第33話
居間の扉は上半分が障子、下半分がすりガラスの作りになっているものだ。俺はそれをそのまま突き抜けて中に入った。いつも座っていた場所、テレビを真正面に見据えて左側に座った。ワタルは反対の右側に腰を下ろした。
「ねぇ、さっきから考えてたんだ」
座るや否やワタルがこう切り出した。
「何を?」
「ユータが何が出来て何が出来ないのか、全部知っておきたいと思って」
「全部って、そんなの一々探してたら大変だろ?」
「大変でも良いよ。ユータの事なら正確に知っておきたい」
「お前……その労力を他に使えって」
「嫌だよ。俺はユータの為に努力したい。そう俺が決めたんだからいいでしょ?」
ズイッと体をちゃぶ台に乗り出す。こうなったらワタルは頑固だ。それは俺が一番良く知っている。
「分かった。じゃ、何からやる?」
「うん、さっきユータはトイレ行かないって言ったじゃん。尿意も便意も全く無いの?」
「無いな。本当に全然無い」
「じゃあ、お腹は本当に空かないの?」
「正直空かない。でもアレ食べたいとかコレ飲みたいとかは思う」
「今食べたい物は?」
「食べたい、と言うよりお茶が飲みたい」
俺がそう言うとワタルはさっきコウキから貰った差し入れの中をグルグルとかき回した。程無くしてちゃぶ台の上に一本のペットボトルが置かれた。
「お茶じゃなくてミルクコーヒーだけど。これ、飲める」
「無理。掴めない」
俺は手を伸ばすとペットボトルを横から掴む動作をした。案の定、手はペットボトルに触れる事なく通過してしまうだけだ。
「うーん、これ何とかしたいよね」
「何とかって飲めるようにするって事だろ? ムズイって。リンさんも出来ないって言ってたし」
「まーたリンさん。その子だって完全無欠って訳じゃないでしょ? なら何処かに方法はあるって」
グッと握り拳を作る。こう言う根拠の無い自信でも、なんとかなるんじゃないかと言う気がしてくるのが不思議だ。
「んじゃ、今後の研究課題だな」
俺がニヤリと笑うとワタルも笑い返した。
「じゃあ、次。今来てる服って脱げる?」
「服? そういや考えた事なかったな」
俺は自分の体を見下ろした。Tシャツの上にジッパー付きのパーカーを着てボトムはジーパン。しかも全部プチプラと言うヤル気のなさだ。良く見ると俺はスニーカーも履きっぱなしだった事に気付いた。
「うわっ、土足で家ん中上がっちゃってるじゃん」
「え? 今気づいたの?」
「おう、靴の存在なんて丸ごと無視してた」
そんな俺の発言に呆れたと言う調子でワタルは首を横に振った。
「もー、あ、でもその靴脱げるか今試してみてよ」
イイ事思いついたとでも言いたそうな、パァッと言う笑顔でワタルが言う。わざわざ言われなくても脱ぐつもりだった俺は、靴に手を掛けるとスポッと足から抜いた。
「なんだ、普通に脱げるじゃん」
マジマジと汚れたスニーカーを眺める。このお気に入りのスニーカーは死後まで俺の側にいてくれてる。そう思うといじらしくて更に愛着が沸いた。俺はもう片方も脱ぐとそれを玄関に置いてきた。
「脱げるって事は着替えられるんかな? そろそろ着替えたいんだよな」
「でも服にも触れないんでしょ?」
「無理だよなぁ」
大きく息を吐いて畳に寝転がる。目の前にはワタルの胡坐をかく膝が見える。俺はそれに手を伸ばしてみる。膝どころか、その膝を包むジーンズの感触すら感じられないまま俺の手は膝を突き抜けた。
「ねぇ、扉は通り抜けて畳は通り抜けないのは心の持ち様って言ってたんだからそれ以外も持てるって思ったら持てるんじゃないの?」
「どうだろな? リンさんは自分の姿を変えるのは心の持ち様ってな話をしてたけど、ものすごぉぉぉく練習しなきゃだって言ってたし。とにかく時間が掛かるんじゃねぇの?」
「うーん……全然良い方法が浮かばないね」
ワタルも畳にゴロンと寝転んだ。と、ぐうーとワタルの腹が鳴った。
「なんだ? 腹減ってたのか?」
「うん、結構」
そう言うワタルの腹はまたグウグウと鳴っている。
「……ワタルさ、いつから食べてない?」
「え? いつからだろ?」
「お前、さっき一週間学校行ってないって言われてたな? 俺がいない間、一体どんな生活してたんだ?」
「……」
「ワタル?」
「……俺は自分のしたい事をしてるだけだよ。ユータは何にも心配しなくていいんだよ」
ワタルは、いつもこうだ。自分の為、と言って人の為に無茶をする。
俺はコウキの差し入れを指差した。
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