第7話

「今日はなんで呼んだ訳?」

 エイミーが声を上げる。先生は全員の顔をサッと見渡すと、いつもの良く通るイケボで語り掛けた。

「実習の場所が決まったからその報告だ。と言っても毎年そこにお願いしてるんだけどな。だから中には先輩連中に聞いた奴もいるだろうが」

 全員がなんとなくお互いに目を合わせる。先輩、当然にいるんだろうがあまり意識していなかった。将来的には先輩達との交流はもっと増えるそうだ。どんな人達なんだろう、とぼんやり考えた。

「ん? なんだお前ら、先輩に知り合いいないのか?」

 先生の声に全員がうっすらと頷く。先生は一瞬呆れたように息を吐くと、すぐにニヤリと悪戯な顔になる。

「じゃあ、秘密にするとしようか。どこに行くかは当日のお楽しみだ」

 先輩の知り合いはいないけど、みんなどこに行くかは知っている。禅寺で五日間の合宿だ。しかも行き帰りは二時間弱かけて徒歩で行くのだ。先生がチラリと壁に掛かった時計を見やる。

「まだ時間あるしな。折角だ。少し授業でもするか。お前等も時間作って来たんだろ?」

 そうでーすとコウキが元気に答える。正直なところ、俺は予定なんて無かったけど。

「その代わりと言っちゃなんだが、次のゼミは短縮って事にしよう」

 これにはみんな異論なしだった。口々にハイと返事をする。

「よし、それじゃあ今日は死後の話でもしようか」

「先生、三限の宗教概論もそんな感じの内容でしたよ」

 ワタルがすかさず声を上げる。コイツは本当に無駄に真面目だ。

「あぁ、凪和先生だっけか。あの爺さん毎年同じ授業だからな。てことは今日は『天国と地獄』だろ?」

「はい」

「なら丁度いい。俺が今からするのは、死んでからその天国か地獄に振り分けられる前段階の話な。とりあえず一番身近な仏教の死出の旅路について話すか」

 先生が手を打つ。テレビで見た寿司屋の大将のようなその動きが、授業が始まる合図なのだ。みんな机にノートを出す。俺もカバンからノートを取り出した。板書が無いものをメモるのは面倒だが、覚えきれないから仕方ない。と、横を見るとワタルの机にはスマホだけ。あの真面目野郎にしては珍しい。もしかしてゼミ用のノートを忘れたのか? そう思ってワタルの脇腹を突く。ハテナを浮かべたワタルの顔が振り向いた。それに向けて俺はノートを破る仕草をした。一枚あげようか? と言う意思表示だ。ワタルは一瞬何を言われたのか分からないと言った表情になったが、直ぐに合点がいったらしい。いらないよ、と言う意味で小さく手を振って、そしてウインク。綺麗な顔に似合う綺麗なウインクだが、俺はそれをげんなりとした表情で受け流した。

「最初に聞くが、人は死んだら死後何処へ行ってどうなるか知ってる奴はいるか?」

 そう問われワタルがハイと返事をして話し出した。

「閻魔大王の裁きがあるんですよね? それで天国行きか地獄行きが決まる」

 そこにすかさずコウキが口を挟んだ。

「それってさ、死んだーと思って気づいたら閻魔の目の前って事なん?」

「違うんじゃね? ほら、途中に川があるんだろ? それ渡るんだから閻魔大王に会える場所までは移動するんだよ」

 俺が答えると、それにワタルが補足を入れてきた。

「それは三途の川だね。そこに奪衣婆ってお婆さんがいて死者の着物を剥ぎ取るんだよ」

「えぇ? 最悪。そのお婆ちゃんキモすぎない?」

 エイミーが心底嫌そうな声を出して、イーサンの肩に凭れてその腕に縋った。まるで小さな子供が怖いものを避けて、親の足に隠れるような仕草だ。

「うんうん、中々知ってるじゃないか」

 ジョン先生が頷く。大した事は話してないけど先生はよく褒めてくれる。

「人間の死後を書いた書に『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』と言うのがあるんだ。略して十王経って言うんだが、それによると人が死んで魂になると、奪魂鬼、奪精鬼、縛魄鬼が迎えに来るのが最初だ。そして真っ先に死出の山に連れて行かれる。この山はかなりの険しさなんだが、それを一人で踏破していくんだ」

「山登りとかダル」

 エイミーが呟く。それを聞いて先生がニヤリと笑う。

「しかもそれだけじゃねぇんだぞ? お前等も棺に入れられた人をなんらかの形で見た事あると思うが、薄い着物と足袋の姿だろ? 当然死んでからもその格好だ」

「キッツ」

 コウキが顔を顰める。

「この死出の山はもう一度死ぬほど厳しいって言うからな。お前等覚悟しとけよ? そして辿り着いたらやっと死後の裁判が始まる訳だが、さっき名前が出てた閻魔大王にゃそう簡単に会えないぞ」

「なんでスか? イケメンとしか会わないとか?」

 コウキがワタルとイーサンを交互に見る。イーサンはそう言われて困ったように眉を寄せる。対してワタルは両手でピースサインを返していた。

「イケメンかどうか関係ねえから。話続けるぞ」

 呆れたような声だ。みんな真面目に先生の方に顔を向けた。コウキだけは一瞬不満そうに口をへの字に曲げたのを、俺は見逃さなかった。

「閻魔大王は一番有名だからみんな名前くらいは知ってるだろうが、実は死後の裁判をする裁判官は十人いるんだ。順に秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王、と言う。この十人がそれぞれの庁で待ってるから、歩いて裁きを受けに行くんだ」

「へぇ、閻魔大王って五番目なんですね。思ったより後だし、それからも五人も待ってるなんてちょっと意外って言うか」

 俺の言葉に先生が頷く。

「だよなぁ、俺も初めて知った時は結構驚いたからな」

「先生」

 ワタルが手を挙げた。ほとんど雑談の様相なのに律儀だ。

「さっきそれぞれの庁に歩いて行くって言ってましたけど、そんなに距離があるんですか?」

「良いところに気付いたな。最初の庁にいる秦広王に会えるのが死後七日目と言われているんだ。つまりそれだけの時間が掛かる道のりって事だな。さて、ここで問題だが、次に会う初江王は十四日目、次の宋帯王は二十一日と続いて行く。そして四十九日に会う太山王で死後の裁判が終わるんだ。これに何か気付く事は無いか?」

「四十九日って法要をしますよね。確か仏教ではこの日から忌明けで、喪に服す期間が終わるんですよね」

「ワタル、正解だ。他の奴らも初七日とか四十九日とか聞いた事くらいあると思う。この十王に会えるタイミングで法要をするって事だな。じゃ、何故法要をするのかって言うと、亡くなった人が少しでも天国に行けるチャンスを増やす為なんだな。そもそも仏教では、うっかりアリンコを踏み潰したり、しょうもない小さな嘘をついたりなんて日常に溢れてる些細な事が全部罪になるから、ほっときゃそのまま地獄行きだ。それをちょっとでも罪が軽くなるように遺族が祈るのがこの日だ。だからお前等大切な人が亡くなったら四十九日まで毎日手を合わせた方が良いぞ」

 四十九日って聞いた事はあったけど、そう言う事だったのか。俺は納得しつつ指折り数えていて、ある事に気付いた。

「アレ? その後に三人残ってる筈なんですけど裁判終わっちゃいましたよ?」

「残りは四十九日で決まらなかった人、つまりは再審って事だな。ここで最終決定を下すんだ」

「これで決まんないとかどんな人なん?」

 エイミーが首を傾げると、先生が人差し指を立てた。

「決まんない、と言うよりは情状酌量を判断する為だな。四十九日の後は百日、一回忌、三回忌と続いていくんだが、ここで遺族がちゃんと供養してくれているかで地獄行きが極楽行きになったりする訳だ」

「そんな……だったら独りぼっちの人はどうしたらいいんです?」

 独りぼっち、ワタルの口からその言葉を聞いて思わずドキリとした。

 ワタルの母親が死んだのは五年前の事だ。病死だった。母子家庭だったワタルにとっては唯一の家族であった。とても綺麗で明るくてワタルにそっくりな鼻をしていたのを思い出す。今も家には小さな仏壇がある。ワタルがそれに毎日手を合わせているのを、俺は知っている。

 先生は立てた人差し指を左右に振った。

「だから宗教があるんじゃないか。神仏を信じ品行方正に生きれば多少の罪は許されるってな」

 そうだ、俺達は助かりたいんだ。あるかないかも分からない天国や地獄を信じて、藁にも縋る思いで、見ず知らずの神に縋り付く。でもそれは決して悪いことじゃないんだろう。神を信じる事で一生の更にその先に幸せがあると確信出来るから、人は今を生きる事が出来る。ただし、忘れてはいけない。神を信じるには、少なくとも日本では、金がかかる。信心さえあればなんて言っておきながらお経を上げてもらうにも一回いくらで金、一回忌や三回忌で法要を執り行ったら金、お供え物の花や果物も必要なのは金。そりゃ神社も寺もボランティアじゃない。それは当然だと思う。じゃあ、金の無い人間はどうしたらいいんだろう。貧乏人には天国に行く価値も無いって言うのか? だとしたらあの世はこの世以上に世知辛い所なのかもしれない。

「さてと、今日のところはこれで終わりにするか」

 途端にみんなの纏う空気が騒ついたように感じた。こう言うのを感じると、俺達も小学生の頃から変わらないと思う。

「次のゼミでは今日の内容をもう少し踏み込んで見ていこうと思う。お前等も地獄行きにならないように普段から品行方正、真面目に勉学に励めよ」

 はい、と疎らに返事が返る。みんなやはり何処か急いているような声だ。そう言う俺も早く授業は終わってほしい。

 そんな中、先生は腕時計に目をやり、ポケットからスマホを出して操作すると目を細めた。

「悪い。ちょっと用事が出来たからオレはもう行くからな。お前等も気を付けて帰れよ」

 そう言うと先生はそそくさと席を立ってカフェテリアから出て行った。

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