第26話
商店街のゲートを走って潜り抜ける。朝の通勤通学でこの道を通っているのだろうスーツ姿のサラリーマンや学生服の女の子が一人二人いるだけで、他に人影は無い。と、思っていたが、パン屋の前で中を覗き込む白いワンピースの女がいたのだ。
「リーンーちゃーん」
アグリが大きな声を出す。それに気付いてワンピース女がこちらに振り向いた。一瞬、俺は身体に力を入れたが、それは直ぐに解かれる事となった。振り向いたその女の子が可愛かったのだ。眉毛は太くて濃いが、大きな丸い目とぷっくりした唇とは相性が良くてなんとも可憐だ。髪は黒く長く、センター分けの前髪が頬骨の下辺りで切り揃えられている。確か昔のアイドルで全く同じ髪型の子がいたと思う。それを知った時に見ていたテレビで、この髪型は姫カットと言うのだと知った。
「リンちゃん、これユータ。公園に居たんだよ」
これ、と言われた俺は軽く頭を下げた。
「ユータです。よろしく」
「リンです。初めまして君だね。何処から来たの?」
そう言って右手を差し出された。俺が恐る恐るその手を握り返すと、突然、両手でギュッと握り締められた。柔らかい。女の子の手だ。こんなに可愛い子と握手する機会なんてそうあるもんじゃない。思わず口角が上がってしまう。
「違うよー。ユータは赤ちゃんなんだって」
そんな俺のニヤニヤに水を差すアグリ。上がりかけた口角もスッと下がった。
「赤ちゃん? と言う事は亡くなったばかり?」
「そうです」
「そっか、新人幽霊君なのね」
「ユータはね、なーんにも知らないんだよ。雪降ったけど大丈夫かって言うんだよ」
アグリは何処か勝ち誇ったような顔で彼女に説明する。俺にも弟妹がいるからこの感じは分かる。自分より大人な相手に何かを教えるのが嬉しくて仕方ないのだ。
「そっかそっか。生きてる時と色々変わって大変な頃だよね? 分かるよ。私で良ければ何か分からない事とか教えようか?」
俺を見つめる瞳が更に大きくなった気がした。
「そう言ってもらえると助かります。正直、全然今の状態に慣れなくて色々手探りだったんです。公園の木を触ってみたりランニング中のおっさんを触ってみたり」
俺がそう言った瞬間、二人からワッと笑い声が溢れた。俺の渾身のボケがなんとか届いたようで、密かにホッと息を漏らした。
「ユータ、面白ーい」
アグリが足をバタバタさせながら嬉しそうに笑う。
「本当、君はユーモアがあるね」
「いやぁ、楽しんでもらえて良かったです」
少し気恥ずかしくなって俺は頭を掻いた。
それにしても今目の前にいる可愛い女の子が本当に人の顔なんか喰うのだろうか。確かに商店街にいる白いワンピースの幽霊だけど、キラキラ笑う彼女からそんな雰囲気は微塵もない。
「あの、リンさん?」
「何?」
「リンさんはこの商店街にいて長いんですか?」
「え、そうだなぁ、二年前か三年前くらいかな?」
そうだ。イーサンは確か高二の夏から突然流行りだした怪談だって言っていた。大体の時期も合う。本当にそうなのか? リンさんは人の顔を喰う化け物なのか?
「なぁに? なんか怖い顔してるよ?」
「あ、すみません。ちょっと朝日が眩しくて……」
苦しい言い訳だ。だが、リンさんはうんうんと頷いた。
「分かる。眩しいよね。私も朝は目が痛いから夕方くらいが一番好き」
そう言って笑う彼女の顔が少しだけ怖いもののような気がした。
「さてと、何から聞きたい?」
「えっと、まだ殆ど何も分からないので、最初からお願いします」
とは言え、今の俺は化け物側だ。なら、怖がっていても仕方ない。それにこんな可愛い子にマンツーマンで講義してもらえるなんて最高じゃないか。
少しでもポジティブに考えつつ俺は彼女に向き直った。
「最初にユータ君に聞いておきたいんだけど、君は幽霊にどんなイメージがある?」
「イメージ、ですか? そうですね、人を驚かす、廃墟に居る、触れない、とかですかね」
指を折って数えつつ俺は言った。本当は長い黒髪の女と言うのも言いたかったが、明らかにリンさんに当てはまり過ぎてて止めておいた。
リンさんは俺の言葉を目を瞑って腕組みして聞いていたが、徐に頷くと目を開けた。
「やっぱりそう言う感じになるよね。怖い話とか映画とか本とか、何でも良いんだけど全部そう言う風に書かれてるもんね」
「そうですね。俺自身幽霊が見えた事とか無いんで、そう言うので得た知識しか無いです」
「うんうん。私も見えない人だったからね、最初は君と同じような感じだったよ。でも幽霊になってみて分かったの。幽霊にも色んな人がいるって事が」
「色んな人、ですか?」
「そうなんだよ。ユータ君は今と生きている時を比べて君自身の性格は変わったと思う?」
「全く思わないですね」
「でしょう? 私はね、自分が死んでても廃墟は怖いんだ。人間は死んだくらいじゃ自分は変わらないよ」
そう言えば五道は幽霊は元は人間だったと言うが、つまりはこう言う事なんだろう。人間は死んだくらいじゃ自分は変わらない、今リンさんが言った事が頭にリフレインする。
リンさんは続ける。
「それでも廃墟とか暗い場所を選ぶ人はそう言う所がそもそも好きな人か、その場所から離れたくない理由があるとか、かな?」
「離れたくない理由……ですか?」
「うん。私が見てきた中だと、実家だからとか他の人に会うのが嫌だからとか幽霊になったら人を驚かすのが夢だったから、なんて人もいたな」
そう言って悪戯っぽく笑う。可愛い子はこう言う表情が良く似合うのだ。俺も思わずニヤリとした不細工な笑いを浮かべた。
だが、リンさんはすぐに「でも」と言って表情を固くした。
「一人だけね、人通りの少ないトンネルにいた人なんだけど、彼がそこに居る理由を聞いたら『人を殺したいから』って言ってた事があったの」
なんだか剣呑な話になってきた。俺は口元に力を入れて話の続きを聞いた。
「それでどうしたんですか?」
「暫く通ってね、説得したり話を聞いてあげたりしてたんだ」
「そ、それって物凄く危ないんじゃ……」
「うん、ちょっと危ない瞬間もあった」
しみじみと頷くリンさん。
「だからマズイなって思ったらその場は逃げて後で戻ってきたりとか。でも一週間もしない内に居なくなっちゃったんだよね」
「リンさんの説得が効いたって事ですか?」
俺が聞くとリンさんが首を横に振った。
「ホラー映画のロケ地に選ばれたみたいで、祓われちゃった」
「祓われちゃったってそんな軽い調子で」
俺が脱力して肩を落とすとリンさんはケラケラと笑った。
「だから幽霊になっても生きてる時とあんまり変わらないよ。危ない人に会えば怖いし、良い人に会えば楽しいし、ね?」
そう言って俺はアグリに目配せをした。アグリはちょっと嬉しそうに鼻を膨らませて胸を張った。
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