第25話

『ただし人によっては辛い選択になります』

 耳の奥に阿弥陀さんの言葉がこだましている。あの時は深く考えずに流した言葉が、今になって重くのし掛かる。誰にも認識されない事がこんなに辛い事だったなんて……ジワリと目頭が熱くなって慌てて腕で目を隠した。誰にも見られないのに習慣ってのは抜けないもんだな、なんて自嘲気味に口元を歪ませた時だった。

「ねぇ、お兄ちゃん起きてる?」

 小さな子供の声が耳の側で聞こえた。なんだ? ガキが兄貴と散歩でもしてるのか? そんな事をぼんやり考えていたら、突然腕を掴まれた。

「お兄ちゃんってば」

 俺は思わず飛び起きた。俺が突然起きた事に驚いたのか、小さな子供が目をパチクリさせてこちらを見ていた。

「えっ? えっ? お前、俺が見え、って言うか触れる……のか?」

 思わずしどろもどろになる俺にその子はニコーと笑って立ち上がった。やけに小さいと思っていたが、どうやら今までしゃがんでいたらしい。ただ立ち上がっても小さい事に変わり無い。小さな頭に不釣り合いな程に大きくてまん丸に結った髪が頭のてっぺんに乗っている。服装は着物だ。灰色の生地に細かい青色の縦縞が入った着物に白いエプロンと言う姿だ。その子は俺の隣に座るとじっと俺の顔を見つめてきた。

「アタシ、アグリ。お兄ちゃんは?」

「ゆ、ユータ」

 当然のように名乗るから俺も普通に返してしまった。しかも呼ばれ慣れてるあだ名の方で、だ。アグリ、と名乗るこのガキ、俺が見えてるみたいだし格好も明らかに古めかしい。と言う事は、この子も幽霊って事か。

「なぁ、お前」

「アグリ」

「あぁ、悪い。アグリな。アグリはずっとこの公園にいたのか?」

「んーん、来たのはちょっと前。雪が降ってた日」

 雪か、ここら辺には三月の終わりから住み始めたけど、その頃には雪の気配は微塵も感じられなかった。そう言えば一月の始めに大雪が降った日があった。普段殆ど降らない俺らの地元でもかなり降ったから、この辺りはもっと酷かっただろう。

「すげー雪だったんじゃねぇか? 大丈夫だったのか?」

 そう俺が言うとアグリは一瞬キョトンとした顔をして、直後に声を上げて笑った。

「アタシ死んでるもん。平気に決まってるじゃん」

「平気なのか? そう言うもんなのか?」

 そう言えば夏に暑がってる幽霊なんて聞いた事ないな。でも、だったら日差しが暖かく感じるのはどう言う事だ?

 俺が首を捻ると、アグリの眉毛がギュッと真ん中に寄った。

「ユータも死んでる人なんだよね? なんで知らないの?」

「あー、死んだばっかりなんだよ俺。まだ一週間経って無いと思う」

 俺がそう言うとアグリの表情がパッと明るくなった。

「なーんだ、そうだったんだね。じゃあ、リンちゃんのトコに連れてってあげる」

「リンちゃん?」

「そう。リンちゃんは何でも知ってるんだよ」

 ベンチからピョンと飛び降りるとアグリは俺の手を掴んだ。

「ユータは赤ちゃんだから、リンちゃんに教えてもらわなきゃダメー」

 そう言って俺の手を引いて走りだした。赤ちゃんってのは幽霊になったばかりって事が言いたいのか。俺は幼い後ろ姿に苦笑いしつつ引かれるままに走った。

 そう言えばリンちゃんってどんな子なんだろう。いや、そもそも『子』なのかも疑問だ。りん、女っぽい気もするが、男の可能性もある。アグリは俺の事も躊躇なく呼び捨てで呼ぶ子だ。ムキムキの大男をリンちゃんと呼んでいる可能性もある。

 そんな事を考えているといつの間にか景色はいつもの通学路へと変わっていた。

「なぁ、どこまで行く気なんだ?」

「コッチ。リンちゃんのトコ」

「だからそのリンちゃんてのは何処にいるんだ」

「商店街」

 アグリはこちらを振り返りもせずに答えた。

 まてよ、商店街? ここから行ける商店街と言えば樋渡・久井商店街の筈。あそこには白いワンピースの女が……もしかしてリンちゃんって、

「リンちゃんってもしかして女か? 白いワンピースの」

「あれぇ? ユータってキリンちゃんのお友達だったの?」

 うわぁ、やっぱりだ。夕方の商店街に佇み、人の顔を喰らう女。こんなのほぼ妖怪じゃないか。会って話すなんて可能なのか?

 そう考えているといつの間にか商店街のゲート看板が見えてきた。ここから見える店はまだ何処も開店前のようだ。話の通りなら白ワンピース女は夕方にいる筈だ。こんな朝っぱらから本当にいるのだろうか。

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