違う道を歩み始めてる。どんなにワタルに見えても、もう俺はワタルには触れないんだ。ワタルの布団すら直してやれない自分がもどかしい。俺はその場に座るとワタルの寝顔を眺めた。どうしたらワタルは俺の事なんか考えなくて済むようになるんだろう。今すぐここを出て行こうか? いや、そんな事をしたら逆にワタルは一生俺の事を探す。そうだって言い切れる。それだけ俺達は一緒にいた。一緒にい過ぎた。でも、離れられるだろうか。俺はワタルを手放してやれるんだろうか……

 ワタルの寝顔を見ていたらなんだか俺まで眠くなってきた。腹も減らない、トイレも行きたくない、なのに眠気だけはちゃんと残っている。なんだか幽霊ってのも不思議で良く分からん存在だ。一瞬、自分の部屋に帰ろうかと考えて直ぐに考えを改めた。ワタルが居てほしいと言った。なら、今夜くらいはこのままでいよう。俺はそのまま床に横になった。暑くも寒くもない幽霊の体に感謝しながら俺は目を瞑った。

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